恋をしているらしい。
 誰がって、黒子が、オレに。
 つい一ヶ月前、黒子がオレに好きだと言った。練習終わり、七時の五分くらい前。いつものあの公園で。薄暗闇の中、あいつが目を伏せて、薄い色のまつげが街灯に照らされて陰を落としていたことや、オレの言葉を待つあいつが息を呑んで、意外とごつごつした喉仏がごくんと動いたしぐさまで覚えている。
 なぜかって、それは、オレも黒子に恋をしていたからだ。

 いつもじっとオレだけを見つめて逸らさない透きとおった瞳が、触れるたびに揺れて熱を持つのが好きだった。「火神くん」とオレを呼ぶときの、無味無臭ないつもの声とは違う、甘いようなじゃれつくような響きが好きだった。案外、息を呑んでしまうほど男臭い面を持つこの男が、時折見せる臆病さが、繊細さが好きだった。
 気がついたらもう、オレの前には黒子しかいなかった。
 黒子は意外とよく笑う。それから、同じくらいよく怒るし、拗ねる。故意なのか無意識なのか、自分から誰かに喜怒哀楽を伝えようとはしなかったが、聞けばちゃんとレスポンスは返ってきた。うれしいです。ボクはイヤだ。火神くん、ひどい。そういう黒子が無防備に見せる感情を、オレが全部見つけて大事にしたいと思った。


「火神くん、ボクは」

 いつもと同じ練習終わり、なんとなく帰る気にならなくて、二人で初めて黒子とボールをやりとりした、黒子が誠凛の一員としてコートに立つと言ったあの公園の野外コートでとりとめもない会話をダラダラ引き延ばしていたとき、ふと言葉が途切れた瞬間に、黒子がオレを呼んだ。やっぱりそれまでとは違う、心にちくっと刺さる響きだった。
 呼んだくせに、黒子はくちびるを閉じたようだった。オレを仰ぎ見て、まるでまぶしいものを見るみたいに目を細めて、かすかにどこかが痛むように眉を寄せた。だけど視線だけは逸らさずに、あの目でオレを見つめて、躊躇うことなく好きだと言った。

「ボクは、キミが好きです」

 自分で言ったくせにはっと息を呑んだ黒子の喉仏が、ごくんと大げさに動いたのがまだ目に焼き付いている。
 判決が言い渡されるのを待つ罪人みたいな顔で、黒子は突っ立っていた。さっきまで無邪気にオレの袖にじゃれついていたずっと細い腕は、薄い身体の横で力を無くしてだらんと垂れ下がっていた。諦めるなよ。差し出せばいいのに。そしたらオレは、オレたち結構気合うじゃねーか、ってその手を握ってやるのに。
 だから、黒子があんまり悲しそうに諦めるから、オレはその頬に触れて、驚いたように顔を挙げた黒子にキスをした。



 そういうわけで、両想いだ。
 つまり、晴れていわゆる恋人同士になったはずだ。
 誰がって、そりゃ、オレと黒子が。……たぶん。
 弱腰になってしまうのは、あんまりにも黒子の態度がらしくないからだ。

 お互いに同じ気持ちだと解ってからの黒子は、どこか冷たい。というよりも、そっけない。あいかわらずよく観察していれば、素直に笑うし、わりとすぐに怒るし、子どもみたいに拗ねる。それはずっと変わらない。
 だけど、たとえば不意に視線がぶつかったとき、いままでなら目が合って、そしてやわらかく微笑んでいたはずの黒子が、ここ最近じゃオレを見て、何もなかったみたいな無表情で文庫本に視線を落とすのだ。前なら授業の合間や練習の休憩中や、ふとした瞬間にいたずらにじゃれてきたはずの、ひんやりした意外と硬いてのひらにもしばらく触れていない。
 そういう風に、ちょっとした時間にやさしく心に触れさせてくれていたはずの黒子が、どうしてか急にそっけなくかたくなになった。
 そのくせ、いままでと同じように、気がつけばいつも横にいるもんだから手に負えない。

