「悪いな、狭くて」
「…べつに」
 いくら古泉であるとはいえ自分よりも幼い子供を床で適当に眠らせるわけにもいかず、結局明け渡したベッドの上に古泉(小)が猫のような格好で丸まって布団にくるまれている。まだ警戒心はといていないようだが、返事をしてくれるほどには慣れてきたのだろう。
 古泉(小)はしばらく俺の家で暮らすことになった。しばらくというのがいつまでなのかはわからない。確証はないと言い張る長門に頼み込んで教えてもらった期限は約一週間程度だということだったが、やはりそれもあてにはならないだろうからあくまでも目安ということだろう。一週間もこいつに睨まれつづける日々が続くのかと思うとうんざりするが、それでも寝顔や時折うっかり見せる笑顔なんかはやっぱり可愛かったのでプラスもマイナスもゼロということになるのだろうか。一応弁明しておくと俺はショタコンでもロリコンでもない。
 友人の家が家庭的事情で今大変なことになっており、その間そいつの弟を預かって欲しいと頼まれた、という現実味のない嘘で承諾を得たはいいが、うちには他人を泊められるような空き部屋などないわけで、だからやはり俺の部屋で寝泊りすることになった古泉(小)は家族の手前始終笑顔だったが心の底では不満やら文句やらで一杯だったに違いない。俺だってただでさえそれほど広くもない生活スペースを共有するのは勘弁したいところだ。

「…僕が床でもよかったのに」
 ベッドの上で古泉(小)が拗ねたような声色で言う。壁側を向いているから顔は見えない。
「お前みたいにまだ小さい子供を床で寝かせたりなんかしたら俺が人でなしみたいだろ」
「小さい子供じゃない」
 なんだお前、もしかして子ども扱いされて拗ねてるのか?
「拗ねてる? 僕が? 馬鹿じゃないのか」
 吐き出される口調は乱暴とは言えないが、相手を馬鹿にしたような響きがこもっていて、聞いてけっして気持ちのいいものではない。はたして本当にこれがあの古泉になるのか? 機関であの馬鹿丁寧な口調と笑顔を仕込まれるのか、それとも別の誰かに説教されて公正するのか。後者はどうにも考えづらいから、きっと前者なんだろうが。
「お前さ、」
「何」
 こんなときくらい子供らしく振舞ったっていいんだぞ。
 そう言おうかとも思ったけれど、どうせ「うるさい黙れあんたには関係ないだろ」とでも言われるだけだろうから口には出さなかった。そもそもそんなことを言えるような立場に俺はいないし、素直に甘えられてもそれはそれで困る。受け止めきる自信がないのなら中途半端な気遣いは迷惑なだけだろう。古泉(小)もどうでもいいと思ったのか、突っ込んで訊いてくることはしない。この辺が古泉と違って楽なところだな。少し不謹慎だがそう思ってしまうのは仕方がない。
「…あんた、涼宮ハルヒと知り合いなのか」
 古泉(小)がぽつりと呟いた。一応質問のかたちをとってはいたが、ほぼ断定するような響きのあるそれは質問には聞こえなくて、だけどわざわざ無視するような子供っぽい真似をする必要もなかったし、否定することも無意味だったから適当な音で肯定を返す。
「なんでそんなことを訊く?」
「僕の能力のことを知っても驚かなかったし、第一長門有希と知り合いだった」
 三年前から既に古泉は長門や喜緑さんの存在を知っていたのだろうか。機関からの情報だとしたらそれもおかしくはない。
 ずっと背を向けていた古泉(小)がもぞもぞとこちらに寝返った。戸惑っているようなためらっているような表情で、何度か言い淀んで口を開く。
「…こっちに来てからまだ一度も閉鎖空間の発生を感じてない。涼宮ハルヒの精神は随分安定してる」
 そういえばでかい方の古泉もそんなことを言ってた気がするな。もっともそれが俺の存在に起因するとはどうしても思えんが。俺の精神安定剤は朝比奈さんのすばらしい笑顔とおいしいお茶なわけであって、ハルヒといえば精神安定どころか情緒不安定を巻き起こすようなとんでもなくやっかいな爆弾なのだから、そう簡単に俺で安定してもらっても困るのだ。不公平じゃないか。
「あんたが原因か?」
 俺じゃない。周りはそう言うけどな。
「じゃああんたなんだろ。あんたよりあんたの周りの人間の言うことの方が信用できる」
 …なんだろうか、その信用度の差は。べつに信用して欲しいわけではないが、いくら俺でもそんなに信用のなさを見せ付けられると悲しくなってくる。そりゃあ長門の正確さだとか朝比奈さんの可愛さだとかには敵わないけどな。
 だがもしかしたらその安定も揺らぐことになるかもしれん、一週間も古泉が部活に来なかったらあいつが不機嫌になることは目に見えているからな。その不機嫌になった我らが団長殿を宥めるのも俺の役目に含まれてしまっているのだろうかと考えると、さらにこれから一ヶ月間が憂鬱になってくる。
「たとえ俺が元々の原因なんだとしても、最近はそうも言い切れないと思うぞ」
 入学当時のような不機嫌さも人をはねつけるような睨み顔も、初対面時のマイナスイメージをハルヒはここ半年で急速に封印しているようだった。それは俺だけの功労ではなく、朝比奈さんや長門、そして古泉が居てこそ有り得た良い方向への転換だ。
「僕も?」
 ああそうだよ、お前もその原因のうちのひとつだ。特にお前はひたすらにハルヒを肯定し続けるというある意味精神安定にはもっとも適した方法を(それがハルヒと俺の精神にとって最適かどうかは置いておくとして)とっていたからな。SOS団に在籍しているというだけでもハルヒの精神安定に貢献しているのに、その上ハルヒのことを絶対に否定したり拒否したりしないんだ。俺はたまにもしかしたら古泉がそのうち溜まった鬱憤を爆発させるのかもしれん、とひやひやしていたが、ハルヒにとっていつも自分を受け入れてくれるお前は、案外あいつのなかで結構なウエイトを占めていたんじゃないのかと思うね。
「…どうかな。そもそも涼宮ハルヒが僕を重要視するとは思えないし、たとえそんな状況に至ったとしても、僕が涼宮ハルヒを肯定しつづけるだなんて想像もつかない」
 お前ハルヒ大嫌いそうだもんな。
 それっきりその話題には興味がなくなったのか、古泉(小)はちいさく肩をすくめてまた壁側に向き直り布団にもぐりこんだ。べつにもぐらなくたっていいんじゃないかとは思うが、それよりお前、その仕草はまるでいつもの古泉みたいだったぞ。