体育館の入り口からしばらく続いていた校舎の影から出ると、むわっとした熱気が全身を包んだ。今日も東京都は絶賛真夏日である。生き急ぐみたいに忙しなく鳴くセミの声が耳に痛い。誰ともなしに、暑さを訴える意味のない声が漏れた。
 高校生なら誰もが心待ちにしていた夏休みだが、インターハイを控えた俺たちバスケ部にとってはあってないようなものだ。本日は午前中の涼しいうちから体育館にて練習、昼過ぎに解散、ってスケジュール。外は太陽が一番元気な時間帯で、日向と日陰のコントラストが目に眩しい。さっきシャワーですっきりした身体も、校門をくぐるころにはもう汗だくだ。黒子なんか、日陰を出て五メートルで既にうんざりした顔をしていた。


 目玉焼きが焼けそうなくらい熱されたアスファルトの上を、一年五人でダラダラ歩く。心なしか車道上の空気がゆらゆらしている。ほんの少し傾いた太陽は真正面から肌をじりじり焼いて、西に向かって遥か涼しいファストフード店へ鈍く歩みを進める俺たちの顔に厳しく降り注いでいる。
 気休め程度にそよいでいる風も、茹だった空気の中じゃいっそ逆効果だ。頭のあたりが熱でぐらぐら落ちつかない。脳みそまで沸騰してとろけてるみたい。
「あ”あー俺もうカキ氷食いたいとか言わない、この際カキ氷になりたい。メロン味のカキ氷」
 部室を出たあたりからしつこくカキ氷が食いたいカキ氷が食いたいと呟いていた福田が、とうとう耐えられなくなったのか、だらしなく溶けそうな声で意味不明なことを呟いた。
「なんじゃそりゃ、俺レモン」
「俺みぞれ~」
 持参したうちわで顔を扇いでいた河原が突っ込みつつ、レモンと乗ったのに俺も便乗する。カキ氷といえばやっぱりみぞれだ。地味だのなんだの言われようと、シンプルイズベスト。キンキンに冷えた氷の冷たさと甘ったるいシロップの味が舌の上にぼんやり思い出そうとして、むわっとした空気が思考の邪魔をする。
 ろくな日陰もない都市部の住宅地は、エアコンの室外機が懸命に唸る音と絶え間ないセミの声の洪水で、実気温よりずいぶん暑く感じる。
「火神は?」
「ブルーハワイ。そういや引っ越してからずっと食ってねーな」
 首にタオルを引っ掛けた火神も、カキ氷の味と冷たさを思い出そうとして失敗したのか、ヘンな顔をしている。
「マジ? アメリカってカキ氷売ってねーの?」
「あるっちゃあるけど、あっちのスノーコーンって氷が粒になってて、やっぱ日本のカキ氷とは別モンだよ」
「なんか色も凄そうだよな、アメリカンって感じ」
 前に火神が向こうのお土産で買ってきてくれたお菓子を思い出して、三人で引きつった顔で笑ってしまう。生まれてから日本に引きこもりっぱなしで生きてきた男子高校生にとって、青いカップケーキやら赤いクッキーなんかは素直に楽しむにはちょっとハードルが高い。
 いつもなら火神の手から与えられたものなら、しかもそれが甘いものなら喜んで口を開く黒子も、さすがに緑のグミを差し出されたときには引きつった顔をしていたのを見て、思わず同情してしまったのも記憶に新しい。
 日本のカキ氷だって大概似たような色してんじゃん、と若干不満げな火神に、校門を出てすぐの家に貼ってあったお祭りのポスターの存在を思い出して、一瞬暑さを忘れた。
「そういやさ、今日夕方から学校の近くの神社で夏祭りやるじゃん! 俺らで行かねえ? カキ氷食べに!」
 長いことカキ氷食べてないって火神の発言に、我ながらなかなか良い考えだと思ったものの、河原と福田にとっては微妙な誘いだったらしい。インドアスポーツやってるくせに一学期よりうんと焼けた顔にダラダラ汗を浮かべて、どこか遠い目をしている。
「男五人で夏祭りか……」
「なんつーか、すげー寂しいな、俺ら」
