いつの間に出来たのかまったく記憶にないが、気がつくと左腕の内側が、ぽつんと熱を持って赤くなっていた。何のことはない、ただの虫刺されだ。なんとなくカユイな、と思ったのが放課後の練習終わりの片付けのときだったから、練習中に蚊に食われでもしたんだと思う。
 人間の身体ってのは不思議なもんで、食われたことに気づいていなかったときには意識すらしなかったのに、ふと目に入って一度気づいてしまうと、それはもう耐え難く痒い。練習中ならそっちに集中して紛らわせることも出来たのに、もう周りの先輩も死んでる黒子を除く一年も、ダラダラと得点板だのボールだのを片付け始めていて、他に気を紛らわせられるようなものもない。もともと蚊に食われない質だからムヒなんかも持ち歩いてないし、気にせずポリポリ掻いてたら、そこはあっという間に腫れて熱を持った。


 そんな調子で着替えを終えて脱いだシャツなんかをバッグに放り込みつつ、空いた手でどうにも痒みの収まらないそこをいじくっていると、横でとろとろとワイシャツのボタンを嵌めていた黒子が、目敏く反応した。
 赤くなったHPでなんとか片付けに合流して体力を再び使い果たした黒子がしばらくぐったり休んでいた所為で、もうオレと黒子以外部室には誰も居ない。日の落ちた放課後、人の少なくなった部室はひんやりしていて、クールダウンを終えた身体で左腕の虫刺されだけがぼんやり熱い。
「どうしたんですか、それ、腕の」
「あ? あー、蚊だろ。たぶん。なんか気付いたら刺されてた」
 真っ赤になってますね、と呟いて、黒子が着替えもそこそこに意味もなくオレの虫刺されをつつく。さっきよりも顔色の良くなった小さい頭を見ながら、そういえば普段、蚊に食われるのはオレよりも寧ろ黒子のほうが多かったなと気付いた。新陳代謝の良いほうが狙われると聞いたことがあるような気もするが、どうだったか記憶にない。でも、蚊だってオレと黒子が並んでれば、白くてやわらかそうな黒子のほうを狙うだろうとも思う。
 根がインドア派だからか、オレと違って夏だからといってこんがり焼けたりしない黒子の男にしては白い肌に虫刺されが出来ると、ぽつっとほんのりピンクになってよく目立つ。そういえば先週も、やたらと腿の虫刺されを気にしていたようで、赤くなってぷっくりしたそこを見るたびに掻いていた。痒かったんだろう。今となってはその気持ちがよーくわかる。
 着替えを終えて、脱いだ練習着を仕舞いながら、黒子が熱を持って敏感になった虫刺されをいたずらにぽてぽてつつく。つか、ちょっと邪魔だぞ。どうせ黒子のこと待ってただけだし、いいけどさ。
「かゆいですか?」
「おう」
 何が面白いのか、赤くふくれた虫刺されをまじまじと見ていた黒子が、唐突に熱を持ったそこに小さい口でちゅうっと吸いついた。
「く、黒子? おい」
 無理矢理引きはがせばいいのか、大人しく従えばいいのか、わからずに面食らっているオレをまるっと無視して、黒子が熱くなった肌をちゅうちゅう吸い上げる。小さい舌で虫刺されをぺろっと舐めて、尖らせた舌の先っぽでじゃれるみたいにつつく。濡れた咥内は、オレの肌が熱を持っている所為か、少しつめたく感じる。ぜんぜんそんな雰囲気じゃないのに、堅い歯で腫れたぽっちを甘噛みされると、痛いのか気持ち良いのか一瞬わからなくなって、ぞわっと背筋が粟立った。
 しばらくオレの腕を抱え込んでぺろぺろちゅうちゅうやったあと、満足したのか、黒子はしれっと何事もなかったみたいに顔を挙げた。
「……何」
「舐めると痒くなくなるって聞いたことありません?」
「ねーけど」
「ふぅん」
 つっけんどんに返しても、黒子は特に動じた様子も悪びれた様子もなく、違ったかな、なんてのんびり呟いている。どこまでもマイペースな姿に、もしかして今までもこんなことやってたんじゃねーだろうな、と嫌な予感がして、思わず暢気に自分のスクールバッグを肩に掛けようとする腕を掴んでいた。
「オマエさあ……」
「はい」
 黒子は自分がさっきやったことの意味もわかってないようで、頭上にハテナマークでも浮かべてそうな顔できょとんとしている。
「火神くん?」
「…他のヤツにもこういうことやるわけ?」
 こいつが気安くこうやって触れるような、オレ以外のヤツ。思い浮かぶヤツはいろいろと頭に浮かんでいたが、わざわざ口に出して言うのもいやらしいような感じがして、わざと言葉を濁す。そうでなきゃオレにこんなことするわけねーだろ、って自分で思うくせに、心のどこかでは違うって言えよ、って考えていた。こんな風に、唇で触れるのはオレだけだって。他のヤツには、触ったことなんかないって。
 黒子はオレの苦々しそうな顔をびっくりした表情で見上げて、結局拗ねたように顔を顰めた。わざとらしく視線を逸らして、おおげさにため息を吐く。オレに掴まれていた腕をぐいと引いて、教科書の詰まった重そうなスクールバッグを左肩に掛ける。
 そのまま部室を出て行こうとする黒子の肩を掴んで、慌てて引き寄せた。まだ答えを聞いてない。
「おい、なんだよ、ハッキリ言えよ!」
「……他の人にするわけないじゃないですか、火神くんの、にぶちん」
 口を尖らせて、拗ねた口調で言われた言葉の意味がわかって、がちんと固まった。思わず手を離す。
 くるりと背を向けて部室を出ようとする黒子の、いつも白い耳がずいぶん赤くなっているのが見えて、知らず知らずのうちに顔がにやけた。たぶんオレの顔も同じような色になっているんだろう。だって、さっき舐められた場所も、熱くなってじんじんしている。
 とりあえず、その言葉の本当の意味をちゃんと聞かなきゃなんねーよな。体力を使い果たしたあとの黒子を捕まえるのは、子どもでもちょろい。
 いつの間にそうなったのかまったく記憶にないが、気がつくとお互いに向けるハートがぽつんと熱を持って赤くなっていた。たぶん、そういうことだろう。
 オレも、アイツも。
 

▼ (13.7.18)