卒業式も間近に迫った三月のなかば、渉の家に招待された。
 渉の自宅を訪れるのははじめてではない。
 それは、ミステリーステージを終え、「透明の仮面」の騒動を終えても変わることなく。
 もう何度となく訪れた渉の家は、すっかり友也にとってもなじんだ場所になっていた。
 借りてきた新作映画を日々樹家の大きなテレビで見たり、渉が新しく手に入れたというもうどこでも配信もしていない古い名作映画を見たり。
あるいは個人的な演劇の稽古をつけてもらったり、ときには友也がおすすめした漫画をどっさり持ってきて、それぞれ自堕落に読み耽ったり……回数を重ねるたびに、こぶしひとつぶん開いていたふたりのあいだの距離はすこしずつ縮まっていった。
 ふたりがけのソファに腰かけた脚がくっついて。リラックスしてもたれかかったあたまを肩に乗せて。ひときわ肌寒い日には、腕をからませて手をつないで。
 ふたりそろってソファに並ぶ日もあれば、ソファに横たわる友也の薄い尻を渉が枕にする日もあれば、ソファに腰かけた渉が脚のあいだに縮こまった友也を後ろから抱きしめる日もあった。
 渉のめちゃくちゃなふるまいからは以前のように逃げつつも、それ以外のところで渉となるべく言葉を――心を交わすようにした友也のこの一年は、前の一年よりも、いや、これまでのくりかえしのなかでいちばん渉に近づいていると思えるものだった。
 けれど、その家に渉の両親が在宅しているのは、はじめてだった。自宅の外観や内装から伺えるとおり、それなりに「いいおうち」らしい日々樹家の夫妻は、息子に似て――いや、息子が両親に似たのか――それぞれの人付き合いや習い事に忙しいらしかったのだ。
 あるいは、ふたりが不在の日を狙って、渉は友也を招いていたのかもしれない。
 とにかくその日、友也ははじめて渉の「おとうさんとおかあさん」に会った。
 とても人のよさそうな、おだやかでおっとりした、長身の渉とは似ても似つかない小柄な老夫婦だった。
 そのとき友也の脳裏に浮かんでいたのは、もちろん、あのとき渉が語った昔話だ。
 ――昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんとおばあさんは、ある日、男の子を拾いました。その男の子は、日々樹渉と名付けられました。
 たしかにふたりは、平均的な年齢で結婚した友也の両親と比べても、両親というよりも祖父母に近い年齢に見える。
 いいや。そんなことはどうだってかまわない。
 友也は渉がしたあの昔話を、ほんとうのことだと信じている。やさしいひとたちに囲まれて育って、みんなによろこんでほしくて昇りつめた先でひとりぼっちになってしまった、やさしくて、ばかなひと。
 けれどそれがうそだってかまわないのだ。
 友也は信じている。あのとき渉がこぼした、真珠みたいな涙を。
 友也は信じている。このひとをいとおしい、と、ひとりぼっちにしたくない、と。そばにいたいと思った、みずからのその気持ちを。
 渉はうきうきとした様子で、おとうさんとおかあさんに「お友だちの真白友也くんです」と友也を紹介した。
 お友だちだって!
 俺が。あの日々樹渉の!
