黒子にミミとシッポが生えた。
 真っ白でフワフワした、ネコのミミとシッポだ。
 その日、まだ早朝の、凍えるような体育館の空気に練習着の皆が震えていたのも、朝練の点呼に返事をすることでやっと黒子の存在が周りに認識されるのも、それにあいつがちょっと不満そうな顔をしているのも昨日と同じで、いつものことだった。ただ一つを除いて。
 一日のメニューを言い渡されて各々が二組に分かれストレッチに散らばる中、ふと目に入った黒子の頭に、昨日まではなかったはずのものがものがくっついていた。
 やわらかそうな毛で覆われた、白い動物のようなミミ。
 思わず二度見しちまったのも仕方ないと思う。真っ白なそれは、変わった色の黒子の頭に、さも最初からいましたよ、みたいな顔で乗っかっていた。
 おまけにそれだけじゃない。黒いバスパンの尻のあたりからは、耳と同じ色の尻尾まで生えて、ゆらゆら揺れているオマケ付きだ。
 全員ストレッチが終わって、体育館の中で手早く済ますランニングに移る。いつものクセで黒子を探すと、白いふわふわが目に入ってついキョロキョロする。周りのセンパイや福田たちには黒子の耳や尻尾なんかまるで見えてないみたいで、黒子の謎のオプションに気付いた様子もなく、まったくいつも通りだ。
「キャ、キャプテン…」
「んだ、火神」
 二列目を走りながらコソコソ話かけたオレの声に、先頭でかけ声を挙げるキャプテンが振り返る。
「イヤ、その、黒子の頭……」
「頭? ああ、今日も寝癖ヒデーな。お前後で直してやれよ……黒子ォ! 寝んのハエーぞ! さっき起きたとこだろーが!!」
 後ろを見て、キャプテンが早速遅れがちになっている黒子に怒鳴った。オレもふと振り返って、いつもみたいにスピードダウンして黒子に並走しようとしたが、目に入った例のふわふに躊躇う。バスパンから伸びた尻尾がダラリと垂れて揺れている。見慣れない。
 一人でちょっとパニックなオレをよそに、周りは基礎練が始まっても小休憩になっても、いつまで経っても黒子の付属品に突っ込む様子はない。黒子もいたっていつも通り、ツーメンでシュートを外して組んでいたキャプテンに小突かれたりしている。だけどその後ろ姿には見慣れない白い尻尾が生えていて、パスを褒められるたびにぴんと立ったりシュートを外すたびしゅんと垂れたり忙しない。
 オレの頭がおかしくなったのか。
 そりゃそうだろうな。ある日突然男子高校生の頭と尻に猫耳セットが付いてたら、いくらなんでも朝練どころじゃねーもんな。
 夢か幻覚という線に期待して目を擦っても、頬をつねっても、顔を洗っても、しまいにはやっと身体が温まってきたっていうのに外の水道で水を浴びても、それはそこにあった。


