あ、牛乳忘れちゃったな。
「——牛乳、忘れちゃったな」
 ちょうどわたしの心を読んだかのように背後から聞こえてきた笑いまじりの声に、ついどきっと姿勢を正していた。
 視線をやっていることがばれないように、顔を振り向かせず目だけでそっとうしろを伺う。生鮮食品に値引きシールが貼られはじめる二十一時過ぎのセルフレジは、じつは案外混雑している。わたしと同じ仕事帰りのくたびれたサラリーマン。大きなヘッドホンをつけたままの近所の学生らしい人。みんなが週のなかばらしい倦んだ雰囲気でだらだらとレジに向かい合っている。
 その人たちは、コの字型に置かれたセルフレジの機械の、わたしから見て斜め後ろの一台の前に陣取っていた。
「——ああ、もうなかったか」
「きのうシチューしただろ。あれで終わり」
「取ってくるか?」
「うーん。めんどくさいな。たまにはコンビニでいいか」
 あ、トーミがさ。あそこで新しく出たプリンがうまいって。ついでに買っていこうかな。
 ピ、ピ、と慣れた手つきでカゴの中の商品をレジに通しながら笑うその人は、明るい色のバイカラーのウインドブレイカーからパーカーのフードを覗かせて、ゆるいジーンズに飾らないスニーカーといういでたちだ。ジーンズのポケットは財布でふくらんでいる。
 一方、彼から商品を受け取って、折りたたみのエコバッグに卵や納豆やおとうふをテトリスみたいにきっちりと積み上げて詰めているその連れは、品のいいネクタイをきっちりと締めたスーツ姿にトレンチコートを羽織り、ぴかぴかに磨かれた革靴に、しっかりとしたつくりのビジネスバッグにあたたかそうなチェックのマフラーをひっかけている。
 同じ人を見かけることの多いこの時間帯で、じつは何度か見かけたことのあるふたりだ。もうすこし早い時間に黒髪の人がひとりでカゴを片手に特売コーナーを歩いているところを見たこともあるし、もうすこし遅い時間なら、長髪の人がひとりで半額シールのついた食パンをレジに通していたりもする。
 そしてこの時間帯には、こうしてふたりでセルフレジに並んでいるところに出くわすことが多いのだ。
「ソウシも食べるだろ」
「……ひと口」
「よし。決まり」
 長髪の人がてきぱきとエコバッグに商品を詰めているあいだに、黒髪の人は支払いを済ませてカゴを戻している。戻ってくるなりたっぷりとものが詰まったエコバッグをひとつ手に取り、はい、と差し出した左手には、シンプルな指輪が光っていた。
 あたりまえみたいにその手を取って握った長髪の人の、残ったバッグを持つ左手にも。
 どうしたって重いからだをひきずる週のなかばに。スーパーへともに足を運ぶ人のいる生活をほんのすこしうらやましく思って、わたしもきょうの牛乳はコンビニで買ってしまうことにした。
 おいしいとうわさの新発売のプリンも、あしたのわたしのために買ってしまうかもしれない。

▼ パーカージーンズウインドブレイカーの黒髪の男の人と、きっちりネクタイを締めたスーツ姿にトレンチコートの長髪の男の人が、ふたりでならんで手慣れた様子でセルフレジに鶏モモ1キロとか牛乳3パックとか卵2パックとか通してるところが見たい話 黒髪の人はピッてする係 長髪の人は詰める係 総士がエコバッグテトリスする速度をとくに一騎は考慮せずつぎつぎピッピしてレジを済ませていくので荷台のほうにテトリス待ちの商品がいっぱい積んであったらかわいい(2020.3.4)