こてん、と左肩にかかった重みに、まぶたを開けた。両耳のイヤホンを取る。沈黙と繊細なピアノが遠くなり、車内のくたびれたざわめきが世界に戻る。
 総士たちが所属する芸能事務所、竜宮プロダクションの所属タレントが一挙に出演する合同コンサート、その地方公演が終わった帰りの新幹線である。
 終演後、明日のスケジュールの都合で、一騎と総士はSNS用の写真撮影もそこそこに、簡単なミーティングとシャワーを終えて皆と別れを告げ、すぐに新幹線に飛び乗ることになった。慣れたこととはいえ、ハードなセットリストを昼夜二公演はいまだにきつい。新幹線を待つホームでも「けっこう、まだいける」などと言っていた一騎と違って総士は体力の限界だったから、席に落ち着いてイヤホンをするやいなやぐったりと眠りに落ちてしまった。
 腕時計を見ると、都心までまだあと半分といったところか。中途半端に覚醒した頭はぼんやりとしている。マスクをずらし、ミネラルウォーターのボトルを一気に半分ほど煽って、ようやく人心地つく。
 左肩の重みは、一騎の頭であった。ぐりぐりとこすりつけてくるから、いつものように寄りかかって寝ているわけではなく、総士にかまってほしいらしい。移動中や空き時間、基本的に総士のやりたいことを優先させる一騎が眠っている総士を起こすのはめずらしい。よっぽどあまえたい気分らしい。
「なんだ」
 総士の肩に顔を埋めたまま、一騎は器用にスマートフォンをにゅ、と目の前に突き出してくる。
「鏑木、ブログで、めちゃめちゃお前のことほめてる」
 画面に映っていたのは、事務所の後輩の公式ブログだ。「大好きな先輩と!」とタイトルのついた記事が早速更新されている。今日のコンサートの感想、出演者全員での集合写真、発売中の舞台チケットや出演番組のお知らせ、それらとともに、総士とのツーショットと、今日の公演での総士のパフォーマンスについてが、けっこうな熱量の長文で綴られている。

『今回のツアー五公演目になる夜公演での回替わり曲は、総士先輩ソロの「odessey」!
 アルバムの初回限定特典なので、もしかするとご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、ぜひ!聴いていただきたい一曲です。総士先輩の今までのソロにはあまりないような曲調で、普段の先輩とは一風違った、尊大な印象の歌声がまたかっこいいんです!Cメロの澄んだロングトーンも良いし、なによりイントロとアウトロの、意外なほど激しいセクシーなダンス!うっかりスタンバイを忘れて袖で見入ってしまうところでした。
 そしてそして、なんと続く僕のソロ曲「Checkmate!」では総士先輩とデュエットさせていただきました!
 実は、かなり前から総士先輩と一曲デュエットがやってみたいです……とマネージャーさんに希望は伝えていたのですが、さまざまな都合でなかなか実現できず……。今回、やっと、念願がかないました!』

