こころぼそい夜だった。冒険者たちがせわしなく賑やかに行き来する往来はこんな時間ともなるとすっかり普段のなりをひそめ、暁の血盟に属する冒険者たちがくだをまく酒場も今夜はひっそりと静まりかえっている。
 朝になれば、きっとまたいつもどおりのきょうがはじまるだろう。
 けれどこんな夜は、このいっとき、ベッドの中で目を閉じると、かつて倒してきた敵が、裏切りが、悪意が、いまにも自室の扉を破ってやってきそうな、心細いような、だれかにすがりつきたいような、ここにいてほしいような心地になる。
 だからそんなときは空を見た。テラスなんて上等な場所ですらなくていい。通りの木箱にぞんざいに腰掛けて。空を見れば、暗闇を取り戻したあの世界のことを思い出したから。あの世界のことを思い出すと、自分が無事にあの場所へたどり着くまで、信じて各々のなすべきことで戦ってくれていた仲間たちのことを思い出すから。
 ひとりではないと、思えるから。
「こらぁっ」
 こつ、と、入浴して洗いざらしのままだった髪を、後ろからノックする人がいた。
「そんな格好じゃ風邪ひくわよ。まったく、それでも冒険者の自覚があるの?」
 厚手でふわふわのケープを肩にそうっとかけてくれたのは、寝巻き姿にコートを羽織っただけのアリゼーだった。彼女こそ、ふだんから存分に鍛えているからそんなことはないとわかっていても、小柄な体はもっとふわふわに囲まれていないと風邪をひきそうで心配だ。
「アリゼー。眠れないの?」
「こっちのセリフ。水をくみに出たら、あなたがこっそり部屋を出るところが見えたから」
 アリゼーは、寝付けないの? と首を傾げる。装備一式を外して無防備なからだに、ほどかれた細い髪が、絹のような銀糸がふわりとまとわりついている。月に照らされるやさしげな雰囲気に、思わずどきりとした。
 とにおり、思い知る。彼女はアルフィノの双子の妹で、最年少でシャーレアンの魔法大学に入学した天才で、とってもいいおうちのお嬢さまで……ふだんのちょっぴり……いや、かなりお転婆な姿が意外に思えるほど。
 そう、大切に育てられた、女の子なのに。
「今夜は……静かだね」
「そうね。なんだか……さみしい夜だわ」
「アリゼーも、さみしくなるときがある?」
「そりゃあ、わたしだって……たまにはね」
 いるよ。と。思わずその白い手を握っていた。
「アリゼーには、ぼくがいるよ。アルフィノも、みんなも。ひとりじゃない」
「……ええ」
「……おとうさんに会いたい?」
「……わからないわ。今はまだ、怒りの方が強いもの。でも、きっと、……うん、さみしいんだと思う」
「大丈夫」
 大丈夫、と、きっとうまくいく、と、なんの根拠もない言葉に、けれどアリゼーは笑ってみせた。
「あなたがそう言うと、なんだって叶っちゃいそうね!」
 寒いでしょう、とケープを広げてアリゼーを手招きする。素直に近づいてきたアリゼーは、寝巻きのまま木箱のすぐ隣に腰掛けて、そしてケープの端をからだにきゅうっと巻きつけた。
 細いからだがぴたりとくっついて、あたたかな温度がじんわりと染み込んでくる。アリゼーは想像に違わず、子ども体温だ。すこしだけおかしくなる。
「……あったかい」
「ぼくもあったかいよ。アリゼーがいるから」
「もう、わたしがあなたをはげますつもりだったのに……」
 はげまされてるよ、じゅうぶん。
 口にする代わりに、空を見た。
 隣のアリゼーも星を見上げる。
 大丈夫。できるはずだ。ひとつの世界を救った自分たちなら。みんなとなら。……きみがいるなら。
 そう思わせてくれる大きな存在のぬくもりを感じながら見上げる夜は、もう心細くはなかった。

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