なつかしい日の夢を見た。

 やわらかい髪をそっと手にとる。全体をゆるく内に巻いてサイドの毛束を編み込み、左右の耳の後ろで留めておく。後ろ髪をひとつにまとめるかどうかしばらく迷ったが、くるりとカールした毛先がきれいだったので、そのまま流しておくことにした。
 簡単で定番の髪型だが、総士によく似あう。高い位置でひとつに結っているのも活発な印象になっていいし、低いところでまとめているのも知的で涼しげな感じがして好きだが、やっぱりきれいに伸ばした長い髪を下ろしている総士が好きだ。とっておきのときには、いつも下した髪型ばかりを選んでしまう。
 あまり似たアレンジばかりになるとマンネリになってよくないかな、前みたいに総士にも髪型を決めてもらったほうがいいんじゃないか、と相談したこともあったが、「お前がいいと思うものがいちばんいい」と言われてしまった。困ったような返事をしてはみたが、ほんとうは、柄にもなくはしゃぎそうなくらいうれしかった。
 今日はふたりの写真集の発売記者会見だ。「真壁一騎&皆城総士写真集『Eins』『Alles』」。来月無事発売される写真集の記者会見が、月初めの甲洋と操とのコンサートも無事成功し、短いオフのあと、こうして総士の髪をとりわけいつもより整えるひさしぶりの場だった。
 これから事務所を出て午後からの書店での記者会見のあと、夕方からはまた事務所に戻って特別特典の百冊限定のサイン本の書きものだ。何年経っても字はうまくならないしコメントは思いつかないままで、慣れることはない。やっぱり書きものは苦手だが、そのぶんの時間、総士と一緒だと思うと少しはやる気が出る。
 レギュラー番組の出演や雑誌の撮影で簡単なアレンジこそしていたがどれも局の楽屋で済むような手短なものばかりで、事務所の一室を借りてじっくりと時間をかけて総士を手入れするのはコンサート以来かもしれない。どんな髪型にしようか数日前から考えてはいたが、結局、シンプルなアレンジをていねいにすることに決めた。
 編み込んだ部分をスプレーで軽く固める。今日は記者会見だけだから、あまり固定しなくても大丈夫だろう。最後の仕上げに髪飾りをどうするか少し迷ったが、なにもつけないことにした。ニュースでは編集されて質疑応答部分も映るかもしれないが、一番使われるのはきっと写真集を掲げたツーショットだ。今回の総士の写真集の表紙は――今回も、だが――すごくきれいだから、あまりごちゃごちゃと髪飾りがないほうが映えるはずだ。
「はい、できた」
 肩からすべり落ちる髪を後ろへ流して、腰かけた総士のかわいいつむじにそっとキスをする。いつものシャンプーのいいにおいだ。
「お前はいいのか?」
「俺?」
 ふりかえった総士の指が伸びてきて、ほおへかかる髪を耳へかける。とくにドラマや映画の役作りというわけでもないが、最近なんとなく切るタイミングがなくて伸ばしっぱなしにしていた。そろそろ切ってもいいかもしれない。
「せっかくきれいに伸びたんだ。お前も上げるといい」
 サイドの髪をぶきような手が梳いて、もたもたと編もうとする。耳をかすめるあたたかい指がくすぐったくて首をすくめた。ふふふ、と思わず笑いがもれる。
 総士は編み込みができない。ある程度は自分で出来るようにならないと、と自分の髪や乙姫の髪で練習しようとしていたが、一騎が止めた。総士の髪をこうしていちばんのいい男に整えるのは、いつだって一騎の役目だからだ。
 けれどこうして総士がぎこちない手つきで一騎の髪を整えてくれるのなら、ちょっとくらいならコツを教えておいてやってもいいかもな。総士と同じ、両サイドの髪を簡単に編み込みながら思う。やっぱり、短く切るのはもうしばらく総士とそろいの髪型を楽しんでからにしよう。
 いちばんにかがやいている総士を作るのがいつだって一騎でありたいように。いちばんに胸を張れる一騎にしてくれるのは、きっと総士なのだ。



 記者会見はつつがなく、きわめていつもどおりに進んだ。
