――あなたみたいになりたいんです!
 帰れ、と取りつく島もなく拒絶されたにも関わらず、青年は閉まりかけたセーフハウスの玄関ドアに足を挟み込んで訴えた。
――お前みたいななんの取柄もない、ふつうの奴が? 俺みたいに?
 男は、およそ愛想といったものがかけらも浮かんだことのない目で青年を一瞥して、足元からあたまのてっぺんまでじろりとにらむ。
 潜入先から、チームメイト、果てはクライアントまで、任務中の致死率の高さから「皆殺し」とあだ名される男のセーフハウスを突き止め、一緒にチームを組めと、わざわざ強引なセールスマンじみたことをやってみせた青年に、すこしだけ感心する。
――なにを言われても、もうだれともチームを組むつもりはない。一生な。
――まあ、せいぜい、死ぬな。無理な話だろうがな。
 いきなり開いたドアにおどろいた青年の脚をひっかけて、無様に倒れ込んだ姿も見ないまま、男は背中を向けた。
 だれも入れるつもりはない。もうこれ以上は。どうせ失うだけなのだから、はじめから手にしないのがもっとも賢い生き方なのだ。



 目が覚めた。
 いつか見た映画の夢を見た気がした。
 枕元で充電機につないだままの携帯をタップする。
 十六度目に迎える、四月一日の朝だった。
 クローゼットからわざわざ出して、姿見の近くに飾ってある制服をぼんやり眺める。夢ノ咲に受かってからあんまりうれしすぎて、制服の採寸が終わってやっと届いたブレザーをわざわざ飾って毎日毎日眺めては、いったいどんな高校生活になるんだろうと楽しみにしていたのだ。どんなアイドルになれるのか。憧れの女神さまと、おなじ演劇部で活動できるのか。わくわくすることしかなかった。あのころは。――いいや、いまだって。目の前には未来しかきっと存在しないのだ。
 その赤いネクタイ。中学の制服が学ランだった友也は、結ぶのに苦労して、父さんに教えてもらいながら何度も練習した。入学したてのときにはまだまだぶかっこうだったネクタイ。
 いまはもう、鏡を見なくても自然に手が動く。
 入学式の日の朝、きっちりとネクタイを締めて、友也は家を出た。
 きょうは、「日々樹渉」とはじめて言葉を交わす日だ。




 照明の落ちた講堂に詰め込まれた一年生たちのざわめきは、その男がステージに現れた瞬間、ぴたりと鳴りやんだ。
 シェイクスピアの、ロミオとジュリエットの一幕。スポットライトに照らされステージの真ん中に座り込んだ男は、真っ白なシャツとパンツを身に着けている。
 入学式のあとに行われる部活紹介の中で、演劇部のそれはひときわ異質だった。日々樹渉のひとり芝居。それも、ロミオとジュリエット、それぞれを演じるひとり二役のステージだ。
 ロミオに扮した渉は、抱え抱いた姿のないジュリエットに縋りつき、慟哭し崩れ落ちている。
「……おお、ジュリエット、……ジュリエット! せめてもう一言でも、あなたのやさしい声が聴きたい……ほんとうに彼女は死んだのか!? なぜ、なぜあなたはこんなにもはやく死に急いだのだ? なぜ私を置いていく? ああ、あなたは私の不幸せを倍にしてしまった……ああ、気が狂いそうだ!」
 月の光のようにかがやく長髪を振り乱して、男は半狂乱になりながら泣き叫んでいる。こうこうと照らされたライトの下で、いっそ壮絶なほどにうつくしい光景だった。
「神さま……どうかこのロミオにお憐れみを……、私はいったいどうすれば? ……美しい顔をしている。やすらかに眠っているようだ。清い顔、頬、愛らしい唇……瞳、ああ、この瞳はかたくとじて、もう二度とひらいて微笑んではくれないのか……」
 がくがくとからだをふるわせ、男はちいさく、ちいさくまるで消えてしまいそうなほどに憔悴してゆく。
「……ジュリエット、なぜ死んだのだ? あなたに残されて、私はいったいなにを当てに? なんのために生きるのだ?」
