渉は笑った。
 この上なく愉快だった。
「フフ……ナハハハハ! お見事です北斗くん! 友也くん! 残念ながらここでお別れのようですねぇ。いずれまた次の私とお会いしましょう……☆」
『待て! ヒビキーガ……ッ!』
 耳障りなノイズ音が高まって、ブツリと言う音と共に限界だった通信が途切れる。
 断絶した北斗の声を惜しむように思わずモニタに伸びた手を、バチリと飛び散った火花が焼いた。あらゆるコンソールが異常を訴え、アラートを発し、物理的に破損している。コックピットの内外から響く大小の爆発音と警戒音で、ここは満たされている。渉の愛機は、なにもかもが限界だった。
 そして、渉自身のからだも。
 喉からせりあがってきた咳をひとつ吐くと、真っ赤な鮮血がバイザーに飛び散った。戦いの衝撃で、肺か肋骨あたりをやられたのだろう。
 しかし恐れることはない。死は終わりではない。ここで渉の存在が消えても、ユメノサキの奥深くに隠された培養槽ではまた新たな渉が目覚める。新たな日々樹渉の――ヒビキーガのはじまりである。そう、渉自身がすでに四人目の「日々樹渉」であるように。
 恐ろしくなど、ないのに。
 すでに約半分が有機体でなくなった渉の脳は、人間の本能などとっくの昔に忘れ去っている。電気装置の回路を走るのは、バックアップされたオリジナルから続くメモリーと、最低限のコミュニケーションのための感情、そしてあらゆるひとびとへの「愛」の衝動。
 だから、こんな感情が湧き上がるなど、ありえないことなのだ。
 かすむ目で、ほとんど消えかけたモニタ越しに渉を壊した相手を見る。
 トリックスターによる反乱が起こるまでの約一年。わずかに時間を共にしただけの彼らと――「彼」と、次に会うのがこの「私」でないことを惜しむだなんて。
「フフフ……フハハハハ! 頼みましたよ、次の「私」!」
 今度こそ、無様に撃墜されるような失態を見せないように。
 ――そして願わくば、ちっぽけで弱くてまだまだ幼い彼に――友也に、一度でも先輩と慕った相手を殺させるようなことには、どうかならないように。
 じきにここも限界のようだ。轟音に揺れるコックピットに身を任せて、渉は目を閉じた。ああ、さようなら、英智。さようなら、わが友。さようなら、愛すべき人々。さようなら、北斗くん。――さようなら、
「――日々樹渉!」
「……友也くん?」
 非常用のハッチをこじ開けて現れたちいさな影に、渉は目を見開いた。
「あんたひとりで死ぬなんて――許さないからな!」



「……おかしな子ですねぇ」
 友也の機体によってふたりが不時着した惑星は、幸運にもユメノサキのテラフォーミングがなされた惑星だった。ユメノサキ植民地惑星第三二九号。しかし反乱が本格化したため移住がはじまることはなく、最低限のテラフォーミング後にそのままほとんど遺棄されたような辺境の星だ。友也の仲間が救助に来るにも当分かかるだろう。
 非常用のバックパックの中身をあらためる友也に、渉は後ろから絡みつく。
「あなた、今では仮にも反乱軍の一員でしょう? ユメノサキ幹部の私なんかを助けちゃってどうするんですか」
「うるさい」
 あんな啖呵を切ったくせに、友也はさきほどからむっつりと黙り込んでうつむいている。
 一言放つたびに、ずきずきと胸が痛んだ。肋骨がやられているらしい。臓器に刺さってはいないようだから、放置してもさして問題はないだろう。
 友也は、後悔しているのだろう。あんな非常事態で、そのまま機体と共に爆散するはずだった敵の男を「つい」コックピットから引きずり出してしまって。
 慕っていた北斗について反乱軍に身を置いているとはいえ、まだまだ幼い、やさしい、ごくごくふつうの子どもだから。かつてユメノサキで、北斗と渉と共に「演劇部」で過ごした時間を忘れられないのだろう。――だから、ちっぽけな情が、彼の中にほんのちょっとだけ残ってしまっているに過ぎない。
「友也くん。あなたが愛しているのは日々樹渉ですか? それとも日々樹渉?」
「……っ」
 「日々樹渉」が人間として生を受けたオリジナルではもはやない、クローン体であることを、友也は知っている。なんの気まぐれか、ある日渉が語ってみせたのだ。
「オリジナルの私を『俺の女神さま』なんて呼んでいましたっけ? あなた。ふふ、かぁわいい……」
「あんたが誰でも関係ない」
 スーツ、脱げよ。と強張った顔で友也がふりかえった。
「骨、いっちゃったんだろ。せめて固定だけでもしないと」
 手には応急処置のキットを抱えている。
 駄々をこねてさんざん抵抗してやってもよかったが――満身創痍の渉でも抑え込むのは赤子の手をひねるよりも簡単なくらい、一年間みっちりと渉が仕込んでやったにも関わらず、いまだに友也の体術はおそまつなものだ。
 けれど渉は、おとなしくジッパーを下ろし、スーツをはだけた。なんとなく、そういう気分だった。
 青を通り越してどす黒く変色した内出血の痕に、大きな目が痛ましそうに歪む。つい今の今まで自分から渉が乗る機体を北斗とともに攻撃しておいて、どうしてこんなにも純粋な顔で渉の心配ができるのだろう? 彼の精神状態が、渉にはたまに理解ができない。
 バンドを巻きながら息吐いて、と言う友也に、渉は大人しく従った。大きく息を吐き切ったところで、手早く友也は固定バンドをきつく巻く。
 反乱軍でも戦闘員というより裏方として動くほうが多いのだろう、やけに手慣れた仕草で渉の応急処置をしながら、友也はぽつぽつとつぶやいた。
「あんたは……ほかのだれでもない、あんたが、俺に語ったよな、昔話を」
「本当かうそかもわからない笑い話をね」
 オリジナルの日々樹渉が生まれてから死ぬまでの、笑い話。そしてテンショウインの手によって甦った、二番目の、三番目の、そして四番目の「私」の、聴くも愚かなスラップスティック・コメディ。
 それを、気まぐれに友也に語ってみせたのは、たしかにそう、渉自身だった。
「それが本当だってうそだって、どっちだっていい。あんたが何人目かなんて関係ない。ただ、そのときふれたものがいとおしくて――」
 ずきずきと肋骨が痛んでいる。骨が刺さってはいなくても、あの喀血では肺もやられているかもしれない。そもそも、体積の半分近くが無機質に置換されている渉のからだは、定期的なメンテナンスを講じなければ長く保ちはしない。
 だから彼がしたのは、結局、大した意味のあることではないのだ。消滅する四番目の日々樹渉の時間をほんの少し伸ばして、五番目の日々樹渉の登場を少し遅らせただけ。きっと彼の救難信号を受けた反乱軍の救助が来るまで、渉のからだは保たないだろう。
 だから。
 だから。
 だけど――そのほんのすこしの時間を、彼とともに過ごせるのなら。
 それも悪くない終わりだと、いまなら思えるのだ。
「だから……俺が愛してるのはあんただよ、俺のことめっちゃくちゃにした、あんた。日々樹渉。」
 友也がそっとヘルメットを脱いで、汗ばんだ髪を振る。ちいさな手が渉のそれにも伸びた。
 長い髪がまるで流星群のように友也を覆い隠す。
 そっとふれて離れたやわらかなくちびるには、渉の生きた証の真っ赤な血が滲んでいた。

▼ (2021.10.3)