 この「いつもどおり」というのはメディアの質問に総士が的確にそつなく応え、一騎が思いついたことを好きにしゃべりたおし、あきれた総士が口を挟んで結果として話がそれてゆき当初の目的からおよそ大きくずれたところへ着地する、ということである。
 一騎はあまり記者会見が得意なほうではない。そもそも求められている答えを察することが苦手だ。総士のようにどう答えるのがその場の「正解」なのかを考えるなど、まるでできたためしがないし、正直なところ、しようとも思ったことがない。それでいてあまり好きにしすぎるとあとで叱られるから、いっそラジオのフリートークくらい好きに話せるか、雑誌のようにプロがあとからうまく校正してくれるほうが気が楽だ。
 しかしその点、総士とのひさしぶりの記者会見はずいぶん肩肘を張らずに済んだ。合同コンサートの関係でしばらく甲洋とばかり一緒だったからか、総士との会話のテンポがいやにしっくりきて、心地がよかった。
 お互いの写真集や実際に使ったカメラを胸の前に掲げて写真撮影をいくつかこなし、記者会見の最後の数十分はメディアからの質疑応答だった。
「今回の写真集ではおふたりがお互いを撮られたということですが、撮影中、特に印象に残っていることはありますか?」
 特に印象に残っていること……と総士と顔を見合わせる。総士を撮るのはいつだって楽しかったけれど、どれもひとつひとつが大切な一瞬で、その中で印象に残っていることと言われてもなかなかすぐには思いつかない。ちょっと首をかしげて総士に助けを求める様子に、パシャパシャと乾いた音を立ててストロボが浴びせられる。最近はこれを総士に向けてばかりだったから、自分が向けられるのはなんだか妙な感じだ。
「ではまず、真壁さんから」
 総士は肩をすくめて黙っているだけで、助けてくれるつもりはないらしい。
 しばらく考えて、浮かんできた言葉をひとまず口にすることにした。
「はい。これ撮ってるあいだ、総士と一緒にいられない日も多くて。ちょうど合同コンサートの前だったので」
 となりの総士がちいさくうなずく。仕事の関係で仕方がないこととはいえ、デビュー当時に総士が甲洋とユニット活動をしたとき以来と言えるほど長かった離れ離れの時間は、やはり一騎にとって大きなストレスだった。だから。
「だから撮った写真の一枚一枚に、総士! って気持ちがこもってると思います」
 目の端で総士が片手で顔を覆った。ああ、またなにか言い方をまちがえただろうか。けれど一騎としては、そうとしか言いようがない。
 総士と離れている時間があっただけ、総士と一緒にいられる時間がいつもより大切に思えた。もちろんいつだって総士といる時間は大切なものだが、それがいつもよりもいっそう得難く、かがやいて見えたのだ。
 だから、一騎が撮ったすべての総士には、そんな一騎のくるおしいほどのいとしさが映り込んでいるにちがいない。
「総士のファンの人はわかってくれると思うけど……」
「皆城さんのファンですか?」
 会場中がざわついていた。聞いている記者もくすくすと笑っている。一騎としてはまじめに答えたつもりなのだが、なぜかいつもこうだ。
「はい、総士のファンの人ってなんか親近感あって。仲間意識っていうか」
 この世でいちばん総士を愛しているのは自分だと自信を持って言えるが、その次くらいに総士のことを大切にしているのは、乙姫や事務所の人たちを除けば、総士のファンだと一騎は思う。だから一騎は、総士のファンのことが好きだ。一騎のいちばん大切なたからものを、愛してくれる人たち。彼ら彼女らのうち、いくらかは一騎のことを快く思わない人もいるようだが。とはいえ、それは一騎だってときおり妙な対抗心を発揮してしまうので、おあいこかもしれない。
「では皆城さんは?」
 ひとしきりざわめきが落ち着いて、同じ記者が今度は総士に話題を振った。総士はしばらく考える様子を見せて、首をかしげてちょっと苦笑いをしてみせる。
「朝起きると一騎がカメラを構えている日が多くて、うっかり寝坊もできないので困りました」