 ほんのささやきのような声。講堂のいちばん後ろの席に腰かけた生徒が息を呑む音すら聞こえそうなほどの、静かな慟哭。しかしその声は、この世でもっとも不幸に身もだえる男の苦悩を、はっきりと胸につきつけられるような響きをしているのだった。
「……私は生きてはいられない。すべての希望がついえたのに……そうだ。ジュリエット、私も行こう。あなたの後を追って。これほどの苦痛に身もだえながら生きるよりも、いっそこの世を捨て、あのはれやかな空の国で、あなたとともに……。ジュリエット、待っておいで、私はすぐそこへ行く」
 男は懐から薬を出し、盃に注ぐ。――薬も、盃も、彼が抱きかかえたジュリエットでさえ存在しないが、たしかにそれはそこにあった。男がちいさな小瓶をつまみ、そそぐ仕草をすれば、ひと口で男をやさしい眠りへ誘ってくれる薬がそこに現れるのだ。
「さあ、毒薬よ! 私を幸福と平和の国につれて行ってくれる、親切な毒薬よ! しっかりやっておくれ……」
 男は、薬を一息に飲みほした。しばらくはげしくからだをふるわせもだえたあと、ばたりと声もなくその場に倒れ込む。照明が落ち、真っ暗な沈黙がつづく……しばらくすると、細やかなスポットライトに照らされてつぎにそのステージで目覚めたのは、可憐な少女だった。
「……ここは? ……私はいま、どこにいるのでしょう? ああ、お墓の中なのですね。おそろしい……。一人ぼっちで寝ていたのですね。いつから……そう、ロレンスさまにいただいたあのお薬を飲みほして、いまがちょうど、四十二時間なのだわ」
 少女は立ちあがり、周囲を不安そうに伺っている。ふとステージに落ちた盃を見つけ、手に取ってふしぎそうにしげしげと眺める。……そして、その先に男を見つける。はげしい驚き。
「あら! 人がいる! ……誰かしら? 何をしているのかしら? ちっとも動きません。眠っているのですね。……男の人。ぐっすり眠っているわ……」
 無邪気な、ふしぎそうな少女の声は、男がいとしい恋人であることに気づき、徐々に不審な色を帯びてゆく。
「ああ! ロミオ……あなたはロミオ! どうなさったのロミオ!? あ……あっ、あぁ……」
 走り寄り、抱き起こした腕のなかの男がぐったりと伏せ、息をしていないことを悟って、少女はちいさく絶望にふるえ出した。実際には虚空を抱きしめているのだが、腕のなかで息絶えた男にきつくきつくすがりついているさまが、その混乱と哀しみが、胸に染み入る泥のように伝わってくる。
「どうして、どうして! ロミオが、ロミオが死んでいるの! ロミオ、どうしたの、ねえ、お返事をなさって……。あなたは知らなかったのね。私が本当に死んだと思ったのですね。私が……私があなたに会いたいばかりに、こんなことをして……ロミオ、もう私に言葉をかけてくれないのですね。私だって……生きておれません」
 男の手からこぼれおちた盃をひろいあげ、少女ははらはらと涙をこぼした。
 ライトに照らされて輝くその涙の粒は、孤独と絶望に満ちているというのに、水晶のようにも、真珠のようにも、あるいはつぼみがやっとほころんだ花弁のなかをしたたり落ちる朝露のようにも美しい。
「これだわ。ロミオ、あなたがひとり毒をのんで、私はどうすればいいのでしょう。どうやって……」
 あたりを見回し、少女はロミオの腰の剣に気付く。ゆっくりと鞘から抜いた剣を不慣れな手つきで扱い、するどく光る切っ先を胸に当てる。
「……ロミオ、待っていて。待っていてください。ああ、おやさしい神さま、どうか、どうか私たちの不幸な魂をお守りください」
 天をあおぎ、しずかな――安らぎともとれる穏やかな顔でまぶたを降ろした少女は、その剣を儚い胸に突き立て、いとおしい恋人のそばへ倒れ込むのだった。



「……すごい、おしばいでしたね」
 となりの創がハンカチで口元を抑えながら嗚咽を我慢しているのに、友也もきゅうっとくちびるを噛みながら言葉もなくうなずく。
 何度見ても、見とれてしまう。そこにいるのはただひとりの男なのに、彼のゆびさきの仕草ひとつで、その姿はロミオにも、ジュリエットにもなる。
 そしてあの慟哭!