 オレのことが元々そんなに好きじゃなかったのか、実際に付き合ってみて、「やっぱり違う」と思われたのかは解らない。だって、オレはまだ黒子のことをちっとも知らないからだ。
 そりゃ、影が薄いとか、あんな小さくて子どもみたいなナリしてけっこうやるときはやるとか、見た目は人畜無害なのに案外短気だとか、バニラシェイクが好きだとか、笑うと目元がやさしく緩んで、うすい色の睫毛が透きとおった瞳に陰を落として、たまらなくなることとか、知ってることだってある。
 でもオレと黒子は、結局高校で出会ったばかりのまだ浅い付き合いだ。気付かないうちに黒子の嫌がることをしてたり、愛想尽かされてたりするのかもしれない。もしそうなら、もちろんあいつに見直してもらえるように頑張るけど、それにしてもオレは気付いてしまった。オレが、黒子のことをちゃんと知ってないってことに。
 これから気付いていけることや、発見していくことだって、沢山あるだろう。だけど、一度見つけてしまった気持ちは無視できない。オレと出会うまで、黒子がどういう人間だったのか。本当なら知ることのないことまで、知りたかった。それが黒子のことなら。

 だから、聞くことにしたのだ。
 





「黒子っちが冷たい?」

 190近くあるデカイ男のくせに、小首をかしげるなんて動作が違和感無く似合うんだから、コイツはそういう意味ではけっこうスゴい、と思う。
 図体がでかいからか、オレもわりと人に見られることが多いけど、やっぱ黄瀬がいるときのそれは普段の比じゃない。黄瀬のことを知ってるヤツなのか、それとも整った顔とスタイルが人目を惹いているのか、いつもよりざわついたファーストフード店はどこか落ちつかない雰囲気だ。
 海常の練習も午前で終わるらしい日曜、午後から仕事があるという黄瀬に、昼間付き合ってもらうことになった。練習終わりにみんなと食べてきちゃって、と言う黄瀬の前のトレイにはアイスティーが一つと、ポテトのMサイズ。よくそれで夜まで保つなと言うと、火神っちが食べ過ぎなんスよ、って黒子みたいなことを言う。

「ケンカでもしたんスか?」

 心配そうに眉を寄せながら、黄瀬がまだ熱いポテトをくわえる。ファーストフードのポテトを摘むしぐさまでなんとなく画になるなんて、嫌味なヤツだ。

「してねえ。……と思う」
「なんで曖昧!」
「オレはそんなつもりねーけどよ、アイツにとっては腹立つことだったってこともあるだろ」
「うーん、黒子っちはそういうの、ハッキリ言うタイプだと思うけど…」

 確かにそうだ。自分の感情は積極的に表に出さないくせに、わりと短気な黒子は、自分の憤りや間違ってると思うことは物怖じせず口に出す。

「オレもそう思う。だからさ、もしかしたら……冷静に考え直したら、やっぱりオレのことそんな好きでもなかったけど、自分から告白した手前言い出せない……とか」
「ナイナイ! それは絶対ないっ! 黒子っちあんたのこと大好きだし!」

 正直あり得てほしくないばかりに、オレがつっかえつっかえ言った言葉を黄瀬がすごい剣幕で否定する。

「なんで断言出来んだよ」

 きっぱり「大好き」と言われて内心満更でもなかったものの、やっぱり今の黒子の態度を見てると手放しに信じて喜べない。つーか、黒子に関してオレが信じきれないことをコイツが断言できるって、ちょっとモヤモヤするぞ。
 指についた塩をナプキンで拭った黄瀬は、なんだか悔しそうな、羨ましそうな顔をしている。

「俺の知ってる黒子っち、自分の身の置き場なんかどうでもいいっていうか、諦めてるっていうか……そういうのに興味なくしちゃった感じだったのに、火神っちのとなりだけは絶対誰にも譲らないんだもん」
「そりゃオレの横にいると見つけられやすいから…」
「そういう物理的なことだけじゃなくて!」

 はあ、とため息をついて、呆れた顔がオレを見た。男のくせにやたらと長いまつげの下の目は、日本語のそういう細かい含みになかなか気付けないオレに、ちょっと困ってるようにも見える。
 そういえば黒子も、男にしてはまつげが長い。長いって言うよりも、多いのか。普通にしてると地味な顔なのに、ふと上から見下ろしたとき、目を伏せた黒子のまつげがしっとり濡れてあのうすい色が光を受けているのを見ると、思わずぐっときてしまう。
 そういう、場所の話じゃなくって、とまた黄瀬がポテトを摘む。