「黒子、オマエさ…」
「はい」
「あ、あたま」
 あたま? と黒子が頭上に伸ばした手は、ぴくんとオレのほうを向く耳が、まるでそこに存在しないみたいにスカスカ通り過ぎた。
 いや、実際存在していないのか。
 朝練終わり、狭い部室に男ばかりが押し込められてぎゅうぎゅう着替えている光景は何度見てもむさ苦しい以外の表現が見つからないくらいだ。そんな中でマンガみたいな耳と尻尾を生やして、しかもなんだかそれに違和感のない黒子はちょっと浮いている。
「黒子、今日も寝癖すげーぞ。あとで火神にやってもらえよ」
「そんなにですか」
「今日は頑固だな。朝練終わってもスーパーサイヤ人」
「む…」
 さっきのキャプテンみたいなことを言って、黒子の両脇で着替えていた降旗と河原がぴんぴん跳ねた髪をわしゃわしゃかきまわす。確かに、冬だっていうのにタオルが絞れるくらい汗をかく朝練が終われば収まっていることの多い黒子の寝癖が、今日ばっかりは強情に重力に逆らっている。一段とひどい。
 やめてください、とぷるぷる頭を振る黒子の頭を遠慮無しに這い回る二本の腕は、やっぱり白い猫耳を素通りしている。
「お前、尻も…」
 ふたりとじゃれていた黒子がきょとっと瞬いた。オレの視線を追って、どこを見られているのか気付く。拗ねたような顔をして、白い両手がまだバスパンに包まれたままのちいさい尻をさっと隠す。
「火神君、スケベ」
「ちげーよバカ!」
 警戒するみたいに黒子が後ずさって距離を取るが、本気じゃないのはすぐに解った。明らかにオレをおちょくってるだけだから、その頭を一発ぱしんと叩いてさっさと着替えに戻る。
 始業の予鈴まであと十五分くらいで、オレは朝練後に何か食わないと昼まで保たないから、腹ごしらえする時間を考えるとそろそろ部室を出たい。黒子も気が済んだのかバスパンを脱ぎ出して、几帳面に畳んでいた制服をもそもそ着はじめた。その尻では、やっぱりぴんと立ったしっぽがゆらゆらしている。
「火神、黒子にヘンな気起こすなよ〜」
「はあ?! 起こしてねえ! ですよ!」
 最初に着替え終えたのに鍵当番で待ちぼうけている小金井先輩が、ベンチでエナメルバッグを抱えたままからかうみたいに言った。ヒマらしい。
「そんなに持て余してんならさっさと彼女でも作れよ」
「火神モテんだろ? どうせ」
「まあこんなんでもウチのエースだからな…」
「エースでええっすね!」
「俺はそういう理由で彼女作るのは良くないと思うけど…」
 好き勝手に喋るセンパイたちを聞き流しながら、着替えを終えてロッカーを締める。まともなこと言ってるのなんか土田センパイだけだ。
「彼女…スか」
 会話に混ざらないまま、もくもくと着替える黒子がふと気になった。
 黒子はシャツのボタンをかけちがえないように留めることがさも目下最重要事項だとでもいうような様子で、自分のロッカーの中にひたと視線をやったまま、ゆっくり手を動かしている。だけど、頭上の白い毛に覆われたほうの耳はぴくぴくと震えてこっちを向いていて、さっきまで穏やかだった尻尾はだらんと下を向いてムチみたいにぶんぶんしなっていた。激しい。どういう意味かはわかんねーけど、オレのそういう話題に全然キョーミないわけじゃないらしい。
 気分が良くなって、無言で着替える黒子にも聴こえるように、わざと大きな声で呟いた。
「今はいーかな、そういうの。オレバスケやってるほうが楽しいし」
 ぴくん。こっちを向いていた耳が目の端でピクピク動く。ぶんぶん振っていた尻尾はぴたりと落ちついて、ぴんと上を向いている。
 あ、これ、なんかわかんねーけど、オレの言ったことに反応してんだな。
 耳と尻尾だけ見れば、機嫌というのか感情というのか、黒子のそれがものすごく揺れ動いていることが解る。そのくせ、ちらっと見えた表情はぴくりともしてなくて、センパイやオレの話を聞いてたのかどうかも顔からは解らない。すごいポーカーフェイスだ。尊敬する。
「火神くん」
 着替え終えた黒子が、行きましょう、とスクールバッグを持ち上げる。
 こいつの耳や尻尾は、やっぱりオレにしか見えてないらしい。
 そもそも誰の手もすり抜けたのを見てる限り、本当にそこに生えてるのかどうかも疑わしい。十中八九、オレの幻覚だ。それも、黒子の感情をオレが勝手に捏造しているような。
 センパイたちにお疲れさまでしたと振り返る黒子の尻では、見慣れない白い尻尾がゆらゆら揺れていた。


 その日一日、黒子の尻尾はえらく感情表現豊かだった。
 オレにとって、黒子は宇宙人だ。そりゃあ自他共に認める相棒だし、ある程度機嫌の良い悪いくらい気付ける。けど、たとえば昼休みにちまちまサンドイッチをかじりながらオレをあのでっかい目でじいっと見てた黒子が何を考えてたかなんて、さっぱり解らない。
 だけどオレは黒子のことが好きだから、無理にあいつの本心を覗いたり、今すぐなんでも解るようになりたいわけじゃなかった。
 知るのが怖いって気持ちもある。チームメイトとか、相棒とか、オレはそういうのを超えて黒子に惹かれてるけど、黒子も同じかどうかなんて解らない。ただの相棒、もしかしたら、ただのチームメイトとしか思われてなかったら。そう思うと、とてもじゃないが黒子の気持ちなんて知りたくなかった。
 気持ちを伝えるつもりもない。黒子じゃあるまいし、影から見つめる……とかいうキャラでもないけど。あのパスが、あの目が、オレから逸らされる可能性があるなら、今のままで構わない。これ以上をねだったら贅沢だ。
 そういうのを抜きにしてもまだまだ完全じゃないコミュニケーションに、あいつと同じ中学のヤツらに、いろいろと思ったりもしたけど。特に、青峰とか。黄瀬とか。でも、これからオレたちにはたっぷり時間がある。
 その長い時間の中で、相棒として、緩やかにお互いのことを知っていったり気付けるようになったりすれば良いって、思っていた。
 本気で思ってたんだけど。