 残念ながらしばらく女子に縁のない身としては「寂しい」の形容詞にも同意せざるを得ないが、それとはまた別。同期の男同士で夏を楽しむのだって充分大事だろう。少なくとも、熱気と直射日光に嘆いて「カキ氷になりたい」と意味不明なことを言いあうよりもずっと建設的だ。
「なんだよ、行かねーの」
「行く」
「行くけど」
「行くのかよ! 火神は?」
「オレはいいけど。久しぶりに焼きそば食べたいし」
 あと、たこ焼きとフランクフルトとイカ焼きとはし巻と…。
 火神と飲食店に行くたび聞く呪文みたいな列挙に、また三人で苦笑いする。運動部としてそれなりに家族の手を焼かすほどの食欲を持ち合わせてる自覚はあるけど、やっぱり火神のそれは桁違いだ。火神と同じくらいタッパのある木吉先輩も、黒子によると青峰や黄瀬や緑間なんかも食べる量は平均的な運動部と同じくらいだって言うし、火神の胃袋は果たしてどうなっているのか、というのが俺たちの入部当時からの消えない謎だ。
「黒子も行くだろ? …あれ? 黒子?」
「そういや黒子、いねーぞ」
 河原に福田に火神、と来れば残るは黒子だ。声を掛けようとして、やっと黒子が居ないことに気がついた。いつもなら火神の向こうを嫌そうに歩いているはずなのに。
 そういえば、随分前から黒子の姿を見てない気がする。体育館を出た当たりからもうぶっ倒れそうな顔してたし、黒子はあの薄そうな見かけに違わず暑いのに弱いし、もしかしてどっかで卒倒したのに気付かないまま置いてきちゃったんだろうか。それはまずい。非常にまずい。普段は見失いやすい黒子に何かあってもいち早く火神が気付くからって、ちょっと気を抜きすぎたのかもしれない。
 そうでなくても、あいつ、わりとマイペースにフラフラするタイプなのに。
 最悪の事態が頭に浮かんで、蒼白になった俺と火神と河原をよそに、福田が火神の後ろをひょいと覗き込んで、「黒子〜オマエそんなとこで何やってんの?」と暢気な声を出した。あ? 黒子?
「あ!? てめーこんなとこで涼みやがって!」
「ボクは火神くんの陰です」
「それそういう意味じゃねーだろ!」
 こっちの心配も知らないで、黒子はずっと火神の陰で涼んでいたらしい。しれっとした顔でタオルを頭から被ってふざけたことを言っている。なんつーか、すげーマイペースっつーか、黒子らしいっつーか…。考えてみれば予想通りすぎたオチに脱力してしまう。
 火神は火神で、わりと真剣に黒子を心配してたのに結局実はすぐ後ろにいたこととか、知らない間に自分の陰で涼んでる黒子に対する理不尽なムカつきとかで、また黒子の頭を掴んで腹にあのきっついパンチを入れられている。沸点低い奴らだ。この暑い中、よくあんだけぎゃーぎゃーやり合えるな、と思う。俺なんかもう、さっきの脱力と暑さの相乗効果で突っ込む気力も二人を止める元気もない。
 頬を火神にぐいぐいひっぱられて、むっとした黒子がミスディレクションで火神の手から抜け出して膝かっくんを入れる。腰が抜けると同時に気も抜けたのか、熱いコンクリートに膝をつきながらぷるぷる震えて黒子に怒鳴る火神をちらっと見て、うっすら笑いながら黒子が俺の隣に陣取る。
「ちなみにボクはカキ氷、イチゴが好きです」
 あと、わたあめも食べたいです。
 体の良い風よけと日陰がなくなったのに、火神をやり込めたからか機嫌の良さそうな黒子は、祭自体には乗り気らしい。まぶしい日光に疎ましそうに目を細めながら、キツい練習のあとの直射日光に体調は良くなさそうなものの、口元はわかりやすく微笑んでいた。

「じゃあ決定な! つかどうする? 六時頃向こう着くんならマジバで時間潰す?」