 涙がこぼれて止まらなかった。周囲からも鼻を啜る音やすすり泣く音が漏れ聞こえてくる。
 まだ止まる気配のない涙を、友也はハンカチでそっと抑えた。あんまり擦ってはいけない。このあとの入部申し込みに泣きはらした真っ赤な目で赴いたとき、渉本人にひどく悦ばれるとともにたいそうからかわれて、まともに会話のできる状況ではなくなってしまったのだ。
「友也くん、やっぱり演劇部に入るんですか?」
 鼻をぐずぐず言わせた創が、もう何度目かになることを聞いてくる。
 創は、「あのひと、ほんとうにすごいひとですけど、ぼくには……ちょっと怖いんです」と言って、いつも友也にくっついてまわっているのに演劇部にだけは一緒に入ろうとはしなかった。ただのいちども。
 そして「友也くん、ほんとうに演劇部に入るんですか?」「やっぱりぼくと一緒の紅茶部にしませんか?」と誘ってくれる。
 くりかえしがはじまった最初のうちは、その誘いに乗ろうとしたこともあったけれど――。
 いまはもう、考えられない。
 あのひとの、日々樹渉のいない世界のことは。
 渉はまごうことなき天才だ。その才能で、努力で、技術で、生まれ持った天性のうつくしさで、だれのことも魅了して、そして夢中にさせてしまう。他でもない友也も、そんな渉の才気に惹きつけられたひとりだ。
 けれどもう知ってしまった。あのひとも、ただのひとりの高校生なんだってこと。
 ずっとひとりだったから、自分を追いかけてくれる後輩がうれしくて加減がわからなくて、失敗したら今度は過剰に距離を置くことでしか自分にできることを知らなくて。友也にとってはなんでもないことでポップコーンがはじけたみたいに喜んでみせて、あんたが好きですと言うと、何度だってはじめて聞いた言葉みたいにおどろいた顔をして、そしてはにかんで「私もです」と言ってくれる。
 そんな、ふつうの、男の子だ。いとおしいひとだ。
 だから友也はあきらめない。
 渉が、友也との未来を信じていなくても。
 友也とのしあわせな思い出だけを胸に、ここで終わることがハッピーエンドなのだと思っていても。
 だって約束したじゃないか。いつか、あんたの髪の毛の先っぽだけでも掴めるくらい、でっかい男になってみせるって。
 いまはまだ、あの約束は果たせない。けれど友也は信じている。その約束を果たす日が、いつかかならず来るってことを。
 だから渉にも、信じてほしいのだ。




 いつものくりかえしとおなじ、「あなたたちのことを教えてください! ではそこのあなたから!」と指名されてパイプ椅子から立ちあがった友也は、自己紹介も早々に、渉を、渉だけを見てあなたみたいになりたいんです、と語った。
「私みたいに……? あなたが?」
 腕組みをして、ふんふんとさして興味もなさそうに友也の自己紹介を聴いていた渉は、ぱちぱちとまばたきをして呟いた。
「日々樹先輩は、俺の人生の目標なんです」
 ロミオやジュリエットみたいに、あんたが死んだからって後は追わない。だってあんたは日々樹渉だから。そうそう簡単にくたばったりしないから。
 あんたが生きてるかぎり、俺も全力で走って、追いかけます。いつかきっと追いついてみせる。それが俺の生きる理由なんです。
「――えっと、入部動機は、以上です。よろしくお願いします」
 啖呵を切ってしまうと思った以上に照れくさくて、友也はかあ、とほおを熱くしながらぺこりと頭を下げた。
 渉はどう思っただろう。へんなやつだと思われただろうか。だけど、それくらいのほうがいいんじゃないか? このひと、へんなやつのほうが好きだし……。
「……真白友也くん。ずっとファンレターをくれていた子ですね」
「えっ?」
 この場に似つかわしくない静かな声で渉が言ったことが一瞬わからず、ぽかんとしてしまう。
 そして、その言葉の意味を聞く機会は永遠に失われてしまった。
 渉が太陽みたいな笑顔で飛びついて――文字通り、飛び上がって友也のからだに抱きついてきたからだ。
「ああっうれしい! なんとすばらしいことなのでしょう! ようこそ我が王国へ……☆ 歓迎しますよ、友也くん! 力いっぱいしごいてあげますからねっ、必死に、死に物狂いで、ついてきてください♪」








