独り寝に慣れた身にとって、一人じゃない夜は面映い。恋人と横たわるシーツの上で思うのは、どうしたって恋人のことだ。
 やわらかい髪や、湯上がりの健康的なせっけんの香り、眠くなってあたたまった身体と、くたりともたれ掛かられる心地よい重み。それから、眠気を含んだ、甘えるようなかすれた幼い響きの、オレを呼ぶ声。
 世界中のどこの男だって、たまらなく魅力的な恋人がいれば、寝入りばなにその感触を辿ってしまうはずだ。オレも例に漏れずその男たちのうちの一人で、抱き締め慣れたやわらかさと熱が腕の中にしっかり存在することに満足しながら、眠気を含んだため息をついた。
 夏用の白いシーツはタオル地で、さらさらした汗ばむ身体に心地よい感じが気に入っている。顔を埋めると香るのは、黒子がこれがいいと言い張った、オレにはあんまり似合わない、甘い香りの柔軟剤。
 火神くんのにおいがします、とオレの腕にちいさい頭をのせて、胸一杯に息を吸い込んでいたうっとりした顔を思い出した。いつもはオレのほうが先に眠ってしまうのに、今日は珍しく黒子の寝顔を眺める余裕まである。

 すっかりクーラー無しじゃ寝付けない熱帯夜が続いてるが、毛布に包まって眠っていた頃やまだ朝方が肌寒かった頃から変わらず、黒子はウチに泊まっていくとき、オレにすりよって、くっついたまま幸せそうな顔で眠る。
 こうやってじっくり見るとますます不思議なのが、こいつのひどい寝癖だ。薄いTシャツや、時には裸のままの胸にこすりつけられるやわらかい髪は、朝まできちんと腕の中におさまっているキレイな寝相のくせに、起きてみれば見事に爆発している。
 オレが丁寧にシャンプーして、手間暇かけて乾かしてやってるって言うのに。

 そう。黒子がウチに泊まった日のシャンプーは、毎回オレが担当している。なぜなら、こいつはシャンプーハットが無ければ頭が洗えないから。こうなることまで見越して、シャンプーハットを置きたがったアイツに頑なに拒否したのは絶対に秘密だ。
 黒子の髪を洗うのは気持ちが良い。
 やわらかい髪は泡立ちが良くて、すぐにモコモコになるのがたまらなく可愛い。ていねいに指の腹でマッサージするみたいに洗っていくと、泡の脅威に怯えていた目元がやわらんでいくのが愛しいと思う。それから、流すぞ、って声をかけたときの、ぎゅっとしかめて覚悟したような、子どもっぽい顔。
 どれも、黒子の髪を洗うオレにしか見れないものだと思うと、それだけで胸がいっぱいになる。
 もちろん、湯上がりのしっとり濡れたこいつの髪を乾かすのもなかなか気に入っている。
 水を含んでぺたんとした、いつもより色の濃い髪が白い上気した肌にまとわりついているのは色っぽいし。重く湿っていた髪が熱風に煽られているうちに、さらさらと手触りよく軽くなっていくのも小気味良い。ドライヤーの熱く乾いた風に混ざって、シャンプーの甘い香りがふんわりするのにもドキドキする。
 そうやって毎回毎回丁寧に手入れしてやってるのに、どうすれば朝になるとあんなに爆発させられるのか、マジで疑問だ。

 でも、まあ。
 そう言いつつ、オレがいちばん好きなのはあの作業なんだから、こいつの頭が謎に爆発するのは、悪くないことなんだろう。
 めちゃくちゃな方向へピンピン跳ねている黒子の髪を寝癖直しで湿らせて、やさしい温風で揺らしながら、櫛を通す瞬間。
 寝ぼけた目を擦っていた黒子が、ボサボサの頭がまとまるにつれて、目を覚ましていつもの涼しげなまなざしになる朝。
 無防備な様子の恋人を、オレの手でどこに出しても恥ずかしくないような男前に整えてる、あの朝の時間が一日の幸せに直結していると言ってもウソじゃない。

 甘い眠気に身を任せながらぼんやり思い出していた恋人の可愛いしぐさを思い出していると、寝ぼけた頭が腕の中の体温につられて、ついでにベッドでの触れてくるしなやかな手つきまで甦らせてくる。
 いや、それはマズイ。寝てる黒子に反応しちまうって、ヘンタイみたいじゃねーか。
 思わず立ち上がりそうになった熱に、オレは慌ててもう一度眠気を追おうと、申し訳程度に被っていたタオルケットをすりよってくる恋人に掛け直して目を閉じた。






