「皆城くんが誰かと一緒に住んでいるらしい」というのが、最初に出たうわさだった。
 いわく、仕事を切り上げて定時で帰ることが多くなった。あの! ワーカーホリック気味の皆城くんが。非番の日でも気がつくといつのまにかCDCに出てきて、モニタとにらめっこしていた皆城くんが。
 いわく、携帯端末をみつめてやさしい顔で笑うことが多くなった。同居相手からのメールでも見ているんじゃないか。
 こういうこと言うのほんとはよくないんだけど、と庶務担当の職員もうわさに加わった。ランドリーに出していた洗濯物が、あきらかに以前よりも増えている、とかなんとか。
 冷静な誰かが、最近目覚めた、にこにこと無邪気な笑顔がまぶしい彼の妹なのではと釘をさしたが、コアはアルヴィス内の別の居住スペースに部屋を設けている。兄妹みずいらず説も、一瞬にして立ち消えた。
 「皆城くんがだれかと一緒に住んでるらしい」だけだったうわさは、人から人へ伝染するうちに尾ひれがあっちこっちにつきまくり、やがては「皆城くんは誰かいい人を見つけて同棲してる」などという下世話なものになった。
 ほんとうに同棲しているなら、だれか大人が注意してあげなきゃ。だけど家も父も失って、やっと言葉を交わせた実の妹とも離れて暮らしている、そんな人とのふれあいに飢えていそうな子に、おもむろに「だれと住んでるの?」とは、ちょっと、聞きづらい。総士の実情には見て見ぬふりをすることを職員だれもが暗黙の了解としていたなか、ひとりうわさを猛烈な勢いで否定し、立ち上がったのが、アルヴィス司令の一人息子、エースパイロットの真壁一騎であった。
「総士がそんなこと、するわけない。俺はなにも聞いてない」
 と、一騎は最近すこしずつまた見せるようになったやけにかわいい笑顔を仕舞って、やけにけわしい顔で大人たちにぴしゃりと言った。後者についてはそれは理由にならないのでは? と思った者も多かったが、戦闘時でもないのにぴりぴりと殺気立った十四歳の少年の気迫に、なにも言うことができなかった。
「俺が聞く。総士に、聞く」
 彼が非番の日、居室を抜き打ちで訪れて真偽を確認する、と一騎は言った。
 以前なら、非番の日に総士が居室にいるということは、とてもめずらしかった。勝手にCDCに出てきては弓子あたりにしかられているか、そうでなければ一騎のもとへ訪れて、ちゃぶ台を囲みながらぽつぽつとぎこちない会話を交わすことが多かった。多かったのに、と一騎はまたぎりぎりと歯をかたく食いしばった。
 一騎の父である真壁司令も、むっつりとうなずいた。彼がそんなことをするとも思えないが、規則では原則単身でしか居住できないスペースに誰かと同居をしているとなれば規律に関わる問題だ。というのが司令の言い分ではあったが、まだたった十四歳の、それこそおしゃぶりをしていたころから面倒を見てきた息子同然の存在が、はたして本当に同棲などといういかがわしい行為に及んでいるのか気になって気になって仕方がないのだ、ということは、息子を含んだ全職員にばればれであった。

 はたして決行の日。
 アルヴィス内を連れ立って歩く司令とエースパイロットのめずらしい組み合わせに目を見張った人々は、ふたりの目的地が総士の部屋であることを聞くと、え? 皆城くんのお部屋訪問? おもしろそうだね。総士くんの恋人見に行くの? 行く行く! などと気軽に一行に加わった。
 人がふえるたび、一騎の機嫌はどんどんと悪化していった。総士の部屋のインターフォンを叩く指にも力がこもり、強化金属でできたはずのそれがびしりと不穏な音を立てた。しかし一見冷静さを保った無表情であったので、不運にも一騎の内心の激情に気づいているのは、となりに立つ実の父だけであった。
「総士。いるんだろ。開けてくれ」
『……一騎か?』
 いつもよりかたくひややかな一騎の声もインターフォン越しには伝わらなかったらしく、総士はほんの少しうれしそうなやわらかな声で応じ、いそいそと扉のロックを解除した。そして想像もしなかっただろう大勢が自らの部屋の前に立っている光景を目にして、めずらしくあからさまにぎょっと顔をひきつらせる。
「皆城くーん、お部屋訪問よ!」
 集団の後ろのほうから飛び出した弓子のいかにも娯楽を楽しんでいます、とでも言いたげな声に、総士はぐったりと額をおさえ、この島にプライバシーという概念はないんですか、とつぶやいた。