 ふと笑みがこぼれた。彗はデビュー当時から憧れの先輩として総士の名前を挙げており、イベントやコンサートにもよく遊びにきてくれる。どうやらCDや雑誌も自分で購入しているようだ。総士自身、特に目をかけてかわいがっている後輩に、こうも好意を表現されて、うれしくないはずがない。
「今日も、頭撫でてやってたろ」
 総士の笑みに、不満げに一騎がうなる。
 今回のセットリストでは後半の曲に彗と二人での歌割りがあり、そこでは毎回、肩に手を回したり手をつないだりと、総士からアクションを起こすことが定番のようになっていた。
 出演者同士のそういったスキンシップはファンによろこばれるが、総士自身はあまり乗り気なたちではない。ふだんの一騎とふたりのコンサートでも、基本的に一騎が総士に抱きつき、腕を組み、頭を撫で、抱き上げ、まれに調子に乗ったときにはほおにキスをして、ファンの「ふたりでくっついて」うちわに毎公演応えてやっている。とはいえ、ファンサービスの一環というよりも、一騎がやりたくてやっていると言ったほうが正しい。総士はそのたびに、驚きと若干の抗議をたたえた表情で顔を顰め、なにごともなかったかのようにパフォーマンスを続けるのが常だ。
 総士から一騎へちょっかいをかけることは、せわしないスケジュールの中でも、年に一度あるかないか程度にしかない。
 そんな前提があるからか、総士がめずらしくどの公演でも後輩と絡み、かまってやっていることが一騎にとってはたいそう不満だったらしい。公演中のMCでもわざわざファンに「ひとつだけ言ってもいいか?」と前置きしたうえで「なんで俺にはやってくれないんだ!」「鏑木ばっかりずるい!」と声高に主張し、総士にため息をつかせ、彗を苦笑させていた。結果として客席は湧いていたので、まあ良しとする。
「あのMCは反応が良かったな。お前もなかなかああいうのがうまくなった」
「そ、そっかな」
 ごまかされてはくれないかと一騎の好きな表情でほほえんでほめてやれば、うれしそうにほおを染めて照れたあと、「そうやってまた俺の話流す!」と思い出したように怒った顔を作っている。コロコロと変わる表情がどれもかわいい、と紹介されたのは、いつオンエアの番組だったか。
「なんか、いつも俺ばっかり、やきもちやいてる」
 総士の肩になついた一騎が大きくため息をついた。脱いで膝に置いたキャスケットの縫い目を、白い指がいじっている。
「俺もけっこう後輩とか、他の事務所の子との仕事多いのに、お前はぜんぜん平気なんだな」
「……お前はわかりやすいからな」
 なにせ、一騎の「総士好き」はファンの間でも周知の事実だ。総士が体調不良でイベントを欠席せざるを得ないときや、リハーサルや本番でのちょっとしたケガ、果てはすこしきわどいグラビアが載った雑誌が発売されたときでさえ、一騎のSNSには「かずきくん、大丈夫…?」のコメントがあふれかえる。
 おまけに自他ともに認める口下手である一騎の個別握手会では、料理の話と並んで唯一一騎が色よい反応を返せるからと、なぜか総士の話題を持ち出すファンが増えたらしい。そんなことにも気づかない一騎は、後日SNSやMCで「最近握手会で総士の話してくれるファンの人が多くて、楽しいんだけど、総士のこと一番よくわかってるのは俺だから!」となぜかファンに張り合おうと見当違いのコメントをしており、そのあおりが総士のSNSにまで届いたことも記憶に新しい。
 もちろんファンのみならず同じ事務所のタレントや仕事で共演した同業者にも知れ渡っており、今日もSNS用の写真を撮ろうと御門と三人で並んだが、「一騎先輩、総士先輩とツーショット撮りたいかと思って……」と御門を遠慮させるほどの浸透ぶりだ。どんな気遣いなんだそれは。普段はふたりのユニットなのだからツーショットなどいくらでも撮れるくせに、「そ、そうか?悪いな」とまんざらでもなさそうに総士とふたりで収まった写真を、このエピソード付きでSNSに上げていた一騎も一騎だ。
 だが、呆れはするが、悪い気はしない。
 こうまで一騎が総士に対して特別な感情を抱いているとおおっぴらにされれば、たとえ一騎があからさまにどこかの女性アイドルから好意を向けられていたとしても、テレビドラマで親密な役柄を演じていても、総士は妙な感情で心を乱されずに済む。
 どうも一騎は理解していないようだが、一騎が総士へ向ける好意と、総士が一騎へ向ける執着の大きさに、さしたる違いはない。それを表に出しているかどうかの違いでしかないのだ。
 一騎からの好意の発露も、迷惑そうな顔をしたところで、総士が本気で嫌がっているわけがない。だいいち、一騎からのスキンシップがコンサート中になかった場合、わざわざ納得のいっていない顔で一騎に近づき、ちょんと自らのほおを指し示して「なにか忘れてないか?」のポーズをとってやっているくらいだ。なぜ間近でそれを感じているはずの一騎がまったく気づくそぶりもなくこうやって拗ねて、逆にステージ越しにしかこちらを見ていないファンのほうがよく理解し、なにかとからかいの声を総士に向けてくるのか。
 ため息をついて、ぐい、と一騎の頭を下げさせた。首筋に顔を埋めさせる。あたたかい吐息があたってくすぐったい。
「総士?」
「ブログ用だ」
「ん」
 慣れたもので、総士がスマートフォンを取り出せば、一騎はされるがままその姿勢でじっとおとなしく待っている。まずはそのまま一枚。この一騎を編集して隠すか、そのまま載せるかどうかはあとで考えることにする。隠したところで一騎はなにも言わないだろうが、ファンは体勢やシルエットから一騎であることに気づくだろう。わざと意味ありげに隠すか、めずらしくそのまま密着した写真を公開するか、どちらのほうがより話題を呼ぶだろうか。
 総士の首筋に頭を埋める一騎の、まだシャンプーの香りが濃い黒髪にそっと口づけた。そのままのアングルでもう一枚、シャッターを切る。
 これはブログには上げてやらない。せいぜいいつか、突然一騎に送り付けてやる用に、カメラロールに秘蔵しておくのだ。

▼ ぜったいに自分のほうが相手のことを好きだ、と思い込んでいるような、相手への好意にふりまわされているふたりがすきです。(18.7.16)