「もういい加減、白黒つけようじゃないか」
 ちょうど昼どきを過ぎたころの食堂。いつにもましてひんやりと冷めた司の声が響いた。
 まだまだ構築途中の地上施設。十五人の「生き残り」は各々のラボで勉学や研究に没頭することも多いが、息抜きや人恋しさなど、いろいろな理由から食事時や休憩時間には中枢部にある食堂へ顔を出す者がほとんどだ。
 例に漏れず、その日の昼食時には司と隆俊、五百里と瑛、そして愁が簡易な食堂へと集っていた。
 めいめいに食物プラントから生成された食品で調理をし、席に着く。
 根を詰めがちな日々の中で、気心の知れた相手と、あるいはひとりで、ゆっくりと食事をとるこの時間は、のんびりとした空気の流れるひととき——であるはずだった。
「僕もそろそろ飽き飽きしているんだよ」
 いかにも淡々と事務的な——そう聞こえるように努めた——司の声がぱきっと響く。さして広い食堂ではないので、とうぜん、周囲にも筒抜けだ。
(まあ〜たはじまった)
 愁は淹れたばかりのコーヒーをすすりながら、内心でやれやれと肩をすくめる。
 あの日の戦いをともに生き抜いた十五人がこうして地上で目覚め、めまぐるしく、しかし安息に満ちた日々を過ごし、各々がおさまるべきところへおさまったあとも——元来自己完結しがちな司と、愚直を絵に描いたような隆俊がなにかとちまちましたことで口論をしあうのは、なにもめずらしいことではなかった。
 前回のごたごたからは、ちょうど四日ほど。いつものペースだ。五百里と瑛もこうしたふたりの様子には慣れきってしまっているから、まったく意に介した様子もなくほのぼのと茶をすすっている。
(それで? 今回はどーした?)
 知らんぷりをしたまま、愁はこっそりと聞き耳をたてる。巻き込まれるとめんどうなのだ。司は端正な顔でつらつらとこちらの家庭事情の痛いところを突いてくるし、隆俊は聴衆がいると余計にムキになって、余計に口論がこじれる。この場合は下手に口など出さず聞き耳だけたてて、ほとぼりが覚めてから笑い話のひとつにするに限る。
「し、白黒つけると言われてもだな——」
「なんだい? 答えられないのかな。べつに、きみがどんなふうに捉えていたって僕は怒りやしないよ」
「そういう類の話ではないだろう、これは!」
 論理と勢いで押し切りがちな司に、知略に疎い隆俊が口論で勝てるわけがないだろうに、毎度毎度飽きもせずに声を荒げて反論している。よくもそこまでむきになれるものだ。
「ふうん。そう。やっぱり。……かまわないさ。比治山くんが『そう』なのは、はじめから分かっていたことだしね」
「だから、沖野、勝手に決めつけるんじゃないと……!」
 しかし、今日にかぎっては妙に様子がおかしい。普段ならば論調のはしばしの隙を突き崩して我を通す司がいやにしおらしく諦めたような声色をしているし、対する隆俊のそれはまるで反論というよりも——言い訳だ。
 同じく妙に思ったのか、五百里と瑛もちらちらとふたりのほうを振り返り、心配そうに様子を見ている。
「いいんだ。きみが『彼女』に惚れているなんてことは——最初から重々わかっていたんだから」
「ほ、惚れ……!」
 ふう、とかたちのよい桃色のくちびるから小さく息をついた司に、焦った隆俊が荒々しい音を立てて席を立つ。困惑しきったその顔は、まるで火にかけられたように真っ赤だ。
(こ、これは——!)
