ひとびとを昂らせる高揚と、そしてなお隠しきれない不安が渦巻いている。あるものは神経質に手に馴染んだ武器の手入れを何度も繰り返し、そしてあるものは仲間と肩を組み、お互いを励ましあっている。慌ただしく旅立ちの用意を整える志願兵たちで、アラミゴ王宮前はかつてない、妙な熱気と興奮に覆われ、そしてわずかに不安のベールが下されていた。
 イルサバード派遣団。ここにいるほとんどのものが初めて知る雪原を踏み進み、そしてたどり着くためのみちしるべ。
 かつての——今ですら——仇敵とされているガレマルドへ。そこにわずかにでも残る、いのちを掬い上げるために。
 守るために。
 ガレマルドの民も。この派遣団に志願してくれた、数多の兵のことも。
 ——いつも側で支えてくれる、仲間たちのことも。
 ——守れるだろうか。
「ねえ、」
 なじんだ声に名前を呼ばれ、振り返るとコート姿のアリゼーが出立の準備を整えたいでたちだ。
「もう準備はいいの?」
 うん、とうなずく。彼女はタタルから、兄と同じデザインの心が明るくなるような色のコートを託されていた。
「あったかそうだ」
「あなたも。ね、じゃあちょっと休憩しない?」
「休憩?」
「あっちであたたかい薬茶をもらったの。あなたと一緒に飲もうと思って」
 アリゼーは小さなアルミのカップをふたつ、両手に持っていた。ひとつ受け取る。
「気持ちが落ち着くんですって。戦いの前だけど、冷静さも大切でしょ」
 ふうふうと息を吹きかけて、ひとくちすする。独特の苦味と、香ばしさと、ほのかにいくつかのスパイスのかおりがする。ほんのりと甘みが効いていて飲みやすい。
 となりに腰掛けたアリゼーもひとくちすすって、ん、と飲み込んだ。
「……たしかに気持ちは落ち着きそうな味だわ」
「ぼくは好きだけどな」
「あなた、賢人パンだっておいしいって言うんだもの……」
 しばらくふたりで、高揚する志願兵たちを眺めた。光のそばにあるものが、燃え尽きてしまわないように。守らなければならないもの。彼らもその一端なのかもしれない。
 かつては、国を、自由をかけて戦ったこともある。けれど自分は、英雄と呼ばれていたって——ただのひとりの女の子だ。できることを、できるだけ、やってきただけの。その道の末に、こんなにも大切な仲間たちと、そして表裏一体の恐怖を手に入れた。
「バルデシオン分館では、アルフィノとおそろいの服で旅立って、いまはちがう服とちがう武器で戦っているのが誇らしい……なんて言ったけど」
 これじゃすぐにおそろいのコートね。アリゼーが冗談っぽくうそぶく。
 よく似合うよ、と素直にほめると、アリゼーは照れたのか、「あなたも、その、す、すて、……まあいいんじゃない」とぶつぶつ言っていた。
 ——ああ、守りきれるだろうか? このいとしい女の子を。
 自分を英雄と信じてついてきてくれる、この大勢の人々を。
 ——失いたくない。
「ねえ、私の剣」
 ずいぶん懐かしい呼び方に、ぼんやりとよくない暗所をくるくると回っていた意識が呼び戻される。
 ……なんてね。といたずらっぽくアリゼーは笑って、そして腰の細剣に手をかけた。
「もう、つるぎは一振りだけじゃないのよ」
「アリゼー、」
「あなたがなにを不安に思っているか、私、ほんのちょっとだけ……わかる気がする。あなたが怖がっているように、私だって、あなたを失うかもしれないって思うのは、すごくすごく怖いことなのよ」
 だけど、と、飲み終わったカップを重ねて、空いた手がぎゅうっと握られた。あたたかい。
「いまは、私だってあなたの剣なんだから」
 あなたの背中を守ることも、そして見送ることもできる。もう守られるだけの私じゃない。
 ——あなたを守る私でいたいの。
「だから、信じて」





 輜重部隊に帝国側の偵察部隊が襲いかかる。敵は複数。魔導兵器の無力化と、精神汚染された兵士の無力化。
 ページに挟む栞を考えられるほど、簡単な状況じゃない。けれど。
 となりにはきみがいるから。
 たった一瞬、アリゼーと目と目を合わせて、そしてふたりは背中を向けて駆け出した。
 目の前の進むべき明るいほうへと。


▼ (2021.12.4)