 学院祭に向けて、演劇部の公演の練習がはじまった。
 演目はいつも変わらない「灰かぶり」だ。何度くりかえしても、どれだけ必死に役作りをして渉のきびしい稽古を耐え抜いたって当日にはめちゃくちゃになってしまうことが決まっている演目で。はじめのうち、友也はまじめに稽古をこなすのを放棄する回だってあった。
 けれど何度もくりかえすうちに、一見めちゃくちゃな渉の思いつきに感じても、それもいわゆるひとつの友也のための試練なのだと思えるようになった。
 だから、どうせ無駄になる――演じられないシーンだとわかっていても、きょうも友也はまじめにまじめに稽古をこなしている。
 きょうの部活は北斗がユニットの練習で欠席しているため、義母兼魔法使い兼ねずみ役の渉とふたりでのせりふあわせだ。
 灰かぶりがお城にガラスの靴のかたわれを残して去った次の日、いつもの日常に戻り、あくせくと家の仕事をこなしながら、昨夜の夢のようなひとときを灰かぶりがなじみのねずみ相手に語らうシーン。
「『ああ、なんてすてきな夜だったんでしょう、……一生の思い出ね』」
 床に膝をつき、ぼろぼろの雑巾とバケツで水ぶきをしながら、灰かぶりはそれでもひどく機嫌よく、鼻歌を歌いながらほおを染めている。
 灰かぶりは魔法使いの魔法で、一晩だけ、夜の十二時までのあいだだけ、王子さまと踊る機会を得る。夢中になりすぎて、十二時の鐘に気づき逃げるようにお城を去った灰かぶりに残ったのは、なぜかドレスや髪飾りと一緒に消えることのなかったガラスの靴、片方だけだ。
 それでも彼女はその一夜の思い出に満足して、いつもの義母や義姉に虐げられる生活に戻ろうとする。けなげと言うか、友也としてはあまりにけなげすぎてちょっと一言おせっかいにも言ってやりたい気分になるのだけれど――いまの友也は、ほかでもないその灰かぶりなのだ。
「『灰かぶり、けれど王子さまは、昨夜ガラスの靴を残して去ったうつくしい少女を探しているって噂だよ』」
 ねずみ役の渉が、きいきいとファンシーな声色で語る。
「『あら、じゃああなた、もういちどわたしにお城へ行けって言うの?』」
 とんでもないわ! と雑巾をバケツのなかに放り込んで、仕事を終えた灰かぶりはよいしょと立ちあがる。くるりとその場で一回りして――衣装合わせはまだ先だから、友也が着ているのは赤い学校指定の体操着なのだけれど――みずからの恰好を示してみせる。
「『こんなつぎはぎだらけの汚れたワンピースじゃ、きっと信じてはもらえない。あれはやさしい魔法使いが見せてくれた、一夜の夢なのよ』」
 かなしいせりふを言いながらも、灰かぶりは悲しんではいない。夢見るように踊り出し、昨夜の王子さまとのダンスを懐かしむようにくるくると何度もターンをしてみせる。
 腰に巻いた体操着の上着がふわっとスカートのようにふくらむ。本番できちんと衣装がさばけるように、衣装合わせができたらそれを着てよく練習しなさいね、と渉に言われているのだ。ステージで友也が纏うワンピースはまだ出来上がってはいないが、せめて少しでもスカートの扱いに慣れるように、と考えた苦肉の策だった。
「『夢は夢で終わるから素敵なんでしょう』」
 残った片方のガラスの靴を懐から取り出して、灰かぶりはきゅうっと抱きしめる。
「『あの方のとなりにはいられなくても……夢のような一夜の思い出だけで、生きていける』」
 暗転。シーン終了。
 パン、と渉が大きく手を叩く。
「はいっ、よろしい! 友也くん。あなた自身の納得のできなさが声色に現れてしまっていますよ。この場面で灰かぶりが抱いているのは「幸福」、それだけです。もういちど復習しておいてください。――ですが、からだ捌きや発声はよく練習できていますね。少し休憩にしましょう」
 渉のダメ出しを台本に書き留めて、友也はひたいを流れる汗をタオルで拭った。季節はもう秋めいてきたが、全身を使って腹から声を出していると、ひとからの視線を意識しつづけているとひとシーン練習が終わるだけでも汗だくになってしまう。
 汗を拭い、水のペットボトルをごくごくと飲みほして、友也は渉を見た。