 はじめは、乙姫が見つけてきたんです。とは被告人皆城総士の言いぶんである。
 見つけてきたんじゃないよ、総士のところへ一緒に行きたくて、ついてきちゃったんだよ。とは、あたりまえのように集団に加わり、総士のベッドに腰かけてほほえむコアの言い分であった。
 くだんの同居人は、デスクの椅子に腰かけた総士のひざの上で我が物顔でからだを丸め、ゆったりとねむっている。押しかけてきた大勢の見知らぬにんげんのこともまったく気にしないそぶりで、ごろごろと気持ち良さげにのどを鳴らしている。大物だ。
「……子猫」
 だれかがぽつりとつぶやいた。
「最近帰りが早かったのは……」
「まだ小さいので、ひとりにするのは心配で」
「洗濯物が増えたのは……」
「寝床代わりに毛布を与えていたので」
「携帯端末をやたら見てたのは?」
「……撮った写真を…見返していました」
 総士が同居人を部屋に住まわせることになった経緯を理路整然と説明し誤解をひとつひとつ解いていく間に、黒い子猫は目を覚ました。のんびりとたんねんに全身の毛づくろいをし、総士のスカーフにいまはじめて気がついたようにうずうずと目をかがやかせ、小さなからだでとびかかってやっつけようと果敢に挑戦しては、ひょいと持ち上げられてひざの上に戻される。
 やさしい手つきでちいさな頭を撫でられ、うれしそうに総士のてのひらへひたいやほおを存分にこすりつけては、ぐるぐると部屋じゅうに響き渡りそうな大きな音で喉を鳴らすその愛らしさに、誰もがほのぼのと目じりを下げた。……いや、ひとりを除いて。
 にあ、と総士を見上げて鳴いた子猫をひとなでして、このまま飼わせてもらえませんか、と総士は言った。
「頭のいい子でおとなしく留守番もできます。粗相もしません。この部屋以外には決して出しませんから……」
 まじめで規律を守る戦闘指揮官に、めずらしく年相応のお願いごとをされ礼儀ただしく頭を下げられれば、司令としてもうむ、とうなずかざるを得ない。
「総士!」
 一件落着、と皆がほほをゆるめたそのとき、総士のひざでくつろぐ子猫を認めた瞬間からむっつりと黙り込み、不審者を見るようなしらけた視線で子猫をみつめていたエースパイロットが、泣き出しそうな声を出した。
「お、おれ、俺も留守番できる……っ」
「……はあ…?」
 毛を逆立ててにらみあう黒い毛並みの子猫二匹に、総士が怪訝そうな顔で首をかしげた。
 猫に張り合うな馬鹿息子、と、エースパイロットの実父が頭を抱えてうなだれる様子を、誰もが苦笑いを浮かべてみつめていた。

 さて、皆城総士の居室に正式に同居を認められた黒い子猫は、やたらと部屋を訪れては自分をじとっとにらむ一騎の視線にへきえきしたのか、そのうちにアルヴィスじゅうを縦横無尽に走り回るようになった。
 大小のいたずらこそあったものの、行き交う職員にとくに怯えることもなくひとなつっこくにうにう鳴く様子に、子猫はいつのまにかすっかりアルヴィスのマスコットとして職員に受け入れられていった。
 皆が「ちび」「クロ」「たま」「ルナ」と好き勝手な名前で呼んだが、総士が名付けた「イチ」という名を、とうとう誰も、一騎ですら知ることはなかった。
 大勢にかわいがられすくすくと成長する彼をいちばん最初にお茶目なコアが連れ込んだとき、いたずらっぽく兄に「ねえ、このこ、ちょっとだけ一騎に似てるね?」とささやいたことを皆城兄妹のほかに知っているのは、くりくりとした琥珀色の目をした子猫だけであった。

▼ (2018.11.6)