 友也くんは演劇部の後輩ですよ、と両肩を抱かれて、友也は緊張した笑みで「はじめまして、真白友也です。いつも部長にはお世話になってます」となんとか自己紹介をした。
「友也くん! いつも演劇部の公演で見ていましたよ」
「薔薇十字物語のあの主演、あれはすばらしかったね」
「ほんものの女の子みたいにかわいらしくって、けれど髪を切ったあとの演技は彼女が立派な騎士としてふるまっている凛々しさもあって……夫とふたりで感動していたんですよ。渉くんにはこんなにすてきな後輩さんがいるんだって」
 おそらく渉を見て、渉と同等の演劇に対する造詣があるだろうふたりにほめられて、かあっとほおが赤くなる。
「え、えへへ……」
 渉は友也とふたりきりの普段よりも浮足立った様子で、けれど家族を前にしたとき特有のリラックスした声色で、友也の演劇部でのエピソードや、渉の卒業を前に北斗と三人で遊びに出かけたことなどを語っている。
 おとうさんとおかあさんはそんな渉をほんとうにうれしそうに、にこにこと見ていた。ときおり渉が挟むジョークに上品に声を上げて笑ったり、やさしく友也に質問を振ってくれたりする。
 ぴんとうつくしく伸びたたくましい背すじは常のまま、長い脚を優雅な仕草で組み替えて、けれど両親を「おとうさん」「おかあさん」と呼び、わざとらしくも奇天烈でもない顔で笑う渉はいかにも「息子」という感じで、友也はなんだかどぎまぎしてしまった。
 渉が手洗いに立ったタイミングで、おかあさんが「友也くん、紅茶のおかわりは?」とほほ笑んだ。
 キッチンへ向かう背中に、一瞬出すぎかと思ったが、それまでのやわらかな空気ですっかりこの家族に打ち解けていた友也は「あ、手伝います」とついてゆく。
「ありがとう。よく気がつくんですね」
「いや、そんな」
「じゃあ、カップにお湯をついでくれる?」
「はい」
 手慣れた仕草で上等な茶葉を人数分計りながら、おかあさんがぽつりとつぶやいた。
「……あの子がお友だちを連れてきてくれたのなんて、はじめて」
 渉とかつて五奇人として名を馳せた先輩たちならあるいは、この家に来たことも――友人として渉が両親に紹介したこともあったのでは、と思っていたが、そうではなかったらしい。
 あの子と一緒にいるのは、大変なこともあるでしょう、とおかあさんが言う。
 友也はあいまいに笑って、うなずいた。あのひとに振り回された回数は両手両足の指を足しても足りないくらいだ。それでも。
「……それでも、渉くんのお友だちでいてくれるのね。友也くん。渉くんと仲良くしてくれて、ありがとうございます」
 おかあさんがそっと友也の手を取る。深い皺が刻まれて、渉の手よりふたまわりはちいさい友也の手よりももっと、うんと小柄な、それでも親のかたちをした手。
「これからも、どうか渉くんのそばにいてあげてくださいね」
 力づよくうなずいて、友也は「はい」と笑ったのだった。




「友だちって」
 階上の渉の部屋へ上がって、いつもの馴染んだシックな色のソファに腰かけて。
「……友だちって言った。俺のこと。おとうさんとおかあさんに」
 唐突につぶやいた友也に、渉はとなりへ下ろそうとしていた腰をぴくりと留めて、そして友也の足元に座り込んだ。ソファの下へ。そこからだと、長身の渉にもうつむいた友也の顔がよく見えるから。
「ええ」
 とうなずいて、渉はそこから友也を見あげた。
 友也よりうんとおおきなからだをしているくせに、まるでこれから叱られる犬みたいな不安そうな目をしている。
 ううん、そうじゃなくて。
 いやだったんじゃなくて、と友也は体育座りをするおおきなこどもの手を取った。
 指と指をからめて、隙間なく手をつなぐ。おおきな手。何度も何度も、もしかするといままででいちばん、この一年で友也にふれた手。
 この手を、もう失くしたくないから。
 「あなたが好きです」とほほえみながら別れを告げる顔は、どんなにうつくしくたってもう見たくはないから。
「……友だちも、うれしいけど。俺、もっとなりたいものがあるんです」
 きゅうっとつないだ手にちからが入ったことに、渉が首をかしげる。きっと渉にとっては、渉のなかから湧き上がることばのなかでは、友也を「お友だち」と紹介したことすらとびきりの待遇だったにちがいない。
 けれど、友也はもう知っている。知ってしまった。「お友だち」でないものに渉が許す距離を。ぬくもりを。みつめる目のやさしさと、たしかにそのすみれ色にこもる熱を。
 友也は何度でも、それがほしい。
「あんたの恋人」
 は、と渉は息を呑んだ。
 お互いに汗ばんですべる手のひらをきつくつなぎなおして、そうっと顔を寄せる。
「……」
 先に目を閉じたのは友也だった。