「ホントに、火神っちのとなりに立てる…相棒とか、影とか、そういう立場に執着してるんだなって、見てるだけでわかるよ」
「執着もなにも……」

 オレの影はアイツだけで、それはこれからも変わらない。オレはそう思ってるけど、黒子にとっては違うんだろうか? オレがいつか離れていくことに、怯えてたりするんだろうか? あの、まっすぐオレを見つめる、気丈な黒子が?
 それは……それは、なかなか悪くない感覚だった。

「わっ、ゴメン、俺そろそろ行かなきゃ」

 ちらと腕時計を見て慌てはじめた黄瀬にオレも時間を確認すると、確かにもうそろそろ午後の遅い時間になるところだった。たとえざわついた店内でも、お互い黒子の話になると、時間も忘れて話し込んでしまうらしい。
 時間に追われる黄瀬を見てると、わざわざ呼び出したことに罪悪感を感じる。みんなとメシ食ってきたって言ってたし、本当はやっぱり学校のヤツらと過ごしたかったんじゃないだろうか。

「こっちこそ、時間取らせて悪かったな」
「ううん、火神っちとこうやって話すことってあんまなかったけど、けっこう楽しかったっスよ」

 賑やかな黄色い頭の男は慌ててアイスティーのカップとポテトの袋をゴミ箱に押し込むと、また誘って、と爽やかに笑って帰って行った。

 なんだかんだで、あいつも悪いヤツじゃねえんだよな。
 ……でも結局なんだか、ひとしきり羨ましがられるだけで終わってしまった気がする。
 しゃーねえ、次だ、次。






「……何故そこで俺を選ぶのだよ。俺はあいつとは気が合わん」

 また次の土曜、気を利かせた黄瀬が連絡をつけてくれた緑間は、めちゃくちゃ不機嫌そうなツラで、でも黄瀬の指定した時間に指定した喫茶店で待っていた。時間ちょうどに着いたときにはもうあの仏頂面が席に通されていたから、むしろ、約束よりもちょっと早い。
 緑間を選んだのは、あのあと『火神っち、俺、緑間っちにアポ取ろーか??黒子っちの話相談したいんスよね??(>ω<。)』ってメールを送りつけてきた黄瀬であってオレじゃないんだが、緑間にとってはそんなことどうでも良いらしく、注文を取りにきたウェイトレスに眉間を引きつらせたままダージリンを注文している。

「ウソつけ、お前らけっこう仲良いだろ。あいつこの間お前に薦めてもらったって本読んでたぜ」
「作家の趣味は合うだけだ」

 ウソつけ。
 嫌なら来なけりゃいいのにわざわざ練習もない休日にオレに付き合ったり、気が合わないと断言する黒子に本を薦めたり、いちいち無駄に律儀なヤツだ。
 黄瀬と同じで、コイツも悪いヤツじゃねえよな。ちょっと……どころじゃなく、ムカつくところはあるけど。
 オレもウェイトレスにコーラを頼んで、さて、と緑間に向かい直る。

「俺にはお前の世話まで焼いてやる義理などない」

 一言目からそれかよ!
 こっちが話し出す前に出端を挫かれて、ついいつもの勢いで言い返しそうになったのを、ぐっと我慢する。オレはわざわざ休みの日にこいつと仲良く顔あわせてケンカしに来たわけじゃない。

「オレのってことは、黒子の世話なら焼いてやんのか?」
「あいつが勝手に話し出すだけだ」

 適当に言ってみたのに、けっこう緑間は面倒見良いヤツだったらしい。つーか、黒子もコイツのこと散々苦手だとか言っておきながら、小説の話したり相談を持ちかけたり、むしろ仲良かったんじゃないのか。
 そこらへんを突っ込んでやろうと思ったものの、ちょうどウェイトレスがダージリンとコーラを運んできて断念する。
 輝度の高くない照明の照らす落ちついた店内はモダンな雰囲気で、客の年齢層も高そうだ。会話の邪魔にならないボリュームで、しっとりしたピアノ、それにギターのジャズが鳴っている。黒子の好きそうな喫茶店だ。今度連れてきてやったら、喜んで数時間でも読書にふけるかもしれない。

