あつあつだと火傷してしまうから炊きたての白米はお椀にとって冷ましておく。買ってきた梅干し(だってこの家の冷蔵庫にはほとんどなにも入ってなかったんだ!)から種を取り出して、種なしのへたれた梅干しがみっつくらいできあがってみれば冷ましていた白米がちょうどいい温度になっていたから、手に水をつけて塩をひとつまみ。器に作り置きしたりはしない。洗いものが増えて面倒だから。
「おまえ、玉子食べるか?」
手のなかでころころ形を整えながら隣室の男に訊けば、俺の思考を正しく理解したのだろう、それだけ聞くならばまるで的はずれな返答が力なく返ってきた。
「甘いのがいいです…」
そうか、俺は玉子焼きは断然醤油派だけどな。
そう言いながらも梅干しオンリーの握り飯みっつを作りおわった俺は砂糖を求めて使い慣れないキッチンをあっちへうろうろこっちへうろうろ。ついでにやはりさっき買ってきたばかりの玉子をふたつ、パックから出して割ってかき混ぜておく。軽くほぐれたところで牛乳を大さじ一杯。いつもならばただ醤油をたらすだけなのだが、今回はいつもと違う味付けなので少し工夫してみる。あとは甘さ主役を務める砂糖だけだ。
「古泉ー、砂糖どこだ?」
「…どこでしたっけ?」
疑問に疑問系で返されても困る。だいいちおまえんちの調味料事情なんか俺が知ってるわけないだろ(知ってたら知ってたで逆に怖い)。
ケチャップもダシの素も醤油さえなかったこの部屋に砂糖がある可能性はけっこう低い。さっきの塩だってあっちこっちひっくり返して発掘したものなのだ。しかしながら先刻行った買い出しで砂糖は購入しておらず、仕方ないとため息をつく。
「ない」
「ええー、冷蔵庫とかになにかありませんか?」
満足な調味料もないこの家の冷蔵庫に砂糖の代わりになりそうな甘いものが入ってるわけ、…案外ありそうでいやだ。
俺が今日はじめて知ったこと、古泉はかなりの面倒くさがりで、おおざっぱで、実はだらしなくって、生活不能者であるということ、に、甘いものが好きなことを追加しておくことにしよう。
だけど冷蔵庫なんて、それこそスポーツドリンクとバターくらいしか入ってなかったんじゃないのか?
予想どおり覗いた冷蔵庫には上記以外のなにも入っていなかった。しかもバターは賞味期限切れてた。
「冷蔵庫…、にもないな。一応調味料いくらか買ってきたから、ケチャップか醤油かけて食べろ」
「はい…」
もっと文句を言うと思っていたのだが、返事は予想したよりもずっと聞き分けがよかった。実際、もう味なんてどうだってよくなっているのだろう。
俺が古泉の家を訪れたとき、古泉にはドアまで歩いてきて鍵を開ける力さえなかった。
本人が言うには「よくあること」だそうだ。今までは定期連絡がないことを不審に思って訪れた機関の人間に発見されていたらしいが、今回はつい昨夜に定期連絡を済ませたばかりだったそうで、ちょうど携帯のバッテリーも切れていて、ああこりゃ死ぬかな、と思ったところで俺がやってきたらしい。
留守だと思って帰らなかった俺を誰か褒めてくれ。というのも中からかすかなうめき声らしきものが聞こえてきたからなんだけどな。しかしその後管理人さんを呼んで鍵を開けてもらって、部屋の真ん中で倒れている古泉を発見してあわてた管理人さんが救急車を呼ぶのをすんでのところで止めて、意識を取り戻した古泉を寝かせて買い物へ行って、こうやって飯まで作ってやっている俺の行為は賞賛に値するだろう。
「いやあ、食料が切れているのには一週間くらい前から気づいていたんですがね。朝はもともと食べない方ですし、学校へ行けば学食も購買もありましたから」
