練習後の後片付けは基本的に一年生が担当することになっている。運動部としてはごく当たり前のことだろう。きっと恐らくどこの学校でもそうだ。
ミニゲームで使った得点板やボールを用具倉庫へ手分けして片付けて、一部のコーンやボールはまだ自主練で使う人間がいるからコートの隅のほう に。全体練習が終わったあとは自主練になるから、その後のボールの片付けや簡単なモップ掛けなんかは二年が動くこともあるけれど、残っているのは二年だけ でなく、黒子や火神くん、他の一年も同じ居残り組なため、やっぱりその後も自ずと一年が片付けをこなすことになる。
今日もいつものように最終の片付けを終えて部室に戻ってきた一年含む、帰宅する準備を始めた誠凛高校男子バスケットボール部一同の耳に、悲痛な呟きが飛び込んだ。
「……オレのアイスがねぇ」
見れば、着替えもそこそこに、いつになく浮ついた空気で大きな身体を縮めながらいそいそと部室の冷蔵庫を覗き込んでいたはずの火神が、ぐっと冷蔵庫の扉を握りしめている。
「おーい火神、どしたん」
先程の呟きと火神の様子で状況はほとんど全員理解していた。それでも一応、と二年が顔を見合わせ、代表して小金井が声をかける。コガセンパイ、と情けない顔で呟いた火神がぽつぽつと語りはじめた。
「オレ…オレ、昨日帰りにコンビニ寄ったら、たまたまくじ引きやってて、ゴリゴリ君の引換券当てて」
「うんうん」
「そんで、どうせだから今日引き換えて、練習終わりに食おうと思ってたんスけど」
「あー……今見たら…」
なくなってたっす、と情けない声で火神が受けた。
オイ、どうするよ、とざわついた空気が部室にはしる。
相当部活終わりのアイスを楽しみにしていたのだろう、火神はおあずけを食らった犬のようにあからさまに落ち込んでいる。なにせ座右の銘が「よく食べよく遊ぶ」な男だ。食欲に意地汚いわけではないが、一般的な男子高校生以上に食べることに対する執着はある。
何度も言うが、練習後の片付けは基本的に一年が担当している。一年が片付けをしている間、部室で何が行われようとも哀れな後輩たちは知るよしも ない。つまり、先に部室に引っ込んだ二年連中が、部活終わりのアイスを持ち込むなんて火神! 生意気なヤツ! とセンパイ権力を発動していても、抗議のしようがないのだ。誤解のないように断っておくが、わりと後輩を大事にするタイプの彼らはもちろんそんなことをしていない。 火神もわかっているようで、最も怪しい二年にも問いつめるようなことはしない。
そんなことはしていない。が、ここに火神のアイスが存在しない以上、誰かがそれを持ち出したことは紛れもない事実ということになる。部活内での食い食われなど日常茶飯事だが、ここまで落ち込まれてしまっては、ちょっと良心がざわつく。相変わらず沈んだ顔の火神に日向がどう声をかけようか頭を掻いた、そのとき。
「火神くん」
ひとりマイペースに着替えを終えていたらしい制服姿の黒子が火神の肩に手をかけた。
「いつまでも落ち込んでちゃ部室、締められません。はやく着替えたほうがいいですよ」
ああ黒子、黒子よ、もうちょっと優しくしてやってくれ……と火神の落ち込みっぷりにさっそく捨て犬を見たときのような感情が刺激されてしまったらしい日向が何か言いたげに手を挙げる。ちなみに水戸部も後ろのほうでおろおろしている。
「うっせーな……わかってるっつの」
応える火神もこれ以上は良くない方向にしか行かないことを解っているようで、むっと黒子を睨みながらも、おざなりに済ませたままだった着替えを終えて、荷物をまとめるためにロッカーに戻る。がたがたといつもよりいささか乱暴にエナメルにタオルだの畳んだシャツだのを詰める火神を、もう身支度を準備万端に整えた黒子が見つめながら口を開いた。
「火神くん、明日行きにコンビニ寄りましょう」
「はあ?」
「それで、プリン買いましょう。プリン食べたいです」