「なあ、黒子はお前にどういう話するわけ」

 よく冷えたコーラをストローで吸い上げて、ティーカップを持ち上げていた緑間に聞くと、ヤツはふん、と不愉快そうに息を吐いた。

「黒子はお前の前でだけ腑抜けになるのだよ。情けない」
「腑抜け?」

 オレの知ってるかぎり、黒子は腑抜けって言葉の対局にいるような男だ。率直で、芯が強くて、容赦がない。オレの前でだけ腑抜けになる、と言われてもそんな覚えはまったくないし、イメージも湧かない。

「あれは強い男だ。中学時代からな。そのことは俺も認めていた」

 一息紅茶を飲んで、緑間のティーカップがかちゃりと小さく音を立てる。

「だが、その黒子がお前を前にすると途端に軟弱さを見せる。この俺をわざわざ呼び出しておいて、またお前と喧嘩をしただの憎まれ口を利いてしまっただのと下らん話を延々……」

 やっぱお前ら仲良いじゃねーか、と思わず突っ込みそうになってしまった。まさかとは思っていたが、最近までコイツに相談してるのかよ。
 黒子が緑間に相談を持ちかけている場面を思い浮かべようとして、けっこうすんなり想像出来てしまった内容に笑いそうになる。きっと、不機嫌そうな顔でイライラしている緑間を尻目に、黒子は自分の言いたいことを言いたいだけマイペースに告げているんだろう。『いい加減にするのだよ!』とかコイツがキレそうになったら、『いいじゃないですか、緑間くん。それでですね』とかなんとか言って。

「やはり恋愛感情など、人間を愚かにするだけなのだよ」

 苛立たしそうに吐き出した緑間の目が、眼鏡の奥で眇められていた。

 それにしても黒子と緑間がけっこう仲良いって、意外だったな…。
 なんとなく、黒子がオレに愛想尽かしたりはしてないって、やっと解ってきた。
 でもやっぱり、黒子のことを知る以上、アイツにも声を掛けないわけにはいかないだろう。






「つーか火神お前、テツともうヤッたのかよ?」

 さっ……最低だ、コイツ。
 一日練習のなかった土曜日の夜、マンション近くの公園の野外コートに呼び出した青峰は、いくら真っ昼間じゃないとはいえまだ子どももそのへんを歩いてそうな時間帯に、オレの話を聞くなり最低な一言を言ってのけた。
 青峰のプレイは最高だと思うけど、どんだけバスケがスゴくても言うことはやっぱ最低だ。今までの話聞いて開口一番それって、思春期の中学生かよ。ガキじゃあるまいし。
 『土曜夜ヒマか?バスケしねえ?』って前に黒子から教えてもらった青峰のアドレスに送ったメールには、ピースサインの絵文字が一つだけ返ってきた。あんな見た目と性格のくせに、メールだけはやたら可愛らしい。黒子の言った通りだ。
 目的があって青峰を呼び出したものの、コイツと一緒にコートに立つとやっぱり血が騒いでしまう。ひとしきりボールを取り合って、お互い息も切れはじめたところで休憩がてら話をしたら、さっきまで息の荒かった青峰はもう興味津々、って感じでボールを回しながらオレに突っ込んできた。

「セックスどころか、キスも一回しかしてねーよ」
「なんだよ、帰国子女っつーから、もっとこう…すげーのかと」
「帰国子女関係ねーだろ!」

 プライベートで不躾な質問に渋々答えてやったのに、ガッカリしたみたいにため息を吐く青峰に腹が立つ。何が「期待したじゃねーか」だよ!

「つか、実際スゴかったとしてテメーに言うわけねーだろ」

 黒子の元相棒で、オレの前の光。黒子を通していつも透けて見えるコイツに、どうしたって闘争心を抱かないわけがない。バスケでも、それから、黒子のことでも。
 黒子が、オレの名前を呼ぶのと同じくちびるで「青峰くんが、」とコイツの名前を口に出すたび、胸がざわついた。べつに黒子がオレの前にコイツとどうこう、って疑ってるわけじゃない。仮にもしそういう事実があったとしても、もう昔のことだし。
 でも、黒子の中の根っこの部分に青峰がしっかり根を張って絶対に消えないことは、少なからずオレに影響している。こうして、なにかとコイツに張り合ってしまう程度には。

