ふと意識が浮上したとき、ゆっくりと手足をのばして大きく息を吸って、そしていま横たわるここがどこかも思い出さないうちから最初に感じるのは、そのぬくもりだ。
 静かな寝息にあわせて上下するなめらかな肌と、とろとろとしたまどろみを深くするような温度。
 つま先まで意識をゆきわたらせて、敏感な指にふれる心地のよい感触を味わいながら、ゆっくりとまぶたを開く。橙のぼんやりとした明かり。ほのかな常夜灯を受けて、むきだしになった裸のままの白い肩と背中が照らされている。肌寒そうなそれに眉をよせて、掛布団を肩まで引き上げてやった。
 眠るときの常夜灯は、一騎が日常的にこの部屋に泊まるようになってから、つけるようになった。もともと総士は照明をすべて落として眠っていたから、はじめはまぶしくてとても眠れないと思っていたが、今ではふと目が覚めたときにこの光がなければ落ち着かない。閉じたまぶたの裏にもかすかにすける暖色に、最近ではどこかやすらぎすら覚えはじめている。
 一騎と裸のままの肌と肌をふれあわせてからだをつなげることは、とうぜん好きだ。そして、行為が終わったあとにからだとからだをよせあって眠ることも、総士にとってはたまらない幸福だった。
 
 史彦がCDCの夜勤で家を留守にする夜、一騎はいつからかきまりごとのように、ふたりぶんの夕食とともにこの部屋へ泊りにくるようになった。
 総士も、もちろん、悪い気はしない。直属の上司である史彦の勤務表を、戦闘指揮官としての職務のため以外にも、日々しっかりと頭のなかに入れておくくらいには。
 そうすると、ひつぜん、総士の部屋のお世辞にも広いとはいいがたいシングルベッドに成人近い男がふたり身をよせて、あちこち押しつけあいながら眠らざるを得なくなる――ちなみにアルヴィスの庶務に申請すれば、夜勤のものや入院患者の付き添い用のエキストラベッドを貸し出してもらえることなど総士はもちろん知っているが、それをみずから用意するどころか、アルヴィスの事務に疎い一騎に教えてやろうと思ったことは一度もない。
 とはいえ、一騎も特段文句を言うでもなくよろこんでひんぱんに泊まりにきているくらいだから、たいしてベッドの狭さなど気にしてはいないのだろう。
 冬といえど、就寝中は暖房を落とすようにしている。室内は冷えきって、掛布団に開いた隙間から忍び寄る乾いた空気は鳥肌が立つほど寒い。一騎の体温でぬくぬくとあたたまった布団の奥にもぐりこんで、縮みあがったからだがほぐれるぬくもりに、ほうっと息を吐いた。
 こちらに背を向けた一騎の、わずかに乱れた髪が流れるうなじに顔を寄せる。大きく深呼吸をした。一騎のにおいだ。からだの芯のところが溶かされる、ほっとするようなにおい。そして、どこか胸の奥が情欲にざわつくようなにおい。いまはそれにほんのすこし、汗のにおいがまじっている。からだを重ねたあと、シャワーを浴びずに眠るときのべたつく肌の感触も、実は嫌いではない。
 こうして肌を重ねたあと同じ布団で眠るとき、ふと目が覚めると、一騎はこちらに背中を向けていることが多い。
 深刻な同化現象の影響でほとんどの視力を失っていたとき、一騎はその指先でふれて、世界を感じとっていた。心から安心して深い眠りにつくとき、人の無意識はひどくむきだしになる。いま一騎は、広くなった背中のより大きな面積で、すぐそばで眠る総士の体温や感触を感じて安心しているのだろう。
 ――あるいは、一騎はどこかで覚えてくれているのかもしれない。総士が送った約束を錨にして、波打ち際で足を取られるようにあやうく揺れていたあの日々。くすぶらせていた激情ごと、その背中を抱きしめたかたちのない総士の感触を。それを受け止めた、背中のぬくもりを。
「……ん、」
 胎児のようにからだを丸めて横たわっていた一騎が大きく息をついて、ゆっくりと手足を伸ばす。起きたのか、としばらく様子を見たが、規則的な呼吸は穏やかなままだった。
 いっそ起きてはくれないだろうかと、伸びたえりあしの下の白い肌に吸いつく。ちゅ、ちゅ、といくつか痕を残しても、一騎はむずがるような声を上げるだけで、やはり起きる気配はない。どうやら総士の体温に安心して、よっぽど深く眠ったままのようだ。
 総士は比較的、季節やタイミングを問わず好きなときに好きなように一騎にさわる。そのからだや、総士にふれられて幸福そうにとろける甘い瞳を、よろこぶ一騎の素直な反応を堪能できるのは、総士だけの特権だった。
