木曜日。親戚の葬儀だとかで、後ろの席は一日空いてた。
 気配がしないのはいつものことだけど、オレが爆睡してるのを教師に見とがめられそうになるとつついて気付かせてくれるヤツが居ないのも、昼休みに後ろを振り返っても「ホントによく食べますね」って呆れたような目でこっちを見るニュートラルな表情をしたちいさい顔がそこにないのも、いつものことじゃない。
 黒子がいないと、なんとなく調子が狂う。センパイたちにもクラスメートにも果ては教師にすら、不本意ながらセット扱いされるほど、一緒に過ごすことが多いからかもしれない。いや、一緒に居るのはクラス一緒だし部活も一緒だし席前後だし、いろいろラクだからなんだけど。
 昼休みに寄った自販機で財布を開いたら、ひらっと何かが落ちていった。
 拾い上げたら、今日黒子にやろうと思ってたマジバのシェイクの割引クーポン。先週の日曜、昼メシに寄ったマジバでもらったやつだ。
 アイツがいつも飲んでるやつよりワンサイズ大きいシェイクのクーポンを見て、黒子にやってもどうせでかすぎて残して、結局オレが片付けることになるんだろうな、って考えたことを思い出す。展開なんか目に見えてるのに、どうしてかそのままゴミ箱に捨てる気にならずに、折り畳んで財布に突っ込んだままだった。昨日やっと思い出して、持ってても仕方ねーし、アイツにやろうと思ってたのに。
 黒子がいないって、ただそれだけでこんなに一日がつまらなくなるのは、きっと昨日、これをやったときのアイツのことを想像したからに違いない。マジバのシェイクに目がない黒子は、いっつもあの表情筋死んでそうな顔してるように見えて、好物を前にしたときは案外わかりやすく喜んだ顔をする。その顔が見れなかったから、たぶん、調子狂うんだろう。
 モヤモヤする気持ちに適当に理由をつけて、五限目が始まって配られたプリントを後ろの机に突っ込む。ノートも教科書も開くことを放棄して睡眠を決め込もうと机に伏せても、今日は後ろの席から、押し殺したような笑い声は聴こえてこない。
 制服越しに感じる空気は、いつもより肌寒いような気がした。



 そんなつまらない一日も終わりに近づいて、放課後の練習終わり。ダラダラ流れる汗を拭いながら、しみじみ思う。
 いや、バスケってスゲーよ。
 夢中でボールを追いかけてるうちに、モヤモヤしてた気持ちなんかどっか行っちまった。やっぱ考え込んでねーで身体動かすのがいいよな。どうせオレ、うんうん悩むのヘタクソだし、単純なほうだし。……自分で言うのもなんだけど。
 ミニゲーム中に「黒子!」ってパスを催促しちまったり、集合のときに無意識にアイツのこと探しちまったり、ついいつものクセでやっちまったけど、その回数も朝練よりずっと少なくて済んだ。それにどうせ、明日になればあいつは登校してくるわけだし。
 明日、朝練のあとで黒子にクーポンやろう。そんで、放課後の練習が終わったら、一緒にマジバ寄ればいい。いつもよりワンサイズ大きいシェイクを無心で飲む顔を見てれば、こんな日があったことなんかすぐに忘れちまうだろう。
 黒子がいないからパス練を省略して、クールダウンしてから自主練をいつもより早めに切り上げて部室に戻ると、まだフリたちが着替えてるところだった。おー火神お疲れーなんて言いながら、シャツを脱ぐ手はあんまり動いてない。昨日のバラエティでやってた、草食系男子だの肉食系男子だのの話題で盛り上がってるらしい。すぐに制服を着込むのも暑いから、三人の話をぼーっと聞きながらしばらくベンチで水分補給がてら休憩してると、フリがそういえば、と気がついたようにこっちを見る。
「火神は肉食っぽいよな、もう見た目が猛獣! って感じするし」