 皆と別れた帰り道、普段は健康優良児なオレにとっての病院と警察の次くらいに縁のない本屋で、一冊の雑誌を買った。

『ねこのきぶん 2月号 ———大特集!しっぽでわかる猫の気持ち』

 火神大我、十六歳。生まれて初めてバスケとマンガ以外の雑誌に手を出した瞬間だった。




***



 帰宅して、一直線にソファに向かう。汚れ物をすっかり出してしまえばもうほとんど中身のないエナメルバッグをテキトーに放り出して、紙袋から早速雑誌を取り出した。真っ白な子猫の写真がでかでかと載った表紙を改めて見つめて、がちんとオレの身体が固まる。やわらかそうな耳、腹、尻尾。なにもかもが、一日隣に居た、いつも通りなのにいつも通りじゃない黒子を思い出させた。
 ……カワイかったな、黒子。
 猫の耳と尻尾、それも白いやつ、を生やして違和感がない、どころか似合ってさえいるような男子高校生がこの世にどれくらい居るのか。どのくらいそんな男子高校生がいるにせよ、その中でも黒子はトップレベルでカワイイに違いない、と思う。ちなみに惚れた欲目なのはよーく自覚してる。
 こんな、今まで存在すら知らなかった雑誌につい手を伸ばしてしまったのは、表紙の力がだいぶある。元々猫は嫌いじゃなかったけど、今日の黒子でずいぶん猫=カワイイって印象が頭に焼き付いたからだ。
 たまたま寄った本屋でこの表紙を見かけて、バニラ味の牛乳飲料のパックにストローを差してちゅうちゅうやっていたときの幸せそうな顔と耳や、放課後の部活でもぴんと立っていた尻尾が目に浮かんだ。しかも、黒子と同じ、白猫。
 なにより、目を惹く色で大きく印刷されたコンテンツが気になった。

『大特集!しっぽでわかる猫の気持ち
こんなときどうする?病気対策一覧
猫が本当に気持ち良いマッサージって??』

 しっぽでわかる、ねこのきもち。
 いつもなら、黒子のことが解らないなんてことに、ここまで拘ったりしない。オレと黒子はまだ出会って一年も経ってないし、四月から今まででそこまで以心伝心になれると思ってたわけでもない。さっきも言ったみたいに、相棒としてはこれからゆっくり仲を深めていけばいいと思っていた。それ以上としては……オレの独りよがりだし。
 だけど、明日だけ。一月三十一日だけは黒子のことを何でも解っていたい理由があった。
 あいつの誕生日だからだ。
 プレゼントはもちろん用意している。せいぜい高校生が手を出すような、でも自分で買おうとあまり思わない程度には値の張るちょっといいブックカバー。どこでも本を読む黒子に似合いの、シックな黒の皮だ。手に馴染む感じがオレも気に入ったから、たぶんガッカリはさせないと思う。
 それに実を言うと、練習が終わったら家に誘うつもりでもいる。いや、シタゴコロとかそんなんじゃなくて。コンビニで買った昼食や外食ではあんまり食わない黒子も、オレの料理はおいしいって量も食ってくれるから、もう一つのプレゼントになればいいと思って。黒子の家族は当日が忙しくて、もう家でのお祝いは済ませてもらったっていうのも把握している。……まあ、シタゴコロがちょっとでもないって言うと、ウソになるけど。
 勝負なんかでは誰にも負けねーって自信満々で言えるけど、黒子に関してだけはらしくなく弱気になってしまうから、せめて黒子が今機嫌が良いのか悪いのかってことだけでも、解っていたかった。それを後押しにしたかった。なにせ、都合良くあいつの気持ちが表れてる(ように見える)耳や尻尾が見えるようになったんだし。
 そういうわけで三十日の夜は、メシを食うのも忘れて「ねこのきぶん」を読み耽っているうちに更けていった。
 黒子が知ったら、絶対「その集中力とやる気をテストにも活かしてほしいものですね」って言っただろう。