 あの日々樹渉だ。いやなら、友也なんかからどんな手を使ってでも逃げられる。
 もともと友也は力では渉に決して敵わないし、そんなことをされたことはないけれど、腕力を使われればどうにだってできる。
 そのとき友也の胸のうちをいっぱいにしていたのは、十何回とともに一年をくりかえしてきた、その自負と、ほんのすこしの不安。
そして、この期に及んで――何度だって友也を抱きしめながら映画のエンドロールを眺めたことがあるくせに、いまだに両親に友也を「お友だちです」と紹介するだけで、ちょっぴり――友也か、もしくは十何年か彼と過ごしてきた両親にしかわからないくらい、緊張していたこのひとへのたまらないいとおしさだった。
 目を閉じて、まっくらななかで待つ友也のくちびるに、あたたかくやわらかいそれがやさしく触れた。
 そうっとまぶたをひらくと、ちょうど渉も目を開けるところだった。つややかな髪とおなじ色をした銀色の長いまつげが、伏せられたままわずかにふるえている。
 その奥の、いっとうきらめくすきとおった瞳と目が合って、じっと見つめ合う。
 たまらずに二度、三度と重ねたのは、どちらが先かはもうわからなかった。このひととキスをするのははじめてではないのに、どきどきと壊れそうなほど、心臓が音を立てていた。
 いますぐにあたまのなかをぜんぶこのひとでいっぱいにして、抱きしめて、抱きしめられて、胸の内を吐き出さなければ、破裂して死んでしまいそうなくらい。
 渉が好きだった。好きで好きでたまらなかった。
 何度、何年、キスをくりかえしたって足りない。これからずっと、何度でも、死ぬまで、キスをしてくれなければ足りない。気がへんになりそうだ。
 すべすべした上品なくちびるで上唇に吸いつかれて、おかえしとばかりに渉の薄い下唇を食む。
 やっとくちびるを離したときには、友也は軽く息を荒げていた。ひといきも呼吸を乱した様子のない渉が、すこし拗ねた顔で口をひらく。
「……キスより先に、私に言うことがあるんじゃないですか?」
 う。と友也は息をつまらせる。それは、まっとうすぎて日々樹渉のことばとしては逆におかしく感じるくらい、そのとおりだ。
「……部長が好きです。付き合ってください」
「はい。……私も、友也くんのことが好きです」
 ああ、やっと、また。
 涙が出そうになってそっと渉を抱き寄せると、それよりももっと強い力できつく抱きしめられる。
 ほうっと熱っぽいためいきをついた渉が、夢見るようにつぶやく。
「いま分かりました。ずっと、あなたとこうしたかった」
 くい、とおとがいに手をかけられて、またキスをした。何度したって飽きなかった。友也の髪を撫でるおおきな手のひらはやさしく、あたたかく、よく知った感触をしていた。
「ずっと?」
「ええ、きっと、ずっと前から」
「――これからも?」
 まるい友也の後頭部をたしかめるようにくりかえし撫でていた渉のおおきな手が、ふと止まった。
「……これから……」
「あんたはもう卒業するけど」
 渉は答えない。友也を抱きしめていた腕がゆっくりと緩まって、けれど友也はその腕の中にきつく飛び込んだ。
「俺は、そのあとも、一年後も、五年後も、ううん、もっとずっと一緒にいたい。こうしてたい。これからずっと」
「……友也くん」
 スリ、とひたいを擦りつけたひろくおおきな肩からは、ふだんは香らない、この距離でしかわからない渉のにおいがした。
 そうだ。知っている。友也は。これが渉のにおいだと。何度も抱きしめあって、何度もそばにいた。
 そしてきっと年月とともに変わってゆくだろうこのにおいを、これからも感じ続けたい。胸いっぱいに。
「あんたの髪の毛の先っぽだけでも掴めるくらい、でっかい男になるって、言っただろ」
 渉はだまったまま、こくんとうなずく。あのとき交わしたことばを大切に思っているのは、けして友也だけではないはずだ。
「俺のこと信じなくていいよ。信じられなくてもいい。でもさ、『楽しみにしてる』って、言ってくれたあの言葉は、ほんとうだろ?」
「……はい」
 顔を上げると、こつん、とひたいとひたいがぶつかった。長く繊細なまつげが絡みそうなほど近くにある渉のうつくしい顔を見上げて、友也は笑う。
「じゃあ、俺が信じる。そのことばを。あんたのところまで俺が跳んでいくのを楽しみにしてくれる、あんたを信じるから」
 こういうとき、普段の饒舌さがうそのように言葉少なになってしまう渉を、心からいとおしく思う。
「……友也くん」
 渉はただ、ただ、友也のなまえを呼んだ。くりかえし、何度も。何度も。たしかめるように。
 それしかできないこどものように。
 それが答えだと、友也にはわかった。