 うん? その言い方はちょっと待ってほしい。それではまるで総士がいつもきちんと朝に起きているみたいだぞ。総士の肩からさらりと流れる、くるんときれいにカールした毛先を指にからめて、一騎は抗議する。
「ええ? 俺が起こさないとおまえ、いつまでも寝てるだろ」
「それを良いことにさんざん寝顔を撮ってたのは誰だ?」
 一騎が起こさなければいつまでも寝ていることは否定しないようだ。
「俺。でも総士だって俺の寝顔撮ったじゃん」
「お前は朝起きるのが早すぎる。気づかれずに撮れたのなんて一枚だけだぞ」
 貴重なその一枚は、写真集が出来あがってきたときの献本で一騎も確認していた。総士のダークカラーの寝具の中で、布団に埋まってむずがるように顔をしかめた一騎の写真だ。たしか総士の家に泊まった日、ひさしぶりに昔の総士の出ているドラマを見始めたら止まらなくなってしまって、結局晩遅くまでかかってドラマシリーズを踏破してしまい、つい寝過ごしてしまったのだ。あの日はかなり夜更かしをしたせいで、さすがに朝総士に撮られていることにもまったく気が付けないほど寝坊してしまった。
「ということは、おふたりの貴重な寝顔なんかも収録されているんでしょうか? 掲載写真はご自身ではなくお互いに選んだとのことですが」
 言いあうふたりにストロボが焚かれる。そうだ。総士は一枚だけ撮れた一騎の寝顔を写真集に選んだが。
「一騎の写真集に僕が撮ったこいつは載っていますが、僕のものには……」
 総士のすきとおった目がストロボを反射して、ちかちかとまたたきながらじろり、と横目に一騎を見る。
「いちおう総士の寝顔、撮るは撮ったんですけど……じつは写真集には入ってません」
 総士とそろいに編み込んだ髪をいじりながら、一騎は照れくさい気持ちで笑った。一騎が撮ってきた写真、そして写真集に載せるために選んだ写真を見て、総士や事務所のスタッフはおろか、出版社の担当までがあきれて苦笑していたが、一騎としてはそこまで妙な選び方をしたつもりはない。
 総士を愛する人たちに、総士のいろんな顔を見てほしい。きっとまだ知らない総士の魅力がたくさんあるはずだ。
 だけど、やっぱり、それがほかのだれにも見せない一騎だけのものである以上は。やはりすべてを見せてしまうのはもったいないような、ひとりじめしたいような気がするのも当然だろう。
「いろんな人に、俺が撮ったいろんな総士の顔を見てもらうの、うれしいんですけど……うーん、一部は俺だけのひみつってことで」



 事務所に戻ってからは会議室にふたり缶詰で、特典本のサイン入れにかかりきりになった。
 もともとは書店の通販サイトからの購入者用に抽選で限定百冊のサイン入り本を用意することになっていた。最初は表紙へのサインだけの予定だったが、それだけではおもしろくないととつぜん溝口が言い出して、中身にもそれぞれ一ページずつ「お気に入りのカット」と称してコメントを入れることにしたのだ。
「自分の写真にお気に入りもなにも……」
 ため息をついて、総士がペンを置く。こうした書きものは得意なほうで、いつもすらすらと生写真やポップにコメントをつけている総士がめずらしく悩んでいた。書き物をはじめて一時間が経ってもまだ百冊のうち十冊も終わっていないありさまで、ほおづえをついてぱらぱらと自分の写真集をめくっては難しそうな顔をしている。ブラインドの向こうはすでに日が落ちて、うっすらと暗い。
 対して一騎は意外に筆の進みが好調で、すでに二十冊ほどはコメントを書き終えていた。
「そうか? 俺はあるけどな、お気に入り」
 さらさらと書きつけていた一冊を終えて、よし、と最後に誤字脱字をいちおう確認する。書いていたのはスタジオで筋トレをする一騎を撮ったページだ。まじめなレッスン中なので、くちびるを噛んで鏡をみつめて、額に汗を浮かせている。ふたりのダンスレッスンや体幹をみてくれる講師はなかなかにスパルタで、体力や膂力が人よりも若干抜きんでているらしい一騎でも弱音を吐きそうになる。この日もとなりの総士は早々にダウンしてレッスン室の隅で氷枕にあたっていたはずが、いつのまにか撮られていたらしい。