***




 用意したプレゼントを渡したのはホームルーム前だった。
 最初は放課後まで引っぱるつもりだったけど、どうせ単純なオレが隠し事をしてもすぐ黒子にバレちまうだろうと思ったからだ。
 それに、朝練後にみんなから口々のおめでとうとプレゼント、ちょっとしたスナックなんかをもらっていた黒子は、前日に予習した特集を思い出すまでもなく機嫌が良さそうだった。ダチからのプレゼントのうちの一つ、って数えられるのがイヤでさっき渡せなかったブックカバーも、同じクラスに二人だけの今なら、ちょっとだけ特別なプレゼントになるような気がした。
「これ、やるよ」
 席に着いて早速スクールバッグの中からそこそこ分厚い文庫を出した黒子の机に、有料のリボンまで掛けてもらった包装紙の包みを載せる。照れるのと、何て言っていいか解らないので、ちょっとゾンザイになった。緊張する。おかげでいつもなら慌てて詰め込んでいるはずのパンの山も喉を通らなかった。
「ありがとうございます、開けてもいいですか?」
「おう」
 でかい目をぱちぱちした黒子が、ガサガサ音を立てながら包装紙を開く。ていねいな手つきだ。たかが包装紙なのに、破らないように気をつけているのが解って、照れくさい。
 ビニールから取り出したブックカバーを手に取って、黒子がむっつり黙り込んだ。あ? なんか反応とか、ねーのか? センパイや降旗からもらったプレゼントにいつもより解りやすく微笑んでいた黒子の顔を近くで見ていただけに、拍子抜けする。
 もしかして、もう気に入ったブックカバーを持ってるとか? あり得ない話じゃない。黒子といえば本って印象は強いし、黄瀬あたりがずっと前にやってそうだ。
 それとも、気に入らなかったとか。オレが良いと思ったやつを選んだけど、普段文字を読まないオレの基準で選んでもてんで見当違いだったのかもしれない。
 期待してたのとは正反対の反応をされてズンと気分が沈みかけたとき、ぽつんと黒子が口を開いた。
「…火神君にも食材以外を選ぶセンスが残ってたんですね、驚きです」
「ああ?」
「火神君のことだから、絶対食べ物か、シェイク無料券とかだと思ってたんですけど」
「バカにしてんのか!」
 あんまりな言い草にムカムカしてくる。なんだよ、人が折角らしくもなくうんうん悩んで選んだって言うのに。もう持ってるにしろ、趣味じゃなかったにしろ、そこはウソでも喜んだフリしとくべきだろ! そりゃオレはこういうプレゼントとかとは縁のない男だけど、それにしてももうちょっと言い方ってのがあると思う。
 つい喧嘩腰にいらねーなら返せよ、と言いかけて、ふと例の尻尾が目に入った。
 白い尻尾はミニゲームを始める前みたいに、ぴんと立ってちょっとふるえている。
 えっと、「ねこのきぶん2月号」によれば。尻尾が立ってるときってのは。



■シッポをまっすぐに立てている
シッポをピンとまっすぐに立てているのは、うれしいときや甘えてるときのしぐさです。
ご飯が欲しかったり、なでたり遊んだりしてかまってもらいたいのです。
また、しっぽの先をやや前向きにすると、あいさつの表現。