「……勝手に買えよ」
自分のアイスは適当に流したくせに、自分のプリンには付き合わせるのかと、すっかりヘソを曲げた火神が邪険に返事をする。ふたりの喧嘩や言い合いは最早バスケ部にとって日々のルーチンワークだが、空腹と裏切られた期待感からかいつになく機嫌の悪そうな火神に、ハラハラとふたりの様子を窺う日向が「バケツにプリンがたっぷりん……」と呟いた伊月の頭を無言のままグーで殴る。
普段より何割増しかで低い火神の声も意に介さずに、まったく普段通りの涼しげな顔で黒子は火神を見上げて言った。
「ボク、牛乳プリンとふつうのと買うんで、火神くん好きなほう選んでいいですよ。そしたら、明日は蓋に名前書いて冷蔵庫に入れておきましょう」
「……名前」
「名前です。誰のものかわかっていれば、少なくとも間違えて食べられることはないと思います」
火神は驚いたように黒子を見下ろし、無言のまま何度かまばたきをして、おう、と照れたようにむすりと顔をしかめた。
「お疲れさまっす」
「お疲れさまでした。お先に失礼します」
帰り支度を終えて一礼したふたりの挨拶に皆が口々に返事をして、バタン、と閉まったドアに、部室に残された全員が深くため息を吐いた。犯人探しを自然に流し、火神の意識を消えたアイスから逸らして機嫌を直し、そのうえごく当たり前のように明日の約束まで取り付けた黒子のことを考えるとなんだか尊敬の念すら湧く。どちらかと言うとむしろ火神のバカ…いや、単純さがスゴいのか。なんにせよ、明日部室の冷蔵庫に仲良く並んでいるであろう名前記入済みのプリンが頭に浮かんで、「うちの後輩は可愛いなあ」と呟いた木吉にうんうんと周りが頷く。
ほのぼの帰り支度を進めていた部室に再びドアの開く音が響いて、あいつら忘れ物でもしたのかとドアのほうを振り向いた全員が、音の主を見るなりびくりと肩を震わせた。
「ちょっと、アンタたちまだ残ってたの? もう部室締めちゃうから早く出てよ! ……どしたの?」
ドアノブを握っていたのは部室の施錠に来たリコだ。とっくに普段の下校時間は過ぎているのにまだとろとろと部室から動こうとしない部員どもに目を吊り上げかけて、いつもの練習終わりとは少し違う和やかな雰囲気に気づき、不思議そうに首を傾げる。
「いや、その、さっき可愛い奴らが帰ってったから」
邪魔しちゃ悪いかと思って。苦笑しながら言い訳するように言った土田の言葉に頷いた誠凛高校男子バスケ部だが、翌日の練習後にも冷蔵庫を開けた火神の悲痛な叫び声を聞くことになるとは、まだ誰も知る由もない。
結局、記名したプリンも何者かの魔の手にかかり、怒りも落胆も昨日の二倍募らせた火神を慰めるために、一年連中でマジバへ向かう道中。
なあ黒子、と降旗が背中に哀愁を漂わせたままの背中を何歩か後ろからいつになくじっと見つめる黒子にひそひそと耳打ちをする。
「オレ、見ちゃったんだけど……」
火神のプリン食ったの、黒子だよな。放課後の練習中、ロッカーに忘れたタオルを取りに一人部室に戻ったときに、不運にも見かけてしまった信じたくない光景の真偽を確かめる。できれば見間違いであってほしい。このぶんで行くと一昨日のアイスも黒子の仕業とかになりかねない。そうなったら、目の前の男にプリンで丸め込まれて、結局そのプリンも手をつけられるなんて、火神があんまりかわいそうだ。
黒子はきょと、とおさないまなざしで不思議そうに降旗を見、首をかしげて、
「よくわかりましたね」
とまばたいた。
「だって、おやつが楽しみでそわそわしてる火神くんも、誰かに食べられちゃって落ち込んでる火神くんも、かわいいじゃないですか」
しれっと言い放って再び目の前を歩く火神をどこか熱のこもったまなざしで見つめる作業に戻った黒子に、降旗はただひたすら心の中で黒子を止められないことを火神に謝罪するしかなかった。
▼ 目標:誠凛二年の書き初め。河原くんと福田くんはごめん(13.1.7)