 それからはキスをしたり、とりとめもない話をささやきあったり、「好きです」とみつめあったり、またキスをしたりして、ずっとくっついたまま過ごした。
 やっと手に入った目の前の恋に夢中になったふたりのこどもを現実に引き戻したのは、やさしいおかあさんの
「渉くーん! 友也くん、お夕飯食べていきますよね?」
 という、のどかな声だった。








 Ra*bitsのリーダーとしてのひきつぎも、演劇部の残務処理も、何度もくりかえしてもう十六回目のことだけれど、ぜんぶ知っていることだけれど、友也は残された日々をていねいに過ごした。
 そして、卒業式を前日に控えた日の朝。
 まだ半分寝ぼけたまま枕元を探った友也のスマートフォンには、二通のメッセージが入っていた。
『おはよう、友也。あしたの卒業式は、予定通り式後に部室で落ち合おう。花束は俺の方で準備している』
 これまで何度も受け取った、いつもの北斗からの事務連絡。『北斗先輩、おはようございます。はい、ありがとうございます!明日、部長によろこんでもらえるといいですね』と友也もいつものように返信を送る。
 そしてもう一通。
『友也くん、あしたの卒業式のあと、私に少し時間をもらえませんか』
 はじめての、渉からのメッセージだった。







 渉の胸元で花が揺れる。
 三月二十二日。卒業生たちが胸につける花のかざりは、一年生たちが手作りをしたものだった。
 すこし不格好な渉のそれは、誰が作ったものなのだろう。友也が一生懸命作った花は、いったい誰の胸で、その不安と期待と寂しさを受け止めているのだろう。
 今年の終わりも、三人ぽっちの部員で簡単なお別れ会をした。部員を代表して北斗が渉に花束を渡し、友也も北斗とふたりで書いた手紙と簡単な菓子折りを渡した。それから、この日ばかりは友也が心を込めて淹れた紅茶を飲みながら思い出話をした。これでひとつの区切りの日だというのにいつものようににぎやかしをする渉に――いや、そんな日だからこそ、このひとはいつものようにふるまってにぎやかしをすることがやめられないんだろう。友也と北斗はふたりで苦笑しながら、それでも友也はほんのすこしせつなくなって目を潤ませていた。そんな友也の泣きべそを、渉はいつもどおりにからかっていた。
 いつもどおりの卒業式だったのに。
 いつものように北斗がTrickstarの打ち合わせで部室を外して、友也と渉はしばらく部室でぽつぽつと話をした。
 渉がメッセージで言っていた「時間をもらえませんか」とはいまのことなのだろうかと、胸をどきどきさせながら。
 このあいだ一緒に行ったカフェがおいしくて当たりだったこと。遅めの渉の誕生日にプレゼントした手袋の使い心地がよくて気に入ってくれていること。渉の学割がきくうちに行こうと言っていた映画のこと。
 いままで、何度となくくりかえしたこの日。渉が告げてきたのは、いつも別れだった。友也のことを好きだと言いながら、おなじ口で「私と別れてください」とそう言うのだ。
 そんなのはもういやだった。
 渉のことが、ほんとうにすきだから。
 愛しているから、渉との未来がほしかった。
 あのメッセージに既読をつけたあと、友也がどんなに……どんなに、胸がつぶれそうな思いで、不安と期待とをくりかえしながらベッドの上にうずくまっていたか、渉にはきっとわからない。
 だけどわからなくていいんだ。きっと渉には、一生友也のことはわからない。友也に、渉のことがほんのちょっとしかわからないように。
 わからなくていいから、信じたかった。友也がいつか遠い未来で渉に追いつくことを楽しみにしている、と言ってくれた、このひとのことを。
 ――そして、何気ない話題に混じって渉が言った。
 いつものおどけた、そして品のある声で。
「友也くん、少し早い誕生日プレゼントです」
「……え?」
 ぽん、といつもの手品の手ぶりで、渉はどこからともなく上品な包みを取り出した。
 長方形のごく薄い包みで、商品券や舞台のチケットが入っていそうなサイズだ。
「今度公開する映画の前売り券です。観に行きたいと言っていたでしょう」
「うん。言った……けど」
 たしかに、日々の渉との雑談ではお互い最新の映画の話題も多い。渉が口にした作品名は、いつものようにふたりでだらだらと過ごしていたとき、テレビでやっていたCMを見て、たしかに友也が「これ観に行きたいんですよね」と言った覚えがあるものだ。
「受け取ってくれますか?」
「あ、……うん、あ、ありがとうございます」
 とまどいながらも、おそるおそる手を出して包みを受け取った友也に、ほ、と渉は息をついて笑った。
「来週、よければ友也くんの誕生日に観に行きましょう」
 バースデーイベントは夜には終わるんですよね? レイトショーでもかまいませんか?