 こうして直接ふれる肌の温度は、やはり寒い冬のものが格別だ。春のさらさらとした心地のよい肌も、夏のべたつく汗ばんだ熱い肌も、秋のほんのりと冷えた肌も、どれも嫌いではないが、寒さが厳しくなればなるほど、この体温が冷えたからだに染み入る気がする。
 きんと冷えた空気の中で味わう一騎の温度は、まるで喫茶楽園のコーヒーのように、総士をとりこにする。ひなたでまどろむ猫になったような、くつろいだ満ち足りた気分になる。
 ――そして、腹の奥からちりちりと迫ってくる埋み火の熱にあぶられるような気持ちにも、なる。
 一騎がここまで熟睡していることに安堵したような、ほんのすこし残念なような心地になる。素肌のふれあう感触をゆっくりと楽しむうちに、つい数時間前まで一騎が入っていたところが、ふたたびうずきはじめていた。
 白くなめらかな広い背中の、山脈のようにてんてんと隆起した背骨をひとつひとつ指でなぞってゆく。
 総士は一騎のからだが好きだ。自分よりもわずかに高いその体温や、なめらかな皮ふの感触が好きだ。全身をしなやかに動かすための必要な筋肉がついた一騎らしいそのからだを、心からうつくしいと思う。
 総士の最近のお気に入りは、こうしてふと目が覚めた真夜中、こちらに向いたその背中をそうっと撫でることだ。
 かたちのよい肩甲骨にくり返しくちびるを落とす。おとなの骨格にうすく肉のついた肩がぴくんと跳ねて、むずがるような声が目の前の男からうにゃうにゃと漏れた。
「……くすぐったい」
「おはよう」
 悪びれもせずその背中をまさぐり続ける総士の指を、伸びてきた手がきゅっと握る。
「んー……」
 まだねぼけた声でうなる一騎が、ベッドの中でくるりとこちらを向いた。隙間から入り込む冷えた空気に鳥肌が立つ。寒い。布団の端をしっかりと肩口に引き寄せて、背筋をぞくぞく上ってゆく感覚にぶるりとふるえる。すぐにあたたかい素肌が首筋に、素足にからんで、一騎のぬくもりにほっとからだが緩んだ。
「なんだ」
「なんだよ?」
 寝起きの一騎の声は、まだしたたらずでとろとろに甘い。いつもよりも幼い声と口調にたまらなくなる。
 おっとり伸びてきた指が総士の顔にかかる髪をそっと梳いて、やさしい仕草で耳にかけた。髪を撫でるついでのようにいたずらっぽく耳のふちをふにふにとつままれ、寒気とはべつのふるえが腰からゆっくりと昇ってゆく。
「そこばっかりさわって。しかも、俺がねてるとき」
 寝つきのよい一騎のことだから、てっきり眠っているうちに総士に好きにさわられていることなど気づいてはいないだろうと思っていたが、いつのまにか気づかれてしまっていたらしい。
 定期健診のたびに提示される数値がけして改善しているわけでもないのに、すこしずつ、おとなになってゆく一騎の背中。
 広く、厚くなってゆくそれが、どんなに総士にとってなくてはならないか。一騎はきっと知らないだろう。
 総士がときおり好きなように一騎の耳をくすぐってからかうのはその反応があいらしいからだが、こうして寝具の中でその背中にふれるのは、それとはすこし意味が違う。その指先にけして欲望が含まれていないわけではないが、なだらかな起伏をなぞるとき総士の胸にほのかに灯るのは、それだけではなかった。
 もっと幼くておだやかな感情。
 それは祈りにも似ていた。あるいは、総士の中でだけ完結する、誓いのようなもの。
「ここにも」
 とんとん、とあどけない仕草でみずからのくちびるを指で示す一騎に、乞われるままに顔を寄せる。まだ濃い夜の気配に浮かされて、どちらからともなく、最初から口を開くキスをした。
 やわらかい舌を吸いあう。無防備なくちびるからこぼれる唾液をすする粘着質な音に、ただでさえ熱を持ちはじめていた腰が、また重くなった。素肌にふれた硬くなりつつある熱に気づいた一騎が、くちびるをあわせたままくすりと笑う。
「おかえし、やるよ」
 ぐっとベッドについた腕に力を込め、一騎はうつぶせから豪快に起き上がった。勢いで思いきり布団が捲れて、せっかく一騎の温度でとろけていたからだを冷えて乾いた空気がつつむ。総士が毛の長い動物なら、きっと全身の毛を逆立てていただろう。
「一騎、寒い」
「大丈夫」
 すぐ熱くしてやるから。
 こちらの文句を気にも留めない様子で、一騎は横たわったままの総士を見下ろす。
「ぁ、……」
 熱っぽい目で裸のからだをうっとりと見つめられ、期待に体温が上がった。

▼ (2019.12.6)