この台詞を言うのに古泉は三分かかった。
「夜はどうしてたんだよ」
「いつもはコンビニで買うんですが、ここ最近のところ、涼宮さんの機嫌が悪かったようでして…いえ、あなたの所為ではありませんよ。女性特有の…その、生理現象です」
「アレか」
「アレです。さすがにこればっかりはどうしようもありませんからね。で、毎日あなた方と別れてから閉鎖空間の処理に追われていると、報告書からなにからすべて終わるのが夜中になって…いつもそこで力尽きて寝てしまうんです」
「学校で食べてたんだろ?」
「いえ、睡眠時間も減っていたので食欲より睡眠欲の方が勝ってしまって…昼休みは寝ていました」
そんなかんじで気がつけば一週間過ぎていたそうだ。俺には一週間も持ったことが驚きだな。そして古泉が家事が一切できないことにも驚いた。こいつなら笑顔でなんでもこなしちまうと思っていたからだろう、調味料も調理器具も、食器さえ揃っていないキッチンを覗いたときには我が目を疑ったものだ。
フライパンに油をひく。砂糖をあきらめて牛乳だけを加えた玉子を少しだけたらして、じゅうっと小気味いい音をたてるようになるまであたためたら玉子を流し込む。うすく伸ばすようにフライパンをまわして、火が通ったら端から折りたたんでゆく。それを数回。
結構うまく出来た玉子焼きをまな板の上で食べやすいように切りながら、昔はこの厚みが出せずに苦労したんだよな、と思いつつ、海苔を巻いた握り飯と一緒に皿に載せた。
本当は胃が受け付けない可能性もあるから、白粥かなにかにした方がいいんだろうけれど、本人がそれは嫌だと言ってきかなかったから仕方なくここまで妥協したのだ。これでもし吐いたりしたら問答無用で重湯にしてやる。
「できたぞ」
ソファの上にぐったりと横たわって古泉は目の動きだけでこっちを見た。何故ソファに寝ているのかというと、ベッドの上には脱ぎ散らかしたシャツやらスラックスやら教科書やらプリントやらがうずたかく積まれていて、とてもじゃないが寝られる状態ではなかったからである。突然ハルヒが古泉くんのお宅訪問を思い立ったらどうするつもりだったんだ。
先ほど衣類の山の奥のほうであせたジーンズを見つけたことにまだすこし衝撃を受けつつも、そもそも他人のものを勝手に引っ掻き回すのは好きじゃないし非常に癪ではあるが、後で勝手に片付けてしまおうと思いながらソファの傍の小さい机の上に皿とメジャーなスポーツドリンク(冷蔵庫のなかにあったやつだ。賞味期限ぎりぎりだったから飲ませてしまおうと思って出した)の入ったグラスを置く。机の上にもよくわからない書類が重ねられていたが、一番上にあったノートパソコンだけを丁寧に床に下ろしてあとはカーペットの上に乱暴に落としスペースをつくった。
「すみません」
「べつにかまわないがな。それよりもはやく治すことに専念してくれ」
世話を焼かされるこっちがたまらん。古泉は申し訳なさそうに笑ったまま(なにもこんなときにまで無理して笑わなくてもいいものを)上半身を起こして箸を手に取る。
「こんな風に倒れるのは半年に一度くらいにしとけ」
「いや、本当にご迷惑をおかけしてしまって…」
「まったくだ。半年後、俺の調理スキルが異常なくらいアップしていたらハルヒたちにどう言い訳するつもりだ」
「…え」
なにか言いたげな古泉は無視して俺はその箸を取り上げ玉子焼きを口元まで持っていき、あーんと言ってせいぜい嫌味ったらしく見えるよう笑ってやった。
次におまえが倒れたときもたぶんこうして看病してやるよ。まあそれまで気長に、料理のレパートリーをあといくつか増やしておくことにしよう。