 つまり、こいつは…喜んでるのか?
 こんなふうな、カワイくない憎まれ口利いといて?
 ってことはアレか? むっとしたようにブックカバーをにらんでいるその顔は、照れ隠しなのか? スゲー嬉しいのを知られたくなくて?
 黒子がヘンなところで意地っ張りなのも照れ屋なのも知っているが、こんなところで発揮されると、一度落胆しただけになんだかめちゃくちゃカワイイような気がしてきてしまう。こうなると、さっきのムカつく口ぶりもただの子どもの照れ隠しに思える。
 おまけに、感極まったみたいにふるえていた尻尾が机の下にするりと降りて、甘えるようにじゃれつくようにオレの足に絡み付いた。息が止まる。なんだこの尻尾、オレの幻覚とか妄想だとしても、それにしても、カワイすぎるだろ。
「火神君」
 感動で声も出ないオレを妙に思ったのか、黒子が怪訝そうにこっちを見る。
「火神君?」
 ちょっと待て。ちょっと、今はマズい。こんなカワイイ仕草を受けて、まともな顔じゃいられない。オレ、絶対赤くなってニヤニヤしたダセー顔してる。こんな顔黒子には見せられない。
 さっきの黒子みたいに黙り込んだオレに、何か勘違いをした黒子がはっと息を呑んだ。
「……怒りましたか?」
 怒る? は? 何に?
 一瞬ぽかんとしてしまった。
「火神君」
 黒子の尻尾にドギマギしてつい忘れていたが、そういえば黒子にとっては、照れ隠しにろくでもないことを言ってしまってオレが黙り込んだように見えるんだった。
「……ごめんなさい」
 囁くような言葉に驚いて、尻尾を見つめていた顔を上げて黒子を見る。淡々とした声で、特別申し訳なさそうな表情だってしていない。
 だけど視線を降ろせば、さっきまで全体で好意を表すようにぴんと立って絡み付いていた尻尾は力なく垂れて、オレから離れていた。耳もぺたんと後ろ向きに伏せられて、薄い色の髪に隠れて震えている。そう思えば、黒子の顔も心無しか強ばっているように見える。
 こういうじゃれあいみたいな口喧嘩で黒子から折れて素直に謝るなんて、今までほとんど無かった。先にからかったのがオレでも黒子でも、大抵こいつはむっつり黙ってしまって、そういうときだけ解りやすく不機嫌そうな顔をするだけだ。
 それなのに今、確かに黒子はごめんなさいって言った。
「あの、ブックカバー、とてもうれしいです。こんなに素敵なプレゼントをもらえると思ってなくて、なんだか照れてしまって。本当にありがとうございます。それで、あの……からかってしまってごめんなさい。今のはボクが悪かったです」
「別に怒ってねーよ」
 素直に自分が悪いと認めた黒子が珍しくて、しかも白い尻尾があんまりしょげたみたいにダランとしているもんだから、つい口が動いた。
 「ねこのきぶん2月号」にあった項目を思い出す。


■シッポをダランと下げている 
叱られてしょんぼりしている時に、シッポをダランと下げていることがあります。
体の具合が悪かったり元気がない時にもみられます。
気をつけて様子を見てあげましょう。


 いつもなら、さっきのが黒子の見事な照れ隠しだって気付かないオレなら、今の流れで黒子が謝るなんて当然だろって思ったかもしれない。
 だけど今のオレには、謎の猫耳尻尾のオプションのせいで黒子がいつもの五割り増しカワイく、か弱い生き物みたいに見えていた。
「知ってるよ、お前の憎まれ口はほとんど照れ隠しとかオレに構ってもらいてーだけだろ」
「ちがいます」
「違わねーじゃん」
 しゅんと落ち込んだ黒子がカワイイのと、あの黒子が素直に謝るなんてって感動で、つい耳が伏せられたままの頭に手を伸ばす。
 いつもみたいにわしゃわしゃかきまわしてやれば、手をすり抜ける白い耳がピクピク震える。くすぐったそうだ。
「ぐしゃぐしゃになります、やめてください」
「嬉しいクセに」
 力任せにかきまぜていたのをかわいがるみたいに撫でるようにすれば、力なく萎れていた尻尾がぴくんと震えた。生き返ったように軽く左右に揺れて、そのままゆったり振れ出す。縮こまっていた耳も前を向いて、どことなく気持ち良さそうだ。
 オレと目を合わせられなくて手元のブックカバーに視線を落としていた黒子のまん丸い水色が、ちらっとこっちを見上げた。目は口程になんとかって言うように、むっつり顔をしかめているくせに、目だけはうっとりと細められている。
「今日は火神君、なんだかやたらと鋭いですね。察しが良いって言うか。気持ち悪いです」
「んだとコラ」
「わっ」


■抱かれるとシッポを動かす
猫は人に抱かれていると、だいたいシッポを動かします。
抱かれるとパタパタとシッポを早く動かしている時は、嫌がっているときです。
反対にシッポをゆっくりと動かしている時は、のんびりとして嬉しいときです。