 元々五人とも練習が終わる前からマジバで涼んでから帰るつもりで満場一致していたが、一度落ちついてから家まで帰ってまた来るとなると、時間的にも体力的にも手間に感じる。一人暮らしでマンションが学校近い火神は寧ろ帰って色々と済ませたいこともあるかもしれないが、家までそこそこの距離がある俺や他の三人はどうだろうか。伺うように見ると、河原と福田がうんうん頷いている。二人とも、やっぱり必要以上に灼熱の太陽の下移動するのはうんざりらしい。
 黒子は、と横を向くと、腰砕けから復活した火神が後ろから黒子の髪をわしゃわしゃかきまわしながら眉を寄せている。
「オレら一回帰るわ。黒子にシェイク以外の水分摂らせねーとぶっ倒れそうだし」
 確かに黒子を見れば、陰から出た所為か頬を真っ赤にしてずいぶん暑そうにしている。汗でぺたんとした髪をかきあげられると気持ち良いのか、いつもなら「人の頭で遊ばないでください」と不機嫌になりながら手を振り払うくらいしてみせるのに、大人しく目を閉じて火神にされるがままだ。
「キツそうだな黒子、無理すんなよ」
「マジバ行くとシェイクしか飲まないもんな」
「ボクもマジバ行きたかったです……」
 マジバのシェイクにただならぬ執念を燃やす黒子も、流石に今日ばかりは自分の体調を鑑みたらしい。暑いのがダメなうえ人ごみも得意じゃないから、このまま祭りに行っても、数十分で火神に負ぶさって帰って行くのがオチだ。
 水分補給はまあマジバで出来るとしても、体力のあんまりない黒子がぶっ倒れるまでシゴかれた後だ。なるべく静かな涼しいところで横にならせたほうが良い。となれば、横になれないうえ騒々しいマジバより、クーラーも着いてふかふかのベッドがあって、本人曰く自分の家より落ち着ける火神の家で休ませるのが一番良いだろう。
「ま、カキ氷楽しみにしてろよ」
 どこか寂しそうな黒子の頭を福田がぽんぽんと叩く。火神の真似なのか、河原もやわらかい髪をわしわしかき混ぜて、扇いでいたうちわで黒子に風を送っている。オレも首に掛けていたタオルで黒子をパタパタ扇いでいたら、福田がすげえ黒子、至れり尽くせりだな、と笑った。
 黒子の髪の毛をやわらかく撫でる火神は、あんまりそいつを甘やかすなよ、と苦く笑ったようだった。



 マジバと火神のマンションとの分かれ道に差し掛かって、オレと河原と福田、火神と黒子に別れる。
 トロトロ歩いているうちに雲が出てきたようで、日差しはさっきよりもいくらか和らいでいた。風も少し出てきて、ほんの数十分前にはうだるような暑さだったとは思えないくらいだ。ひぐらしの鳴き声が目立つ。この分だと、神社に着く頃にはずいぶん過ごしやすくなっているだろう。黒子の体調も良いに違いない。
「じゃ、六時に校門前な」
「オマエら六時前までマジバ居んだよな? コイツが行きたいっつったらそっち寄るかも」
「じゃー合流するときはメールして」
「OK」
 暑さは緩んだものの、逆に落ちついてどっと疲労が出たのか、黒子が火神の横で眠そうにフラフラしている。午前練の日、帰りに休憩がてらよく寄るマジバでも大抵シェイクで落ちついたあとはウトウトしてるから、この時間帯は軽く仮眠を取らないと身体が保たないんだろう。それにしても、大丈夫か、あいつ……。
 あんまり甘やかすな、なんてさっき言った火神はと言うと、これもわりと日常茶飯事らしい。ため息をついて、慣れた手つきで目をしょぼしょぼさせる黒子からエナメルバッグを取り上げて左肩に掛けている。ぐらぐら安定しない頭を掴んでかき混ぜて、うんと下にある顔を覗き込みながら掛ける声は、呆れたような声色だけど、心なしか甘ったるい。
「おーいまだ寝んな、あともうちょいだから頑張って歩け」
「ふぁい…」
「寝てんなよー」
 路上に突っ立ったままでは眠るに眠れずむずがる黒子を車道の反対側に置いて、危なくないようにさりげなく手を引いている姿は、なんというか正しく、彼氏だ。ちなみに母親とも言う。水戸部先輩が誠凛バスケ部のお母さんなら、火神は黒子専属のお母さんだよな、とこの間本人達以外の一年三人で盛り上がったのが記憶に久しい。