「あ? ……考えたことねーな、そういうの」
 似たようなことはよく言われるものの、自分ではよくわからない。そもそも、猛獣っぽいとか、虎っぽいとかってなんだよ。オレは人間だぞ。
「いやー、こいつコレでいて、好みのタイプがおしとやかな女の人~だろ? 案外奥手だったりして」
「マジで? アメリカとか進んでるんじゃないの?」
 帰国子女だからって、そうそうマンガみたいなヤツがいるわけない。そもそも、オレの「好きな人」からして普通とは違うわけで……だけどオレをじっと見る河原と福田に、まさかそんなことカミングアウトするわけにもいかない。
「おっ、オレは……べつに、好きなヤツの笑ってる顔が見れたらそれでいいっつーか……」
 それっぽいことを言って言葉を濁す。ついでにロッカーから着替えをひっぱり出して、手持ち無沙汰になって余計に突っ込まれるのを逃れる。レンアイとか、そういう話題はあんまり得意じゃない。
「えっ、火神って童貞!?」
 もごもご口ごもったオレに、さも意外だっていうふうにフリが驚いた。あんまりはっきり口に出されて顔が熱くなる。
「いーだろ! オレのことは!」
 シャツを羽織りながら睨んだけど、赤い顔で凄まれてもたぶん威力はないだろう。それでも察してくれたのか、へー、火神は草食系かー、と特に意味のない言葉で後を引き受けて、話題の対象はどうやらオレから黒子に変わっていったようだった。
「黒子はさ、逆にモロ草食系ですって感じだよな」
「ガツガツしてなさそうだし。桐皇のマネだっけ? あの子に抱きつかれても顔色ひとつ変えないとか…うらやまけしからん……」
「あー、なんか、性欲なんかありませんって顔してるよな」
 本人がいないところで語られる黒子のイメージに、ひっかかるものがあって首をひねる。黒子って、そんな大人しいヤツだったか?
「そうでもねーぞ?」
「えっ?」
「アイツ、あんな大人しそーな顔してっけど、気短えじゃん。だからかもしんねーけど、手もスゲーはえー。しかもそのやり方が、無理矢理迫るとかじゃなくて、なんつーの? 周りから攻めてく? っていうか。気取られないように逃げ道塞いでって、相手が気付いたときにはもう逃げ場なくなってて、大人しく食べられるしかなくなる感じ。肉食も肉食、大口開けて獲物に食らいつくタイプじゃね?」
 半分罠みたいなもんだろ、と自分がされた仕打ちを思い出しながら喋ってると、気がつけばフリが引きつった笑い顔みたいな、微妙な表情をしていた。
「なんだよ?」
「いや、なんでそんなこと火神が知って……」
 何か言いかけたフリの口を塞いで、河原と福田が「あーいい!」「やっぱいい言わなくて!」「バッカフリ余計なこと訊いてんなよ!」と早口にわめく。そのままもごもごするフリをロッカーのほうまで引っぱっていって、オレを見ないままそそくさと着替えはじめた。
 なんだ、あいつら。首を傾げながら、すっかり冷えた汗を拭って着替えに集中することにする。
「じゃーな火神! また明日!!」
「おーお疲れー」
 三人がバタバタ帰る準備をして部室のドアを潜るころには、オレの頭は一人でマジバに寄って帰るか否か、ってことで一杯になっていて、三人の挨拶にも生返事を返しただけだった。



 次の日、金曜日。プリントがくしゃくしゃに突っ込まれていたことに、機嫌を損ねてしばらく文句言いたげな顔で不満そうにしていた黒子も、放課後マジバに寄って例のクーポンを使ってシェイクにありつく頃には、すっかり機嫌を元通りに直していた。
 そのくせ「ボクはまだちょっと怒ってますよ」みたいなポーズで、わざとらしく皺のついたプリントを取り出して文句を言ってみせる。
「もうちょっと丁寧に入れてくださいよ」
