しあわせは、ほんの少しに宿るのだ。
 たとえばボクは、火神くんの作ってくれる親子丼の、くたくたになった甘めのたまねぎなんかが好きだ。むしろメインの親より好きかもしれない。出汁の染みたご飯と一緒にほおばると、食べ物に対してあまり食指の動かないボクでも頬が幸せでいっぱいになってしまう。市販の麺つゆを使ったお手軽レシピのはずのそれは、なぜかいつもちょっと甘いような不思議な幸せな味がする。火神くんの料理はいつもそうだ。だからボクは火神くんの料理が好きだ。
 だけど、じゃあたまねぎと油揚げばかりの卵とじ丼を作ってやろうかと火神くんに言われたとして、ボクは首を振るだろう。しあわせは、ほんの少しに宿るのだ。あくまでもたまねぎは脇役、影である。親子丼の主役、光はその親たる鶏肉と子たる玉子であって、たまねぎであってはいけない。そのほんの少しの脇役に、ボクの幸せは宿るのだ。

 めずらしく饒舌にそう力説するボクに、火神くんはまだ不満げな顔をしている。
「それとこれとは別の話だろ」
 床暖房のよくきいた清潔な部屋からボクを帰したくない家主の火神くんは、さっきからずっと動物なら不機嫌にぐるぐると喉でも鳴らしていそうな表情で、屁理屈を並べ立ててはボクがスニーカーを履くのを許してくれない。曰く、もう遅いんだから泊まっていけばいいだろ。曰く、こんなに寒い日にわざわざ時間をかけて帰ることないだろ。曰く、今日は特別な、クリスマスなんだから、朝まで居たっていいだろ。
 火神くんはわかってない。そもそもボクは、クリスマスだから、記念日だから、といって必ずしもそういう雰囲気を作らなければいけないわけでもないと思う。ただでさえボクらは同性同士のマイノリティだ。お互いが傷つかないように交際は注意深く進めたいし、それを抜きにしても、ボクは火神くんをもっとゆっくり大切にしたいのだ。
 会えない時間が愛をなんとか、という言葉がある。火神くんはもちろん知らないだろう。「会いたいなら会えばいいだろ」とさえ言うかもしれない。そういう素直で単純なところはボクの愛する火神くんの美点のひとつだけど、これに関しては異を唱えざるを得ない。
 キミの夢を見て、じっとしていられずいつもよりずっと早く家を出た日の朝。帰り道、別れてから、ふと振り返ってキミがぽつんと街灯の下で、らしくもなく心細げなまなざしでボクを見つめていたときの、今すぐ駆け戻ってその手を握りしめようかと逡巡する気持ち。そういうものが育てるなにかだって、きっとほんの少し存在する。
「おまえの言ってること、いつもよくわかんねえ」
「ボクが言いたいのは、つまりキミが好きだってことですよ」
「オレを好きなら帰るなよ」
「火神くん…」
 強情にボクを抱きすくめる腕に、困ってしまう。
「……ボクをこれ以上欲張りにさせないでください」
 ほんの少し、ほんの少し。そうやってちょっとずつ我慢をしないと、ボクはもっともっと欲張りになってしまう。大切にしたいのは嘘じゃない。火神くんについて考えるときのこの気持ちは、きっと他のどれとも比べ物にならないくらいきらきら輝いているだろう。だけど、それらひとつひとつが叶えられてしまったら、きっと際限なく求めてしまう。そうして高じて、いつか嫌われてしまうのが怖い。だから欲張りなボクには、足りないくらいでちょうどいい。そうして足りない時間で恋をふくらませるのだ。
「黒子は、もっと欲しがれよ」
 ボクの髪に頭を埋めた火神くんがぶっきらぼうに呟く。そうやって、火神くんがボクを喜ばせるようなことばかり言って甘やかすから、一生懸命我慢しているボクは戸惑ってしまう。
 テーブルの上ではスノードームが静かに偽物の雪を散らせている。趣味じゃねえかもだけど。そう言って火神くんがくれたクリスマスプレゼントだ。真っ白な雪が舞う中には、ちいさなかわいらしい家と、その家主らしい赤毛の幼い男の子。隣にはまんまるな目をした、ちょっと無愛想な顔の雪だるま。火神くんは、この雪だるまがボクに似ていると言った。あんまりおまえみたいな目でオレのこと見るから、気付いたら買っちまってた。火神くんはたまに、ちょっとカワイイ言い方をする。だったらその隣のかわいい赤毛の男の子は、もしかしたら火神くんだろうか。
 クリスマスは家族と過ごすものだと言っていた火神くんが、初めての家族以外とのクリスマスを、ボクと一緒に過ごしてくれた。それだけでもう胸がいっぱいになってしまうのに、これ以上幸せなことが続いたら、ひょっとするとこの心はあんまりの幸福にはじけてしまうかもしれない。もっとワガママになってしまうかもしれない。
「オレがおまえと一緒に居たいんだよ」
 だけど、火神くんがボクの髪にやさしくキスをするから。あのスノードームの中の世界みたいに、隣に居てもいいのだと抱きしめてくれるから。あとほんの少し。ほんの少し。雪の世界からボクたちを見つめるまんまるい目に心の中で言い訳をして、暖かい腕の中で、その胸に頬を摺り寄せる。
 しあわせはきっと、ほんの少しに宿るのだから。

▼ 黒子さんは、自分にいろいろな自制を強いてその範囲内での恋愛を楽しめるという意味では、マゾの気質があるのでは、と思います。火神くんなんかは自分の欲求に素直だから、そういう楽しみ方を知ってはいても理解はできないし、我慢もできない(13.2.9)