 黒子が火神を注意したりおちょくったりするさまは、まるで猛獣とそれを馴らして躾ける猛獣使いにも見えるけど、その実それだけじゃなくて、けっこう生活力のないマイペースな黒子の世話を、火神が彼氏か母親よろしく甲斐甲斐しく焼いていたりする。お互いがお互いをフォローしてる、良い関係だと思う。
 互いに一番同士だって、誰かの一番になれた経験があんまりない俺は羨ましくなっちゃうけど、ホントにこいつら、お互いが一番の相棒だよな。
「お、いい風」
 一際強い風が通りを抜けて、前髪を揺らした。久々の気持ち良い風にみんな口々に喜んだ声を上げる中、火神も濃い色の髪をかきあげて気持ち良さそうに目を細める。見上げる黒子の目は、気の所為じゃなく眠気以外の理由で見たことないくらいとろとろに甘い。頬の紅潮も暑さだけが理由じゃないんじゃないかって勘繰ってしまうのも仕方ないだろう。
「じゃあな、また後で」
「火神も気付けろよ」
 おう、と空いた片手を挙げて、もう片手で足下のおぼつかない黒子を掴んで背を向ける火神は、誰が見ても文句なしに太陽の似合う良い男だった。








「……今日もすごかったな」
「……おう」
 黒子テツヤと火神大我の「相棒」だけでは言い切れないただならぬ関係は、俺たち三人の中では、既に公然の秘密となっている。
 いくら普通はそこらにいる男子高校生がそういう発想に至らないからって、あそこまで何度も何度もちらちら見せつけられれば流石の俺たちでも気付く。先輩はどうだか知らないけど、こちとらクラスは違えど昼休みも柔軟もロードワークも休憩時間も後片付けも一緒に居るのだ。そのたびに、本人たちがどう思っているかは知らないが、隠しきれない甘ったるい雰囲気を味わっていれば、自ずと俺たちが気付いてしまったのも当然のことだ。本人たちがどう思っているかは知らないが。
 はじめは、ただただ戸惑った。
 今まで生きてきた中で、そういう世間的にはマイノリティになる存在を、冗談めかして笑ったことこそあっても実際に目の当たりにしたことなんかなかったからだ。違う世界のことだと思っていたし、これからもそうなんだと思っていた。まさか、こんなに近いところで出会うだなんて夢にも見なかった。
 今でも、そういう関係を俺たちに気取らせまいと、ごくごく普通の相棒として接することに決めているらしい二人の間にそういう雰囲気を感じ取ってしまって、ぎくりとすることがある。
 だけどそのたびに、こいつら火神と黒子じゃん、って思うのだ。俺たちと同じ、年相応なところがあって、ちょっとボケてるところもあって、普通にバカみたいな話をしながら昼飯食べてる、よく見知ったチームメイトだ。それになにより、お互いを見る目があんまりにも相手しか映していないものだから、あーこいつら、相手にしか興味ねーな、って。そう思い知らされるとき、嬉しそうな顔しやがって、勝手に幸せになってろよ、って思うのも事実だ。
「青春してえ…」
「あー俺も」
「いーよなあ、あいつら」
 一つ疑問なのが、果たしてあいつらにとって、学校生活において常につきまとう俺たちの存在が邪魔じゃないのか、ってことだが。
 ボクも行きたかったです、と目を伏せた黒子や、あんまりそいつのこと甘やかすなよ、と笑った火神の顔を見てる限り、きっとこっちが勝手に気を揉むだけ、余計なおせっかいってやつだろう。
 ふと振り返った先の遠くで寄りそう大小二つの人影に、思わず三人で顔を見合わせて、笑いが漏れた。
 

▼ ケンカした次の瞬間にはイチャつきだす二人に、最初はあわててケンカを止めてたものの、そのうち慣れてあーハイハイ勝手にやってろって投げやりになりだす一年三人を労りたい(13.7.28)