十三歳の古泉はわらわなかった。死んだような目をして、いや、実際にその目は死んでいた。理不尽すぎる、ある意味では絶対的に平等なこの世界で、たったひとり泣くことも恐れることも縋ることもせず、淡々とその少女を呪っていた。周りのおとなたちなどには古泉の立場もこころもわからなかっただろうし、わかろうともしなかったに違いない。機関の者が訪れてもその状況はけっして改善されたとは言いがたかった。
 どうして俺がそんなことを知っているか、それは十三歳の古泉が今このとき俺の目の前に存在しているからである。

 …いやちょっと待ってくれ、引くな。これは幻覚でも夢でもないしましてや改変された世界とかでもない。何故そんなことが言えるかって? もちろん長門が教えてくれたからだ。我ながら情けないのだが、俺が古泉の異変に気付いたのも長門が帰り道で耳打ちしてくれたからに他ならなかった。それまで俺は突然な古泉の欠席を、風邪かなにかの病気か、あるいは機関絡みの仕事でもはいったのだろうと思っていた。長門が言ってくれなければ一週間くらい気付かなかっただろう。
 部室に来なかった古泉をハルヒは怒ったが、学校を欠席していたのだと知ると態度を一変させて、「風邪かしら、古泉くんはキョンと違って繊細そうだからきっと日頃の疲れが出たのね。お見舞いに行ったほうが良い?」とかなんとか騒ぎながら(俺と違ってとはどういうことだ、とあいつに言っても無駄だということはわかっていたので敢えて反論することはしなかった)珍しくも長門に諌められていた。今ならあの長門の奇行(と言っては聞こえが悪いが)の意味がよくわかる。十三歳まで退行してしまった古泉を、おそらく原因であるハルヒに見られては拙いと判断したのだろう。俺だってそう思うさ。ハルヒが古泉(小)を俺たちの知る古泉一樹と結びあわせるとは考えがたいが、古泉(小)は俺たちのことを何も知らないのだ。下手に警戒されたら後始末が面倒になる。

 SOS団の解散まで待って古泉の家に向かった。俺は古泉がどこに住んでいるのかなんてことは知らなかったし、もちろん長門も奴の家に行ったことなどなかっただろう。だがハルヒと朝比奈さんと別れたあと、いっぺんの迷いも見せず目的の方向へ歩きだした長門にはなんとなく予想がついていたから、俺も別に気にはしていない。
 古泉の家は小奇麗なマンションで、長門の住むマンションのように高級そうでもオートロックでもなかったが今回はそれが救いだった。おそらくきちんと施錠されていただろうに、けれどいとも簡単に玄関のドアを開けた長門とその後ろに立っていた俺の目に飛び込んできたのは、俺の知っているものより幾分か幼い古泉一樹の、敵意と警戒に満ちた、けれどなにもかも諦めている死んだ目だった。

「…それで? ここは僕の知る世界から三年後の世界で、お兄さんたちは僕の知り合いだって?」
「その様子からすると信じてないみたいだが、そうだな、その通りだ」
 ドアを開けたあとは一言も発さずだんまりを決め込んでしまったらしい長門を横目に、俺がひととおり最低限の説明をしても相変わらず古泉(小)は敵意を滲ませている。どこをどうすればこいつがあのにやけたイエスマンになるのかはさっぱりわからないが、それでも俺は十三歳の古泉一樹に好感をいだいていた。いや、もちろん年上に対して敬意を払わないところとか相手を睨む目をまったく隠さないところとかにはイラっと来るが、こいつでもこんな風に反抗できたのだと、納得すると同時に安心していたのだ。
「…ううん、信じるよ、ここが三年後の世界だってことはね。こんな部屋見覚えないし。だけどあんたたちが味方だって保証はどこにもない」
 そりゃあそうだな、むしろ俺だったら自分がいきなり見知らぬ部屋に居たとしても、そもそも三年後に飛ばされたなんてぶっ飛んだ話は信じないに違いない。いや、この古泉(小)は三年前からタイムトリップしてきたわけではなく、俺たちの知る古泉が三年前の状態に退行してしまったわけだから飛ばされたという表現は少し違っているのだが…まあそんなことはどうでもいい。
「長門、どうすればこいつが元に戻れるか、分かるか?」
「分かる」
 即答を返した長門に少し安心した。いくらなんでもこれからずっと古泉(小)に警戒されながら生活するのはキツいからな。ハルヒを誤魔化さなくちゃならないのもあるし、機関側だって能力者が一人減ったら困るだろう。ん? こいつはもう超能力を持ってるんだから減ったとは言わないのか。
 だがそれでもSOS団の副団長が居なくなることには違いない。ハルヒも朝比奈さんも心配するだろうし、俺だってこれ以上SOS団内における男女比率が傾くのも遠慮したいところだ。
 けれど長門が提示した解決策は、そんな俺の思惑をあっさりと打ち砕いてしまうものだった。
「あなたと暮らしていれば、いずれ元に戻る」
「……ちょっと待て、どういうことだ、それ」
 しかもいずれって何だいずれって、まあ一緒に暮らすことについては妥協するとしよう、こいつがこんな状況じゃあ一人でまともに暮らせそうもないしな。だがいずれって、いつになれば元に戻れるのか、それすらわからないのか!?
「推測はできる。けれどそれはあくまでも推測。早まる可能性も延びる可能性も否定しきれない」
「どうしてこの人と一緒に暮らさなきゃならないの」
 古泉(小)が不満げな納得できないという顔で言う。その疑問はもっともだ、俺もそう思う。長門は俺をちらりと見て、そんな古泉(小)の目を見つめながらいやにはっきりとした声と口調で言った。
「…あなたのため」