 嬉しいクセに、また照れ隠しでカワイくないことを言う黒子の頭を仕返しにぐしゃぐしゃにしてやる。ついでにだらしないことになっている顔も見られないように、ぐいぐい机に押さえつける。オレは黒子にブックカバーを渡した瞬間の落ち込みからは考えられないくらい、すっかり有頂天になっていた。
 「ねこのきぶん」ってスゲー!
 いつもだったら気付けないような黒子のポーカーフェイスや憎まれ口を見破れる。この際、黒子の耳や尻尾がただのオレの妄想なのか黒子の本心なのかなんてどっちでもいい。オレの都合の良い妄想だったときはそのときだ。なにより、黒子がカワイイ。
 買って良かった。「ねこのきぶん」が無かったら、黒子の嬉しい照れ隠しや本心に気付けないまま、一人で落ち込んで失恋した気になって、家に誘うのだって諦めちまってただろう。
 興奮するオレをよそに予鈴が鳴った。あと五分でホームルームが始まる。まばらに教室や廊下に散らばっていたクラスメイトも、続々と席に着きはじめる。そろそろオレも前を向かなきゃならない。
 ……そうだ、まだあと一つ残ってる。
 思っていたよりずっとオレに好意を持ってるらしい黒子にすっかり浮かれてしまったが、どっちかって言えばここからが本題だ。
 黒子も機嫌良さそうにしている、この間に。なるべく下心は透けないようにして。たまたま今思いついた、って感じで。
「あのさ、今日練習終わったら、ウチ来ねえ?」
 黒子の髪を撫でる手をそのままに、ドキドキしながら目を合わせられないオレの目の端で、白い尻尾がぶわ、とふくらんだ。
「お邪魔してもいいんですか?」
「オレが誘ってんだろ」
「楽しみです。家に連絡しておきますね」
「おーおー、ついでにそのまま泊まるって言っとけ」
 つい口をついて出た言葉に、さすがにこれはあからさますぎたか、と黒子の様子を伺う。
 携帯を取り出してボタンをぽちぽちやっている黒子はオレの下心になんか気付いてないみたいで、それもいいですね、明日の練習行くのがラクです、なんて平然と言っている。
 携帯の画面を見つめる目はどこか楽しそうで、決して嫌がってるわけじゃないことは耳や尻尾を見なくても解った。そしてその尻尾は、やっぱり毛を逆立たせたようにぶわぶわとふくらんでいる。
 これ、確か昨日読んだぞ。尻尾がブワッとしてるとき。あんまりオレと黒子に関係なさそうなところだったから、フーンと思って読みとばしたけど、これは。



■シッポの毛が逆立って太くふくらむ
驚いたり怖がったり、相手を威嚇しているときです。
強気になっているときで、全身の毛を逆立たせるときもあります。
遊びに興奮したりどきどきしたときにもボワッとするようです。



