せっかくのふたりそろったオフの一日、総士の機嫌がものすごく悪い。朝から気合を入れて作った朝食兼昼食にも手をつけてくれず、起きてからずっと一騎のことを無視し続けている。理由はよくわからないが、原因ならわかる。昨晩公式サイトに載った、この告知だ。
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昼過ぎにのそのそと起き出してきた総士は日課のニュースチェックを終えてどうやらこの告知を見たらしく、しばらくがくぜんとした顔をしていた。いつもなら寝起きはぼーっとしている時間が長いのに、めずらしくすごい勢いでしゃべりだした。
「おまえ、おまえは、また、おまえは僕になんの相談もなくこんなこと……っ」
「え? だってソロ仕事だし」
詰めよる総士にしれっと言い放った一騎をにらみつけたあと、溝口さんめ……とこわい顔でマネージャーの名前を呟いて、総士はそれからうんともすんとも言わない。そろそろ洗濯もしたいので着替えてほしいし、総士のために作った食事が冷めるのは悲しい。
きょう何度目かの一騎のあまえた「そうしー」のあと、とうとう総士が大きくため息をついて、重苦しくうなずいた。
「わかった」
「なにが」
「僕もやる」
「は?」
とつぜん何を言い出すのかと怪訝そうな顔で見れば、総士はびっくりするくらい座った目をしている。
「ハグ会。ちょうど今度出すピアノソロのミニアルバムがあっただろう。あれにつけるよう溝口さんに掛け合ってくる」
「あっ、おい! 髪ぐちゃぐちゃだぞ」
言うやいなや、がばりと雄々しくスウェットを脱ぎ捨てて、外出着をごそごそひっぱりだしている。後頭部にはまだねぐせがついたままだ。総士はよだれを垂らして寝ている姿もかっこいいけど、それとこれとは話が別だ。一騎の手で完璧ないい男に整えられていないまま外出しようとしていることに焦って、少し遅れて総士が言った内容に理解がおよび、心臓が飛び出しそうになった。
「ちょ……ちょっと待て! やるって、え!? ハグ会!?」
ふだん大した回転数ではない一騎の頭が高速で動き、一瞬で「皆城総士感謝のハグ会」の光景に想像が及んだ。中学生くらいのまだ子どもみたいな子たちや、高いヒールでがっつり髪を巻いたお姉さんたち、ちいさくて素朴な雰囲気のいかにもかわいい女の子たちに、もしかしたら少数の、でも確実にいる総士のファンの男たちを、うしろからそっとやさしく抱きしめる総士……だめだだめだだめだ! 総士がハグ会なんか絶対だめだー!
ほとんど半狂乱のようになって、リビングから出ようとしていた総士をうしろから抱きしめる。手加減ができなかったから、思い切り締め上げられた総士がぐっと苦しそうな声を出した。
「なぜお前が良くて僕が駄目なんだ」
「そ、それは、だって、溝口さんがみんな喜ぶからって、でも総士は、そうしは、おれ……っ」
「ドラマでも映画でもめちゃくちゃ我慢してるのに、総士の好きな演技の仕事以外でも総士が俺じゃない誰かを抱きしめるなんて絶対いやだ!」とあけすけに言うことはできずに口ごもった。
こうなると総士に口では絶対勝てない。それに、総士は一度やると言ったらどんな無理なことでも実現してしまう。今となっては年中薄着の悪徳マネージャーの口車に乗せられて「ハグ会? よくわからないけど、いいですよ」と軽い気持ちでうなずいた数ヶ月前の自分をぶん殴りたい。
「と……とにかくだめだ! ハグ会なんて許さないからな!」
口で勝てないことはわかりきっているので、こうなると身体的拘束としつこさで総士の妥協を取りにいくしかない。抱きかえしてはくれない身体をぎゅうぎゅうに抱きしめて、この間変えたばかりのシャンプーのにおいがする髪に顔を埋める。あ、いいにおいだ。総士、このにおい似合うな。次も同じやつ買っとこう。
「一騎、首が苦しい、離せ」
「いやだ」
もう少しかかるかとふんでいたが、総士は案外早くに首を振って、はあーっとため息をついた。
「……冗談だ、ハグ会なんてやらない」
「えっ」
総士の言葉に安堵した身体から、ふにゃふにゃと力が抜ける。
ずるずると落ちていく身体でかろうじてすがりつく一騎をあきれた顔でふりかえって、総士はその腕をぽんぽんと叩いた。
「だがこれで僕の気持ちがわかっただろう。もう告知を出してしまった以上今回は実施するしかないだろうが、今後二度とこういうことはやるな」
「うん……うん」
総士が言ってることはよくわからないが、とにかく総士がハグ会をすることはないということだけは理解して、一騎は何度もすなおにうなずいた。総士がだめだと言うなら、今度からハグだの壁ドンだの顎クイだののスキンシップがともなうファンイベントは全部断ろう。それで総士が誰かを抱きしめたりしないのなら、お安い御用だ。
「一騎」
「?」
「ブログ用の写真、このまま撮るから、笑っていろ」
「ん……うん」
ひとまず機嫌をなおしてくれたらしい総士にはやく飯食べてほしいなと思ったが、言われるがままに笑顔を浮かべた。うしろから総士を抱きしめた体勢で、総士の肩にあごをのせる。焦りのあまり目に涙すら浮かんだ直後だったが、総士にくっついて総士のにおいを感じていれば、いちばんの笑顔を見せることなど、一騎にとってはたやすいことだった。
その後、めったに一騎のソロ仕事を告知しない総士のブログにめずらしく「真壁一騎ハグ会のお知らせ」のタイトルでアップロードされた記事の写真を一目見た遠見の、「皆城くん、わかりやすすぎる……」と心底あきれた声色の呟きを聞いたのは、幸運にも同じロケバスに搭乗していた暉だけだった。
▼ (2018.11.2)