帰るなり玄関先にぬくぬくのかわいい湯たんぽが待っていてくれるから、冬は好きだ。
「そうし、ただいま」
 がらがらと引き戸を開けた先できちんとおすわりをして出迎えてくれた愛猫は、一騎のただいまのあいさつにふりっとしっぽを一振りして応えた。
 そっと抱き上げるとそうしはしっくりくる体勢を探すようにもぞもぞと身じろいで、おなかを見せる仰向けに落ち着いた。満足したのか控えめにくるくる喉を鳴らして、おでこを首筋にすりすりと何度もこすりつけてくる。気分じゃないときにだっこするとふきげんなしっぽにびしびしほおをぶたれるが、今日は仕事がいつもより遅くなったから、少し寂しかったのかもしれない。ふさふさのしっぽは機嫌がよさそうにゆったりと揺れている。
 ふかふかのおなかに顔を埋めて息を吸う。さっきまでこたつに入っていたのか、からだの芯までぬくぬくだ。あたたまった空気と、晴れた日に干したふとんのような香ばしくてあったかいにおいを胸いっぱいに吸い込む。一日せわしなく働いた身体から、くんにゃりと疲れが抜けていく。
 そうしを抱えたまま、居間を覗いた。今日は総士が先に帰ってるはずだ。遅くなるので晩は父とふたりで先に食べててくれと連絡はしておいたが、それにしてはいやに静かだ。
 テレビが消された居間では、こたつに入った父がひとり黙々と新聞を広げていた。
「おかえり」
「ただいま。総士は?」
 無言のまま指さされた対角の辺を覗くと、薄型の情報端末をかたわらに投げ出したまま、腕の中にまっくろくろすけを抱えて、無防備な顔で眠る総士の姿があった。めずらしい。だからテレビもつけていなかったらしい。
 仰向けでねむる総士の腕の中にもぐりこんだかずきも、やさしく自分を抱く腕にくるんとしっぽを巻きつけて、その肩にうっとり頭をあずけながら眠っている。帰ってきた一騎のほうに気づいたのかまだずいぶん眠そうなか顔を上げて、一言だけにあと鳴いた。
 先に着替えてこようと降ろしたそうしが、一騎の脛に何往復かからだをこすりつけて、かずきのとなりのわずかなスペースにむりやりぐいぐいと割り込む。穏やかに上下するかずきの背中を、毛並みを整えるように何度か舐めて、ちいさな頭をあずける。
 一騎の愛すべきふわふわたち。みっつ揃ったふわふわを、順番に撫でて立ち上がった。さっきまで腕の中にあったぬくもりが、胸の中にずっと残っているようだった。


(2018.11.30)


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 ふに、ふに、とつめたくやわらかい何かがしつこく顔にふれる感覚で目が覚めた。
 うめきながら枕元の目覚ましを見れば、針は朝の四時半を指していた。朝の早い一騎でもまだぐっすり眠っている時間だ。現に、腕の中の大きな黒猫はおとなしく総士の胸元にすりよって、安心しきったゆるゆるの顔でしずかな寝息を立てている。
 なんとなく予想はつきながらも枕元を仰げば、ちょこんと座りこんだ二匹の猫がじいっとこちらをみつめている。総士の視線が向いたことでくるくるとうれしそうにのどを鳴らしはじめた黒猫をよそに、もう一匹の冬の温度できんきんに冷えたつめたい肉球が、ぷにりとまた口元をたたいた。
「ん、む」
 執拗に唇を狙ってくるちいさな前あしから逃れて、ねむる一騎の体温であたたかいふとんのなかでもう一度目を閉じる。が、いまだにごろごろ言いつつもあまえた声でなにかを訴えるように鳴く黒猫の舌が、前髪の生え際をくすぐるようにざりざり舐めて、そのくすぐったさに、さすがに降伏せざるを得なかった。
「……わかった、わかった。無視した僕が悪かった」
 ため息をつきながら、一騎を起こさないようにそっとふとんを出る。半纏を着こんで身ぶるいしながら台所に向かえば、現金にもぴんとしっぽを立てた二匹が、トトトと弾んだ足取りで付いてきた。
 食器棚の下からかりかりの袋を取り出し、それぞれの猫の食事用の皿にざらざらと空ける。一食分出すか出さないかのうちに、相当腹が減っていたらしい二匹がしゃがみこんだ総士の脇の下から顔を出して、けっこうな勢いで皿にがっつく。
 こうならないようにいつも自分か一騎が就寝前にかりかりを補充しているし、昨晩も変わりなかったはずだが、と考えて、そういえば日付もとうに変わったころ、ふすまの前を横切り遠ざかっていくはげしい足音や、なにか重いものを高いところから落としたようなにぶい音が響いていたことを思い出した。どうやら、ときおり行われる真夜中の大運動会の開催日だったらしい。腹を空かせているはずだ。幸いあの音からして、猫に落とされたのはわれものではなさそうだ。確認は日が昇ってからにしておこう。
 きんと冷えてきたつま先を擦り合わせて、朝食に一生懸命な猫たちをそのままに寝室へ戻る。ぬくぬくのふとんへ無遠慮につめたい足を突っ込んだが、一騎はむずがることもなく、器用に意識のないまま総士を抱きよせて、髪の間に鼻先を埋めて満足そうにため息をもらしている。まるでねこのようだ。
 ゆるゆると一騎の体温であたたまるからだに訪れた眠気に意識を手放しかけたとき、足元のふとんにもぐりこむふわふわのぬくもりが、素足をくすぐった。総士の愛すべきふわふわたち。ゆっくりとまどろみを楽しむ時間は、まだたっぷり残されている。