 ってことは、オレは黒子に威嚇されてるってことか? でもそのわりに気を悪くした感じは受けないし。だいたい猫なら解るけど、人間にとっての威嚇ってなんだよ。黒子が誰かを威嚇してるのなんか想像つかねーぞ。結局どういうことだ
「火神君、ボク、もうひとつどうしても欲しいものがあるんですけど」
 夜通し詰め込んだテストにも出ない知識をうんうん思い出しているオレの袖を、メールを打ち終わったらしくぱちんと携帯を閉じた黒子が遠慮がちに引いた。
「あ? なんだよ、言ってみろ」
「それは火神君からしかもらえないものです。それに、簡単に人にあげられるものでもありません。だけど火神君さえ良いのなら、良いと思ってくれるのなら、ボクは……」
 言葉を濁して、ぺろっと唇を舐めた黒子がオレを見上げる。猫みたいな耳と尻尾も相まってどこか獣じみた仕草だ。そういえば、猫は完全に肉食性の生き物なんだっけ。「ねこのきぶん2月号」で得た情報がこんなときなのにぼんやり頭を過る。肉食なんて、黒子とは一番結びつかない言葉だな。ああでも、試合や練習のときの勝利に飢えた、獲物を狙うような眼差しは、肉食獣の目と似ているのかもしれない。
 オレの袖を掴んだままの白い手は、よく見ると寒さに凍えるように震えている。
 とろんとした目に、なんとなく黒子の欲しいものが、言いたいことが解ってしまった。
「…いいぜ。いくらでもやるよ」
「ほんとうに?」
「ウソ吐いてどーすんだよ」
 疑いの目を隠しもしない黒子に、本当はオレのほうが「ウソだろ?!」って言いたい気持ちだ。
 だって、まさか、黒子もオレのことを?
 正直まだ信じられないオレの手を、黒子の案外大きい手がきゅっと握る。表情はほとんど崩れてないくせに、相当興奮していたのか緊張していたのか、白い手まで仄かに赤くさせてまだちいさく震えている。尻尾もぶわぶわとふくらんで、耳はオレの一挙一動を見落としたくないって言ってるみたいに、ぴんと立ってこっちを向いている。
 全身でオレへの気持ちを叫んでいる黒子を前に、我慢出来るわけがなかった。
 震えを止めるみたいに黒子の手を握る。真っ赤になって相当熱いはずのその手をいつも通りつめたく感じるくらい、オレの手も、たぶん顔も、熱くなっているらしい。オレまで震え出しそうだ。
「オレも、お前と同じ気持ちって言うか……お前にしかやれねぇ」
 ここ、教室だぞ。オレら、クラスメイトの前で何やってんだよ。予鈴が鳴ったから周りの席のヤツも皆座ってて、もうすぐ担任のセンセーも入ってくるだろう。真っ赤になって手を握りあってるなんて、いつものオレらじゃない。明らかにヘンだと思われる。
 だけど、オレの言葉に黒子が何かを噛みしめるように微笑んで、それだけで周りのヤツらなんてオレの視界から一瞬で消えてしまった。
「じゃあ、プレゼントの前払いをください。今、ここで」
「ばっ、バカやろう、教室だぞ!」
「誰もこっちなんか見てません。それに、…まだ火神君におめでとうって言ってもらってないです」
「え?! あー、そうだっけ……」
 ちょんちょん、と指で自分の紅潮した頬をつついて、黒子がうっとりとまぶたを閉じる。そっと上を向いた顔はまるで唇にキスをねだってるみたいだ。ムラムラっと湧いてきたヤラしい気持ちを大急ぎで打ち消す。
 慌てて周りを見れば幸か不幸か、前後左右の席のヤツらは一時間目の課題を慌ててやっていたり、本を読んでたり、向こうの列の席のヤツと喋ってたり、寝てたり、こっちを気にしてる素振りはない。
 大人しく目を閉じて待っていた黒子が待ちきれないとでも言うように、まだですか、かがみくん? なんて顔でちらっと片目を開けて目配せを寄越す。クソ、仕方ねーな!
「えっと、ハッピーバースデー?」
「はい、ありがとうございます」
 オレのでかい身体で人目から隠すように覆い被さってそっとキスをした頬は、見知った温度よりずっとずっと熱かった。
 緊張が緩んだのか空っぽの胃がでかい音でぐうぐう泣き出す。思わずといった調子で笑った黒子の顔は、見たことないくらいに幸せそうだった。




***



 念願のオレのものになった黒子を家に泊めた次の日、オレはまさかの展開に、若干痛む腰を庇いつつ、まだ内心混乱しつつ、部活までの時間をベッドで過ごすことになった。
 詳細は控えさせてくれ。体力のない黒子がその日の練習にも元気に参加出来たあたりから、オレの混乱と衝撃を察してほしい。
 件の黒子は優雅に朝寝を決め込んでいて、オレのベッドに、その乱れたシーツに機嫌の良い猫みたいにくったりと横たわっている。肉食なんて黒子からは縁遠い、と思っていたが、実はコイツは肉食も肉食、胸焼けするくらい欲しがりなヤツだったわけだ。
 昨晩野生の本性を剥き出しにした黒子は、それでもオレにとって世界一かわいかった。あの硬い手に撫でられながら夢中で散らした胸や腰の赤い痕が色っぽい。最中には仄かに赤く上気していた白い肌が否応無しに目に入って、今度紺か黒のシーツを買おう、と心の中だけで決める。
「火神君、十六歳のボクと、一年間よろしくお願いしますね」
 満足そうにため息を吐くそのちいさな頭にも、布団で隠れた裸のままの尻にももう白い影は見えないが、肌を晒したまま黒子がじゃれつく毛布の奥で、白い毛がゆるゆると揺れた気がした。

▼ 周りの席の子たちはおそらく二人のやりとりなんてばっちり耳に入ってますが、公認の夫婦的勢いで見てみないふりをされる黒火が好きです。(14.2.2)