『こういう顔、自分ではあんまり見ないからはずかしいな。あっ、このときのレッスン着、3年前の総士のツアーTシャツだ。』
 こうしたふいうちでの写真を一騎も撮らなかったといえばうそになるが、それにしても総士が選んだ掲載写真は、一騎がこんなところまで撮っていたのかとおどろくような、まったく記憶に残っていないものが多かった。それだけ一騎が意図していないところで視線を向けられていたということだ。
 それはつまり、総士がどんな一騎に心を動かされ、かたちに残したいほど魅力的だと感じて、その瞬間を切り取ろうとシャッターを切ってくれたのか、すべてがそこに映っているということだ。
「総士がどんな俺を撮ってくれたかって、見るのは楽しい」
 それを教えてもらえることすら、一騎がまだ知らなかった総士の一面に当たったひかりを受け取ることだ。どんなまなざしで一騎を見ているのか。総士の目に、はたして一騎がどう映っているのか。そう考えれば、たいしておもしろみのない自分の写真でもお気に入りのように思えた。
 とはいえ、筆の進みは悪くないものの、それをうまくコメントにできているかと言われると話は別だ。ファンに向けたコメントというよりも単なる感想になってしまっている文面に、自分で思わず苦笑する。それに字もあいかわらず、お世辞にもきれいとは言えない。しかたがない。どうしても総士のようなていねいな字が書けないのは性分だ。
 少し参考にさせてもらおうかと思い、苦戦しているらしい総士の手元をそっと覗き見る。開かれていたのは、楽屋の洗面台で顔を洗っている総士が前髪から水をしたたらせているページだった。ジャージの袖をまくりあげてさらした白い両手をみずみずしく濡らし、額に張りつく前髪から覗く目がじっと鏡を見据えている。うつくしい横顔だった。
『よくこんな一瞬の顔を撮ったな。一騎がカメラの使い方に長けているのは意外だった』
 やはり総士もほとんど感想になってしまっている。いかにそれを売り物にしているアイドルといえど、自分の容姿についてそれ自体に詳しく感想を述べるのはためらわれるのかもしれない。
 新しい一冊を手に取り、その表紙をまじまじとみつめる。「真壁一騎&皆城総士写真集『Eins』」。今回の写真集はこれまでとちがって一騎や総士のソロ名義ではない。ユニット名義のものだ。
 「真壁一騎&皆城総士」——ふたりのユニット名だ。数ある候補の中から、総士が選んだ名前。
 どうしてこれを選んだのかと、総士に聞いたことがある。もともと子役として活躍していたとはいえ長らく芸能の世界から離れていた総士と、そもそも素人上がりの一騎。おのおのの知名度を上げたかったのかと。あるいは――いつでもソロ活動に転向できるようにかと。
 不安をぬぐいきれなかった一騎に、総士は言った。
「ここにはだれも入れないからだ」
 一騎と総士は、最初から、これからもずっとふたりだけのユニットだと。どちらかが欠けたり、だれかが間に入ることはない。だからふたりの名を冠した。ふたりでひとつの、たったひとつの居場所なのだと。そう教えてくれた。
 それを知ってからずっと、一騎は自分のことを名乗るときに、かならずユニット名を口に出すことにしている。そのたびに何度でも自分の居場所がここだと、総士のとなりだと、確信することができるから。
 きのう、なつかしい日の夢をみた。
 総士の考えていることが、見ているものがわからず、不安で、おそろしくて、息を殺すように日々をやり過ごしていたかつての夢だった。けれど一騎には暗く翳って見えた総士がどんな顔をして一騎を見ているのか知りたくて、もがいていた日々だった。
 いまはもう、総士のとなりに立てないことをおそれることはない。たとえべつべつのユニットでの活動があったとしても。離れて過ごす日々が続いたとしても。
 そのステージは一騎だけが立てる場所なのだと、総士が教えてくれたからだ。