(2018.12.12)

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 雨はすきじゃない。
 空気がじめっとして顔がぺたぺたするし、マズルのあたりもむずむずしておちつかない。せっかくぴんと張ったひげも、すぐにしなしなになる。総士にブラッシングしてもらったつやつやの毛は、何度なめてもぼさぼさになるからあきらめた。
 目が覚めてから、なんだかしっぽが重いなあ眠いなあと思っていたら、すぐに空が黒くなって、雨がざーざー降りだした。窓に近づくと水のにおいがいっぱいして、そわそわ落ち着かなくなる。
 晴れた日は外がよくみえる窓の前に陣取って、ゆったりきもちよさそうに寝ているそうしも、雨の日はやっぱりだるくなるみたいだ。ふわふわの毛布をたっぷり敷いてもらった寝床でだらーんと長くなってのびている。
 毎日せっせとなめてきれいに整えてやってるそうしの毛並みはくねくねうねって、ふさふさのしっぽがふきげんそうにふりふり揺れている。いつもならつい目が離せなくなって、すぐにとびかかってそうしにおこられながら狩りごっこに夢中になってしまうけれど、雨の日はあんまりそういう気にもならない。
 ひとりでパトロールにいく気にもならなかったので、寝床に横になったそうしのおなかのところにまるくなって、鼻を埋めてすうすう息を吸った。そうしのにおいがたくさんして落ち着く。
 だらんと伸びていたそうしが、くるんと俺を抱き込むようにまるくなって、ミミのあいだをざりざりなめてくれた。きもちよくて、のどが勝手にごろごろ言う。おかえしにほっぺたをぺろぺろなめていると、うと、うと、とねむくなってくる。
 すん、とひとつ息をついて本格的に眠ろうとしたとき、玄関のところで一騎と総士が帰ってきた音がした。
 くああ、とおおきくあくびをして、そうしの温度でぬくぬくの魅惑の寝床からしぶしぶ出る。まずは前あし。ぐーっ。それからうしろあし。ぐーっ。じゅんばんに伸びをすると、ちょっとだけ目がさめた。
 自然と弾むような足取りになりながら、玄関へ向かう。寝てるかと思ったけど、目をしょぼしょぼさせたそうしもついてくる。
「みあ、なあ」
 おかえり、総士、おかえり。靴をぬいだ総士のあしに、いつもみたいにたくさんすりすりしようとして、びっくりして固まってしまった。総士のあしがびしょびしょだ。
「かずき。ただいま」
 いつもみたいにあたまをやさしくなでてくれる総士の手から、濃い水のにおいがする。伸びた腕からぴちゃんと水が落ちて、胸のところがどきどきする。総士が帰ってきてなでてくれてうれしいのに、ミミがうしろをむいてぴぴぴと逃げてしまう。
 よく見たら、総士の服はびしょびしょに濡れて、あごをくすぐる指もすっかりつめたい。雨でびしょびしょになったんだ。一騎のほうもびしょびしょのようで、足元によっていったそうしはしばらくおとなしく撫でられたあと、ぴゃっと寝床に逃げ込んでいた。
「雨の日はよく寝るな~」
 そうしは一騎からぽたぽた降ってくる水にびっくりしたのに、寝床で濡れた背中をせっせとなめるそうしを見ながら、一騎はのんきに笑っている。
「一騎、早く風呂に入れ。風邪を引くぞ」
「総士も濡れてる」
「お前が自分のぶんの傘しか持ってこなかったせいだ」
「いやじゃなかったろ? 相合傘」
 にこにこ機嫌がよさそうな一騎に、しっとり濡れた髪を耳にかけられながら、総士はためいきをついて、されるがままだ。そのままふたりはいっしょに「おふろ」に引っ込んで、ドアはぴったり閉じられてしまった。ドアの前で待つのはあきらめて、ぬくい寝床で待つ総士のところへもどる。落ち着くところを探していると、総士の手で濡れてしっとりしたあごをそうしがなめてくれた。
 せっかくざーざー降りの雨の中を帰ってきたのに、またわざわざ家の中でぬくい雨にぬれるなんて、にんげんってやっぱりへんだ。
 ふたりがいっしょに「おふろ」にいくと、壁についているマルの中の棒がくるっと一周するまで(そうしは「いちじかんだ」って言ってた)おれたちはほったらかしだ。窓の外からも、家の中からもざーざー水が降る音がたくさんしている。
 いつもどおりのぬくくてさらさらに戻った総士が「おふろ」から出てきて、たくさん遊んでくれるまで。もうひとねむりしような、そうし。


(2019.3.10)