「大丈夫だよ」
 一騎は笑っていた。
「大丈夫だ。俺とおまえなら」
 総士でもめったに見ないようなきげんのよさそうな顔で、ほおを染めて。

 かつてふたりで毎日のように遊んでいた公園を、訪れたのはずいぶん久しぶりだった。
 この春に高校を卒業して、はじめてお互いの休みが重なった日。一騎が行きたいと言ったのは、もう久しく足を運ぶことのなかった島の中腹にあるこのちいさな公園だった。
 島にいくつかある公園の中でも大きなほうではない。虫だらけの藪やほとんど獣道のような通りを抜けた先にあるここは、もっと遊具や遊び場が充実した公園や、あるいは町から子どもの足でも向かいやすい公園が他にたくさんあったこともあり常に人気がなく、いつでもふたり占めができる、一騎と総士にとってひみつの遊び場だった。
「うわ、懐かしいな」
 ブランコの錆びた鎖を掴んで、身軽な猫のようにひょいと一騎が飛び乗る。成人前のからだに、子ども向けの遊具はぎいと軋む音を立てて、しかししっかりと一騎のからだを受け止めた。おさないころはあんなに大きく見えた遊具たちが、いまではひどくちっぽけに見える。
 水色のブランコに立ったまま、一騎が全身をたわませて思いきり漕ぐ。鎖が揺れるたびに、きいきいと悲鳴のような音が鳴る。まわりの柵に腰かけて、総士は苦く笑った。ブランコの揺れに酔ってしまうようになったのは、いつからだっただろうか。そんなことを実感できる子ども時代をふたりは送ってこなかった。
「子どもみたいだぞ」
「まだ子どもだろ、俺たち」
 未成年なんだしさ。
 高校を卒業して第二種任務に就いた身だというのに、そんなことを言う。
 一騎はしばらくそのまま勢いよく立ち漕ぎをして、高く高く、空へ飛び立ちそうなほど高くへ到達すると、よっ、と気の抜けそうな軽い声を出して、ブランコから飛び降りた。また猫のように音も立てずにかるがると着地する。さすがの身体能力だ。
「おー、すべりだい」
 気ままな一騎がつぎに寄っていったのは、緑色のすべりだいだった。かつてと同じ色だが、ところどころ塗装が剥げて、にぶい金属の色が覗いている。むかしはあんなに高く思えたすべりだいも、いまとなっては総士の背をすこし越す程度のものだ。はしごも子どもの足の大きさにあわせて作られているからか、ずいぶん細く、ちいさい。
 さすがに子どもじみていると思ったのかこちらはすべろうとはせずに、一騎はすべり降りた先端のところへちょこんと腰かけた。
「こっからさ、俺が逆走して上まで登っていって。総士は最初なかなかついて来れなくて、むきになってすねてたよな」
 一騎は笑っていた。総士でもめったに見ないような顔で。まるで心残りなど、なにもないのだと言うように。
 西日が山の向こうへ沈みかけて、一騎のほおをあわく橙に照らしている。逆光の中で笑うその顔は、ひとつの不安も、恐怖も、かなしさもにじませずに、ただただあたたかくかがやいていた。
 話があるのだと、めずらしく理由をつけて一騎に誘われた。
 その時からすでにいやな予感はしていたのだ。
 いっそつっぱねてしまいたかった。その日は予定があると。仕事が立て込んでいて、なかなか時間がとれそうにもないと。そんな話など聞きたくないと、総士らしくもなく耳を塞いで否定してしまいたかった。
 しかし、一騎の口から聞かなければ意味がないのだとも、わかっていた。わかってしまった。一騎がなんの話をしたがっているのか。こんなところへ来たがって、なにを懐かしみたいと思っているのか。
 どこか感情に疎いところのある一騎にはまるで似合わない感傷だと、笑い飛ばすには、総士自身もあまりに感傷的すぎた。
「あと四年、なんだってさ」
 いつごろから伸ばしはじめていたのか。気がつけばずいぶん長くなっていた髪が、海から吹き上げてくる風になびく。ちょこんと覗いたスニーカーのつまさきは、ついさっきブランコから飛び降りて着地したときについたのか、薄茶けた土で汚れている。
 からだの線が出ない服を好む一騎の、腕まくりをした大きめのシャツからすらりと伸びる腕は、かつてのおさない少年のそれから成長したとはいえ、細いままだ。
 むかしから一騎は、なんでもできた。家庭科の宿題だって。体育のテストだって。手先のぶきような総士よりも。ごくごくふつうの身体能力しか持たない総士よりも。筆記テストの点数ばかりは総士のほうが上だったが、一騎だって特別出来が悪いというわけではなかったし、人並みにできた。
 器用な一騎は、他人から向けられる感情にこそ鈍かったものの、おおむねのことはひとりでできた。ここで、この公園で遊ぶときだって、ゆき道の藪で手を引いてくれるのも、ブランコで背中を押して高みへ押し上げてくれるのも、すべりだいのてっぺんに引き上げてくれるのも、いつも一騎だった。
 一騎はいつだって、総士の前を走っていた。
 総士は、数か月先に生まれたおさななじみに兄ぶった態度を取ることも多かったが、ほんとうはそれは裏返しだった。
 なんでもできる一騎に置いていかれやしないかという不安の、うらがえしだったのだ。
 また僕を、置いていくのか。
「……そんな顔するなよ」
 きらきらと笑っていた顔が、すこし、ほんのすこしだけ困ったふうに眉を寄せて、翳る。
「大丈夫だ。俺とおまえなら。そうだろ?」
 おまえがわらうからだ、と、つぶやいた声は、はたしてふるえずに一騎のもとへと届いたのだろうか。

▼ 一時間でひとつ作品を作り、つぎの一時間でそれを交換して文や絵をつける、という遊びを好きな人とさせてもらったときに、すきな人の絵に私がつけた文です。(2020.5.4)