 表紙を飾っているのは、あの日、あの植物園の菜の花畑で総士が写してくれた一騎だ。あわくぼやけた光の海のような花の中で笑っている。こんなにやわらかい顔で。無防備な顔で。総士の目を通した一騎は、その商品の価値を高める演出がされたどんなときより、プロのアーティストの手で整えられた作品としてのどんな自分よりも、かがやいて見える。
 あの日にもらった花。史彦とふたりで暮らす飾りけのない質素な自宅に飾っていたあの花は、とうに枯れてしまった。毎日水を変えていても一週間もすれば花弁の色は褪せ、葉の緑は曇りを帯びて、みずみずしく上を向いていたちいさなかがやきはしおれてしまった。
 花は枯れる。いつか必ず。
 アイドルとしていつまでもステージに立っていられるなどと、とうてい一騎は思っていない。
 それでも一騎は覚えている。まぶしくかがやいた総士の姿を。総士が見せてくれた、光の中でほほえむ顔を。総士が教えてくれた、自分のかがやきごと。
「なあ、俺の最後の一冊さ。おまえが書いてくれよ」
「自分の分が終わるめどもついていない僕に言うのか?」
 積まれていたうちの一冊を渡すと、めずらしくすねたようにほおをふくらませて総士が受け取る。代わりに山になっている総士の写真集を一冊、押し付けられた。
「お前も書くんだ。自分で撮ったどのページの僕がお気に入りなのか」
「むずかしいこと言うよな」
 そんなもの、最初から最後までぜんぶに決まっている。
 ぱらりとページをめくる。一騎の知っている総士のいとしさをめいっぱい詰めた――まあ、一部はひみつにしておくが――写真集。この世でいちばん大切な、一騎のたからもの。
 たとえこの花が枯れても、総士がともに歌ってくれたこの音楽は、光は消えない。




「緊張しているか」
 明りが落ちたホールの舞台袖。期待にざわめき立った客席の様子を伺いながら、そう言った総士の声こそ、情けなく少しふるえていた。
「かもな。おまえは?」
 ひたと視線をみつめあわせたまま、そっと一騎の指が絡む。つないだ手が冷たい。かすかにふるえているのが一騎の手なのか、それとも自分の手なのか、それすらわからないほどだった。
「……わからない」
 心臓は早鐘のように打って、一騎にもこの音が聴こえてしまっているんじゃないかと不安になる。つめたく冷えた指先が、しかし汗ですべった。はなれそうになる手をぎゅうっと握られる。痛いくらいのその力の強さが、いまは心強い。
 これまでライブハウスのステージしか踏んだことのないふたりには、たとえ大したキャパシティではないちいさなホールといえども初体験の大舞台だ。のどがからからに乾いて痛い。歌いだしの声がかすれそうで落ち着かない。もう一度水を飲みたいが、もうじきにコンサートがはじまってしまう。
 ステージに用意されたスピーカーからイントロが流れだし、イヤモニから、からだが勝手に動いてしまうほど何度も聴いた曲が聴こえてくる。どきん、と壊れてしまいそうなほど心臓が跳ねた。
 客席がいっせいに歓声を上げ、少しずつ会場全体がふたりの色のペンライトで染まってゆく。波のように揺れるその景色からそっと目をそらし、手をつないだままの一騎の横顔を伺った。
「……きれいだ」
 すきとおった目が、うるんだ瞳が一心に光の波をみつめている。ふたりの色の光を反射してきらきらときらめく大きな目が、じわりと細まる。
「この景色を、お前に見せたかったんだ。ずっと」
 この景色を見たかった。見せたかった。こうして、手をつないで、となりに立って。
 絡めあった指先がじわじわと熱くなる。とくん、とくん、とひびきあう脈が共鳴して、混ざりあってどちらのものなのかわからなくなる。ふりかえった一騎の手は、もうふるえてはいなかった。こつりとぶつけた額から、たしかな興奮と歓びが伝わってくる。
「一緒に見よう。ふたりで。これからもずっと」
「ああ」
 しっかりとつないだ手を離さないように握りあって、ともにステージへと駆け出す。
 光の海が、ふたりを待っていた。