 火神くんは夜がはやい。
 一緒に眠れる夜はボクが風呂から上がるのを待って、やさしく髪を乾かしてくれたら、火照った身体を冷ましながらぼんやりテレビを眺めるボクをよそに、もうずいぶん眠そうにウトウトしてしまう。
 おまけに、眠るのもはやい。
 舟を漕ぎはじめた火神くんを見かねてベッドに移動して、冷房のよく利いた、肌寒いくらいの冷えた寝室で、火神くんサイズの大きいベッドに二人横たわりながらぽつぽつと会話していると、あっという間に眠ってしまう。
 この間なんか、うっかりボクの髪を乾かしてもらいながら先週の練習試合のDVDなんて見てしまったため、火神くんもめずらしく眠気を感じさせない興奮した様子で試合の連携について熱く語っていたのに、ベッドに入ってお互い目を瞑りながら会話をしていると、なんと本当に三秒くらいで寝てしまったのだ。まさか寝ているなんて思わなかったボクは、しばらく普通に話かけて、途切れた会話に「火神くん?」って目を開けてやっと気付いたくらいだ。
 たぶん、まぶたを閉じて視界が真っ暗になると、寝てしまうんだろう。子どもみたいで、すごくかわいい。
 肌触りの良いタオル地のシーツと、ボクが好きな香りの柔軟剤がやわらかにきいたタオルケットに包まれながら、火神くんに抱きしめられながら眠るのが、ボクたちの定位置だ。春も秋も冬も、火神くんが暑い暑いと汗だくになってエアコンのリモコンを探す夏だって、それは変わらない。
 どうやら基礎代謝がボクよりも良いらしい火神くんには少し申し訳ない。でも、この定位置でしっかり火神くんに抱き着いて目を瞑ると、ボク好みの清潔感がある仄かに甘い柔軟剤やシャンプーのにおいに混じって、胸がいっぱいになってしまうような、きゅんと心臓がうずくような、大好きな火神くんの太陽みたいに心地よいにおいが香って、うっとりと眠りに落ちていけるから、こればっかりは譲れない。

 火神くんは朝もはやい。
 あの量の食事をやっぱり朝もたいらげるため、どうしても朝食に時間をとらざるを得ないと言う。
 更に、朝練の前にちょっと走っておきたいからと、毎朝軽く(本人曰く。ボクからすればとても軽くなんて長さではない)走り込んでいるらしく、その後にシャワーを浴びることも考えると、およそ男子高校生の一人暮らしとは思えない時間に、火神くんの目覚ましは鳴り響く。
 一方のボクはと言えば、火神くんと同じく朝練も放課後練もあるからそうそう夜更かしは出来ないものの、彼に比べるとずいぶん現代っ子らしい生活習慣と言える。バスケの次に好きな読書のためにどうしても宵っ張りになってしまうから、自ずと朝も弱い。火神くんとは正反対の寝汚さで、彼が家をランニングのために出て、帰ってきて、シャワーを浴びて、朝食にとりかかりはじめて、出来上がった頃合いにやっと一度目が覚める。それから、二度寝だ。
 火神くんがセットしておいてくれる目覚ましもまったく聞こえない始末で、あんなに授業中に居眠りの多い火神くんは一度でさっぱり置きているのに、どうしてボクが起きられないのか、未だに納得がいかない。
 結局、寝癖直さなきゃなんねーだろ、と火神くんに布団からひっぺ返されて起こされる羽目になる。はじめはまぶたも開かないけれど、ボクの寝癖を直してくれているときの火神くんは妙に機嫌の良さそうな、うれしそうな顔をしているから、そのかわいい表情が見たくてがんばって眠気に抗っているうちに目が覚めるのが、彼の家に泊めてもらった日の定番だった。

 そんないつもと変わらない、火神くんのベッドで迎える朝だ。
 何度か鳴ったらしい目覚ましにもぴくりとも反応しなかったボクの耳は、ジュウ、と目玉焼きとベーコンが焼けるおいしそうな音にだけ耳聡く反応して、ふと意識が浮上した。次に、火神くんのにおいでいっぱいになった鼻が、トーストに焼き色のつく素敵な香りをかぎつける。今日の朝ご飯は、バターをたっぷり塗ったトーストらしい。
 今日はよく晴れているのか、タイマーでエアコンが切れた寝室はいつもより寝苦しい。おそらく火神くんの手によってしっかりお腹に掛け直されたであろうタオルケットを、まだ半分夢見心地のまま蹴飛ばす。冷房が得意じゃないボクにはめずらしく、エアコンの冷たい風が恋しいくらい全身にうっすら汗をかいている。
 あれ、火神くんがいない。
 もちろん、朝食が着々と出来上がるいい音やにおいがしているんだから、ベッドの主は台所でせっせと腕をふるっているんだろう。当たり前だ。いつものことながら、世話になっている立場で朝食まで作らせるなんて、良い身分すぎるだろうと自分でも思う。今度火神くんにお詫びしよう。
 だけど、眠りに落ちるまで、自分だってもう意識がないくせにしっかりボクを抱きしめてくれていたあたたかい手が今ここにないことが寂しくて、切なくて、一人でぎゅっと身体を縮こめる。蒸し暑いベッドの上でウトウトしながら、夢の中でうっすら感じた火神くんの体温を思い出そうとする。
 かがみくん、かがみくん。寝ぼけた頭で呼んでいた声が届いたのか、今日も寝癖の爆発している頭をそっと梳る手を感じた。
 火神くんだ。
 そろそろ起きろよ、なんて、低いやさしい声でささやいていても、一向に起きるそぶりのないボクに業を煮やして、すぐに乱暴に布団をひっぺ返しにかかるのはもう解りきっている。
 だって、いつものことだ。
 いつもの朝だけれど、いつもより夏を感じる寝苦しいこんな朝には、火神くんの体温を感じながら、より一層寝苦しくなって二度寝に興じるのも良いかもしれないな。
 そんなふうにボクの中の悪魔がささやいたから、頬を撫でるあたたかい手を掴んだボクは、そのまま目の前のたくましい身体に抱き着いて、もう一度すてきなベッドに倒れ込んだのだった。

▼ タイトルはtiptoeさまより(13.8.15)