「おーこわ」

 全くそんなこと思ってなさそうな顔でにやついた青峰が、ボールを投げて寄越す。

「安心しろよ、オレとアイツはお前らと違ってマジでバスケ以外じゃ合わなかったから」

 あとオレ、おっぱいねーとダメだし。いや、おっぱいはねーとダメだろ、いくらテツでも。
 ぶつぶつ付け足された呟きに思わず脱力して、ボールをぶん投げたくなる。マジで最低だ、コイツ。

「最低ですね、青峰くん」
「…黒子!?」

 突然聞こえた耳馴染みのある涼しげな声にぎょっとして振り返ると、オレの後ろからひょっこり顔を出すようにして、青峰を非難する黒子がいた。ちょっとそこまで出るような簡単な恰好をしていて、見覚えの無い斜め掛けのバッグは重そうに膨らんでいる。

「何してんだよ、こんなとこで」
「図書館の帰りです。火神くんは……青峰くんとバスケですか?」

 ボクのこと、放ったらかして? とでも言いたげな表情。
 確かに、黄瀬にはじまって元帝光のヤツらに話を聞いていた間、いつもならたとえ数時間でも練習終わりには必ずと言って良いほど誘っていた黒子を、ここしばらく放ったらかしにしてしまっていたのは事実だ。抗議するような、拗ねるような眼差しに罪悪感がじわじわ募る。
 だけど、わかりやすく拗ねた顔で、子どもみたいに上目遣いにじっと見上げられると、そんな罪悪感も超えて愛しさが勝ってしまう。

「……火神の前だとテツもそんな顔するんだな」

 面白そうにオレたちの様子を見ていた青峰が、ふと吹き出してにやけた。

「火神のこと取っちまって悪かったな、テツ」
「そう言うなら次からはボクも誘ってください」
「わりーわりー」

 ちっとも反省していなさそうな声で返事をする青峰が、ちょっと眉を寄せた無機質な顔で恨めしそうに言う黒子の頭をぐしゃぐしゃ撫でて、ぐいぐい抑える。その乱暴な動作に文句を言われながら、横に立つオレのほうへ顔を寄せて、ささやいた。

「テツのヤツ、相当お前にまいっちまってるぜ」

 じゃーな、とだけ言って、そのまま行ってしまう。ボールを抱えて公園を出て行く青峰に慌てて振り返って声をかけても、ひらひら手を振って去っていくだけだった。
 残されたのは、突っ立っているオレと本で膨らんだ鞄を抱えた黒子だけだ。
 そして明日は、午後からの練習のみの日曜日。

「あー……ウチ、来るか?」

 横目で捉えた黒子は、いつもみたいに、はい、と嬉しそうに笑っていた。

 結局、三週間も掛けて、なんで黒子が最近オレに冷たいのか、という疑問の答えが出ることはなかった。あいつら、揃いも揃ってテキトーな対応しやがって。
 でも、なにも収穫がなかったわけじゃない。むしろ、良いこと聞いた…っていうか。
 なにせ三人が三人ともに、「自分の経験からして、黒子はお前のこと大好きだぜ」ってお墨付きをもらっちまったんだから。






「最近、みんなと仲が良いんですね」

 オレですら重そうな本のたっぷり詰まった鞄を床に置いて息を吐いた黒子が、ソファに腰掛けてオレをじとりと睨んだ。

「ん?」
「黄瀬くんに聞きました。黄瀬くんとマジバに行ったり、緑間くんと良い感じの喫茶店に行ったり、で、今日は青峰くんとバスケ」

 今度はハッキリ「ボクのこと、放ったらかしにして」とかわいいくちびるを尖らせて、甘えるみたいな咎めるみたいな声で黒子がつぶやく。
 拗ねた顔にたまらなくなって黒子のとなりにどっかり腰掛けると、あからさまに「ボクは怒ってますよ」みたいな態度で顔を逸らされた。かわいい。
 黒子がオレの前でだけ見せる執着や、臆病さや、表情、それから独占欲。あいつらから聞いたそんなものがぐるぐる頭を回って、頬が上がるのを我慢できない。そのくせ、目は細まって、にやにやと下がっているのが自分でも解る。