「後ろだからめんどくせーんだよ。いいじゃん、そこまで皺になってねーし」
「せめて折りたたむくらいしてくれても……」
 ぶつぶつ言いながらプリントを伸ばしている黒子を見ながら、いつものチーズバーガーを頬張る。朝メシも昼メシもしっかり食ったし、朝練後と放課後前に腹ごしらえ用のパンも食ったけど、一日に数回あれだけ激しい運動をすると、なかなか食べても食べても腹が減る。ちなみに、晩メシも当然マンションに帰ってから食うつもりだ。
 真剣な顔でわら半紙の角と角を折り合わせてる黒子を見てると、ふと、昨日部室でした話を思い出した。
「そういえばさ、昨日フリたちとお前の話したわ」
「ボクのですか?」
 折りたたんだプリントを丁寧にクリアファイルに仕舞う黒子が、ちょっと不思議そうな顔でオレを見て、でっかい目でぱちぱち瞬きをする。って言っても、その顔は無表情なままだ。無表情なままだけど、その透明な目とか、ほんのちょっと寄った眉とかは、案外よく表情が表れてて、わかりやすい。
 こういうと皆否定するけど、黒子って慣れればけっこうわかりやすいヤツと思う。オレからすれば、なんでそうなった? って思考回路してるから、なに考えてるのかはあんまりわかんねーけど。あ、いまコイツ嬉しいんだな、とか、不満そうだな、とか、泣くの我慢してんな、とか。そういうのってよく解る。本人はわりと上手くポーカーフェイスしてるつもりらしいし、確かに一見スゲー無表情だからそういう意味では成功してるけど、表情筋以上に目とか眉とか、あとは視線とか手とか。細かいところで、黒子はどっちかっていうと感情表現豊かなヤツだ。
 黒子のそういう感情表現がわかるヤツは多くなくて、だから、オレがそういうのをわかりやすいって思えるのは、ちょっと嬉しい。
「黒子はけっこう肉食だぜって言ったら、ビックリしてた」
「ボクはお肉、そんなに好きなわけじゃないですけど……」
 会話の中身を端折って伝えると、ますます不思議そうに首を傾げる。こんなふうに幼い仕草をすると、もともとの童顔も手伝って、余計に子どもみたいだ。
 特にそれ以上自分のウワサに興味はないのか、また一口シェイクを啜った黒子が、ふう、とため息を吐いた。そろそろ満足したらしい。
「火神くん、これ、残りあげます。元はと言えばキミのクーポンですし」
 いつもよりワンサイズ大きいシェイクを持て余して、半分くらい中身の減ったカップをこっちに寄越す。
「好きなもんでも食わねーよな、お前。っていうかそれ液体だぞ」
「液体だってお腹に溜まりますよ。晩ご飯、入んなくなっちゃいます」
 人の作ったメシはけっこう人並みに食うくせに、たまに黒子って好き嫌い通り越して食いもんに興味ねーのか、って思う。オレなんか、メシ食ってるときスゲー幸せだぞ。やっぱ人間、衣食住が大事だよな。
「しゃーねえなあ、ほら、寄越せよ」
「うーん…やっぱりあと一口」
「どっちだよ!」
 目を細めてストローをくわえる幼い顔が、ベッドでオレの肌にかじりつくその表情によく似ていた。かわいい顔で子どもみたいな仕草してるくせに、獲物を狙う肉食動物みたいな目をしてる。コイツ絶対、草食系とかじゃねーぞ。皆コイツの人畜無害そうなふるまいに騙されてんだよな。
 でも、黒子のそういう面を知ってるのはオレだけで充分。黒子の感情表現がわかるヤツは少ないけど、キセキのヤツらみたいに、オレ以外にも存在してないわけじゃない。だけど黒子が、皆が言うような、欲に対して淡々としてて消極的なヤツじゃないって知ってるのはオレだけだ。
 やっぱこれからは誰にも教えてやんねー。手渡された冷たいカップを受け取って、甘いシェイクを啜りながら、そう思った。
 

▼ 仲の良い誠凛が好きです(13.3.4)