 この脚本は部室に残されたものをもとに、渉がすこしアレンジを加えたと聞いている。いま演じたシーンは渉が書き加えたものだ。
 このひとは、どういう気持ちで灰かぶりのせりふを書いたのだろう。
 となりにはいられなくても、ただ一夜、そばにいられた思い出だけで生きていけるだなんて。
「……部長。このシーンで灰かぶりが幸福なのは、わかりました。彼女は家族に尽くしながら育った、そういう性格だから、きっとそうなんだろうと思う。でも、……でも」
 たとえ灰かぶりが、――渉が、ひとときの思い出をあたためるだけで、一生幸せに思えても。
「俺は思い出だけじゃ生きていけない」
 渉はペットボトルの水をひとくち、こくん、と飲み込んで。そしていつもの顔でにっこりと笑ってみせた。
「おやぁ、友也くんは案外よくばりさんなんですね?」
「よくばりじゃないだろ。灰かぶりが求めなさすぎるんだよ」
 いいや、逆かもしれない。一生、いっときのうつくしいその思い出を損なわれずに、だれにもよごされずにただ大事に抱え続けたいだなんて、とんだ大それた望みだ。
 過去が損なわれないなんていうのはうそだ。過去はいつだって、簡単にうつくしい思い出にも、いつかあっただれかの葬列にもなりうる。
 そう言うと、「友也くんにしては興味深い解釈ですね」と渉はうなずいた。薄いすみれ色の瞳がぱちぱちと瞬いている。
「たしかに過去の思い出が汚されることだってあるでしょう。……私がかつて、あなたに危惧していたようにね」
 渉はペットボトルを机に置くと、長い髪をふわりとなびかせながら、くるりとひとまわりしてみせた。
 まるでシンデレラのように。
「それでは友也くんは、灰かぶりはぼろをまとったまま、不審者として追い返される不安を抱いたまま、――王子との一夜の夢を壊す可能性をはらんだまま、それでもお城へ向かってガラスの靴を掲げるべきだと思いますか? 実現する希望の薄い輝かしい未来のために?」
「うーん……灰かぶりは、王子さまが迎えに来てくれたから、結果としてそうする必要はなかったけど。俺だったら、たとえ夢みたいな話でも、チャンスがあるなら跳びつづけます。きっと」
 それに、夢みたいな一回きりのエキストラじゃ、俺は満足できない。
「俺にとってあんたは一夜だけ出会った王子でも、魔法使いでもない。ずっと追いかけてきた目標なんです。……あんたの隣に立つにはまだまだ遠いけど、でも、いつか」
 いつか、日々樹渉のその共演者として、おなじステージに立つから。
 渉はほんのすこし驚いた顔をして。
「――ええ、その日を楽しみに、ずっと、待っていますよ」
 おかしそうな顔で、けれどあんまりうつくしくて声も失ってしまいそうな顔で、笑った。



 夜遅く、練習を終えて帰ると、居間のテレビではいつかのあの映画が放送されていた。
 ――あんたのとなりに立つには、まだ、早いかもしれないけど、でも、いつか……。
 男とひとときのチームを組むことになった青年が、彼をよそに武器の手入れをする男に訴えているシーンだった。
 ――……やめておけ。お前が死ぬところを見るのは、寝覚めが悪い。
 カチャカチャと音を立てて分解していた銃を、手入れを終えて組み立て終わった男は青年を見もしない。
 渉が好きだと言っていた映画。
 せっかく孵ったたまごの中身を殺してしまうよりも。思い出だけを、ひとときの記憶だけを胸に手放してしまったほうが幸福だと。
 友也はずっと、どうやって渉に自分を信じてもらうかばかり考えていた。友也との未来を。友也が壊れたりなどしないことを。
 ――だけどそれは、ほんとうに渉の不安に寄りそうことだっただろうか?
 友也よりも二年ぽっち長く生きてきただけだけれど、友也よりもきっとめちゃくちゃな人生を送ってきたあのひとがたどりついたそれは、たしかに渉の人生を貫くひとつの真実だ。
 だったらそれを、その、渉の哲学を放り出して、いきなり「信じてよ」と迫るのは、もしかしたら……ある意味で、乱暴な友也のエゴなのかもしれない。
 だったら、ただ信じてほしいと祈るよりも。
 だってあのひとは、待っていると言った。
 楽しみにしていると言ってくれたのだ。友也のことを。