「なあ、それってヤキモチ?」
「さあ?」

 怒ったふりでそっぽを向き続けていた黒子が、ちらっとオレを振り返って、思わずといったふうに顔を緩める。

「火神くん、かっこわるい顔してます」
「どんな顔だよ」
「ニヤニヤして、真っ赤になった、情けない顔」

 どんな顔だよ、それ。つーか、黒子だって同じような顔だろ。
 黒子は自分が嫉妬したことにオレが喜んでにニヤニヤしてるのが嬉しいのか、恥ずかしいのか、目元を赤くしてにやけそうなくちびるをもぐもぐさせている。
 もっと近くに居たくて、お互いの体温がわかるところまで距離を詰めると、息をのんできゅっと下唇を噛みしめた黒子が、そっとオレの左手に触れた。胸が大きく跳ねる。シャツ越しに伝わる黒子の体温がもどかしい。いつもひんやりしていた手のひらも、となりでぼやけた体温も、心なしかいつもより熱く感じる。ひさしぶりに、じっと目が合って心が触れ合った気がした。

「お前にしか見せねーんだから、いいだろ」
「バカ」
「嬉しいくせに」

 照れ隠しに憎まれ口を叩いて、すっぽり手のひらに収まるサイズの手を、ぎゅっと握った。やさしく握る余裕なんかない。指先から心臓のドキドキが伝わって、呆れられてしまいそうだ。なんだか手のひらが汗ばんでいる気もする。

「……うれしいですよ、うれしいから、困るんです」

 オレの手を同じくらいきつく握り返して、黒子があのまぶしいものを仰ぐ目でオレを見た。

「せっかくキミに情けないところ見せたくなくて、恰好付けてたのに」
「恰好付けてた?」

 黒子の言う意味がいまいち理解出来なくて、首を傾げる。

「ボク、まだ火神くんがボクと同じ気持ちだって、信じられなくて…火神くんが言葉や行動にしてくれるたび、うれしくて」

 黒子の節ばった親指が、指の間に絡んだオレの太い指をそっと撫でる。
 節をなぞる動きがそのまま直接心臓をぎゅうぎゅう撫でているようで、早くなった鼓動がぜんぜん元に戻らない。

「しあわせで、溶けちゃいそうで、さっきのキミみたいなだらしない顔になりそうなので、すごくがんばって堪えてたんです」

 それなのに、ぶち壊しですよ、もう。
 何気なく酷いことを言いながら、黒子は怒ったように頬を膨らませて、オレの肩に頭を摺り寄せた。もう我慢する努力は止めたらしい。やわらかい髪が乱れて貼り付いた頬は、熱を持って紅潮している。火神くんのせいですからね、と見上げてくる目は、見たことないくらいだらしなくとろけて甘い。

「最近お前がちらちらそっけなかったのって、そういう理由かよ…」

 なにか悪い理由で頑なだったわけじゃないことに、まず安心した。なんだよ、だらしない顔になりそうだから我慢してた、って。そんなもん、我慢なんかしなくても良いのに。なにもかも、情けない、だらしない溶けた黒子ごと、オレにくれれば良いのに。
 だって、黒子はオレの恋人だから。

「ボクだって男ですから、好きな人には恰好付けたいんです」

 じ、とオレの目を見つめる、透きとおった目。
 コイツが男らしいヤツだって、そんなのオレが一番よく知っている。意外と固くて節くれだった造形。透けてしまいそうな外見のわりに、こっちが驚くくらい男臭い中身。そういうところだって、オレが黒子に惹かれた理由の一つだ。

「バカ、そんなことしなくても、オレにとって一番カッコいいのはお前に決まってんだろ」

 リップノイズを立てながらこめかみに口づけてささやくと、視界の端の白い耳がさっと赤く染まる。
 まあ、もちろん、オレにとって一番カワイイのもお前なんだけど。
 あんまり黒子がオレの心をぎゅっと掴んで放さないもんだから、オレはその頬に触れて、驚いたように顔を挙げた黒子に二度目のキスをした。

▼ ちなみに火神くんは黒子くんに手を出す気満々ですが、もちろん黒子くんも火神くんに手を出す気満々です。タイトルはAstrometry Minusさまから(13.8.2)