 ほほえんだまま渉が言ったことが信じられなくて、ぽかんと口をひらく。
 来週。友也の誕生日。といえば、ちょうど一週間後。三月二十九日だ。
 この長い長いくりかえしのなかで、一度も迎えることのなかった、友也の十六歳の誕生日。
「ほんとに? ほんとに……あんたが、本当に、俺に、これを?」
「そんなにケチに見えます? 私」
 むっとほおをふくらませてあからさまにスネた顔をしてみせる渉に、ぶんぶんと首を振る。
「そうじゃなくて、来週、来週って……俺の誕生日って……あんた、もう、卒業したあとじゃん」
「私が卒業したあとも、ずっとそばにいたいと言ってくれたのはうそだったんですか?」
 渉は悲愴な表情をして、ひどいですっ! しくしく……と今度は泣きまねをはじめた。その涙は演技のそれだとわかっていたけれど、ごく近くでふれあったからだがぴくっと硬直したのを、友也は見逃さなかった。あわてて顔を覆っている渉のおおきな手をとる。
 身体の一挙一動、体温ですら思いのままに操れるはずの日々樹渉の手は、すこしつめたく、ふるえていた。
 ――緊張するんだ。このひとでも。
 ――それを、示してくれるんだ。俺の前では。こうして、態度で。
「うそじゃない! うそじゃないから……でも……びっくりして……」
 目の奥が熱い。
 「別れてください」と、また言われるのかと思っていた。
 そう言わせないために、友也とともにある未来を諦めさせないために、尽力した一年間のつもりだった。けれどそのときが近づくにつれて不安はつのり、いやな夢ばかり見るようになった。
『あなたのことが好きです。友也くん。私と別れてください』
 うつくしい顔で、ほほえみながらそう告げる無数の渉の顔。何度くりかえしても、四月一日に戻っても、忘れられない、寂しくて、悲しい、あの顔。
 怖かった。
 だから、おどろいた。信じられないきもちで胸がいっぱいになった。――渉が未来の話をしてくれたことが、うれしかった。
 じわじわとまぶたの下から涙が湧いてきて、止まらない。
 とうとうぼろぼろと涙をこぼしはじめた友也を、渉は抱きしめた。
「友也くん、あなたのことが好きですよ」
「……うん、……うん」
「どうか、これからも私のそばにいてください」
 ただ泣きじゃくるしかできない友也を、渉は抱きしめつづけた。
 ずっと。
 長いこと。







 朝、鳴りひびくアラームに起こされて、ぼんやりと友也は目を覚ました。
 ――Trickstarの曲だ。春をイメージしたその曲が友也は大好きで――いや、尊敬する北斗先輩のいるTrickstarの曲はどれも大好きなのだが――三月に入ってから、友也はいつもその曲をアラームに設定している。
 高校一年生になる前の四月一日には、まだ存在しなかったこの曲。
 一瞬であたまがしゃきっと目が覚めて、友也は布団を跳ねのけて起き上がった。
 卒業式の次の日のきょうは、とくに予定もなく、レッスンもなずなのお別れ会も午後からの予定で、久しぶりにゆっくり眠れるとアラームを切ったつもりだったのだが――いや、そんなことはどうだっていい。
 卒業式を迎えた、つぎの朝。いままでのくりかえしなら、Trickstarではないほかの好きなアイドルの曲で目を覚ましていた朝。
 この曲が流れたということは。
 あわててスマートフォンの画面を確認する。
 二〇××年三月。四月じゃない。――くりかえした日の朝じゃない!
 歓喜に踊り出しそうなからだをおさえつけて、「やったー!」といまにもさけびだしそうな心をなんとか宥めて。
 ふと、新着メッセージが着ているのに気づいた。
 北斗と渉から、二件のメッセージ。『おはよう、友也。あしたの卒業式は、予定通り式後に部室で落ち合おう。花束は俺の方で準備している』『友也くん、あしたの卒業式のあと、私に少し時間をもらえませんか』。卒業式の前日の朝にふたりから受け取ったのと、まったく同じものだ。
 既読にして返信まで済ませたはずだが、なにかの不具合だろうか?

 ――ふといやな予感がして、通学かばんに飛びつく。
 財布に挟んでいたはずの、卒業式の日に渉からプレゼントされたチケットが、どこにもない。
 友也はどきどきと鳴り始めた心臓を持てあましながら、もう一度スマートフォンに、さっきは目もやらなかったきょうのその日付に、注意深く視線を落とした。

 三月二十一日。

 液晶の画面には、まちがいなく卒業式の「前日」の日付が表示されていた。