 なみなみならぬふたりの様子に、愁の心臓もいやにどきどきと鳴ってきた。
 切なそうな司の表情、言い訳のきかない隆俊の様子。これは——まさか——浮気を問い詰める、妻のような口ぶり。
 愁自身、軽薄の治らない自身の態度のせいで、似たようなシーンで由貴に問い詰められた覚えがいくたびか——いや、何度もある。
 地上世界では十五人きりのコミュニティでも、「向こう」では人など選びたい放題だ。その可能性がまったくゼロだとは言い切れない。もちろん、隆俊がそのような軽薄な男だとは思わないが——だからこそ、浮気などではなく「本気」ということも、万が一にもありうる。
 であれば、ちょっと困ったことだぞ、と背筋に冷たい汗が流れる。
 淡々として、なにものにも執着がない生の気配が薄いように見えて、そのじつ司の取り扱いはかなりピーキーだ。本人はいたってなにごともまじめにこなしているつもりらしいが、あれでいて案外気分のむらが仕事の質に出やすいし、その機嫌を損ねないようなうまいさじ加減の扱いが非常に難しい。いまのところ、その手綱を流れるものは隆俊しかいない。
 個人の感情には口出ししようがないが、現実問題、いっときもはやく「向こう」の人々の再現に取り組んでいるいまの状態で、司と隆俊のパートナー関係が破棄されることは、周囲にとっても望ましいことではなかった。
 いや、というか、そういう個人的なやりとりはパーソナルスペースでやってくれ——。
 完全にふたりのほうに身を向けた五百里がおずおずと立ち上がり、ふたりに声をかけようとする。瑛が五百里の手を引き、無言で首を振った。タイミングを見たほうが、下手に巻き込まれるのはまずい。
 おふたりさん、そこらで、あとは自室でやったほうがいいんじゃねえの——と愁も立ちあがりかけて。
「『桐子さん』と僕、どちらがきみのお気に召すんだい」
(……?)
 聞こえてきた少女の名前に、周囲の三人はふと眉をしかめた。
「だ、だから、桐子さんもなにも——どちらもきさまだろうが!」
「気分の盛り上がり的には変わってくるだろう」
「気分!?」
 桐子。なんだろう。聞き覚えのある——というか、それは目の前のいかにも少女然とした少年が扮していた人物ではなかったか。
「向こうでも、僕が女性体を取っているときのほうが、きみはいやにやさしいじゃないか」
 あらためてよくよく聞けば司の声は淡々と常の平静を保っているように聞こえて、そのじつすっかりすねきって——切実なものというより、わがままさに満ちているようにも聞こえる。
 腰かけたままの司が、長く繊細なまつげをふせたまま、じっとりと隆俊を見上げる。うっ、と言葉に詰まって、隆俊が真っ赤な顔のまま後ずさる。あれは隆俊が弱い顔だ。司はおそらく、わかってやっている。
 しばらくうんうん唸っていたが、やがて腹を決めたのか、隆俊は腹に力を入れて、よくよく響く声で叫んだ。
「向こうでの態度は……その……、す、好いた女性(ひと)にはやさしくするものだろう!」
 司の黒目がちな瞳がいっとき大きく開かれ、ぱちぱちとあどけない様子でまばたきをする。
「だからどちらが好きだとか、そういう話ではなく——どちらも、だな——」
 ふたたび口ごもった隆俊に、うつむいて肩を震わせた司は、ふふふ、と笑った。
 ここ数日でも初めて聞く、ずいぶん機嫌のよさそうな、可憐な声だった。
「いいよ。じゃあ、午後はこの僕が直々に調べてあげよう」
「な、何?」
「『桐子さん』と僕、どちらのほうが比治山くんの反応がいいのか、実地を持って——ね。さあ行こうか」
「は、ま、待て沖野! 俺はまだ何も——!」
 ばたばたとさわがしい音を立てながら、司に袖をひっぱられた隆俊は——本気で嫌がるならば抵抗などいとも簡単だろうに——おとなしくずるずると引きずられ、ふたりは食堂を出ていった。
 公共の場で言い争い、嵐のように去っていったふたりに、なんとも言えない沈黙が落ちる。
「……なんだったんだ」
「あのふたり、いつ結婚するのかなあ」
 心底あきれたような瑛の声と、純粋にふしぎそうな五百里の声だけが狭い食堂にぽつぽつと響く。
 そういえば、由貴は午後から、沖野のラボへ遺伝子操作技術の関係で連絡を取ると言っていなかっただろうか。
 連絡は止すように一刻もはやく伝えなくてはと大きくため息をついて、愁はコーヒーを飲み干したカップを手に立ち上がった。

▼ セクシーなのキュートなのどっちが好きなの?♪て沖野に永遠に混乱させられててほしい 比治山(2020.9.9)