やがてしたたり落ちる夜




 やっぱり、ぬいぐるみとはちがうな。
 とつぜん、そう思って、ドキドキした。目の前の、俺の両手の中にちいさいあたまを預けてうれしそうにすりすりとほおずりするひとが、あんまりぬくぬくと生きていたから。
 そもそも、このひとはぬいぐるみなんてかわいいもんじゃないけれど。
 クリスマス前、Flambé!でのクリスマスライブ当日。リハーサルのとき、それぞれがメインモニターに抜かれる場面で、こうしてみたらどうかな? と思い切って手に持ったくまのぬいぐるみにそっとキスをしてみた俺に、天城先輩がヒュウっ♪と口笛を吹いて。
 なぜか本番も直前の時間がないときだっていうのに、「しろすけ! 今夜はこどもだけのためじゃなくて、大人のクリスマスだろ! もっとセクシーに♪」だとか「友也く~ん! せっかくだからRa*bitsとは違った感じにしてみなよ~!」だとか、「セクシーな大人のクリスマスなら、サンプルはたくさんありますが、やはり多いのは恋人同士で過ごすクリスマスでしょうか」だとか、「さあ、真白様。聖夜に恋人へ捧げるセクシーなキスです。もう一度」だとか、先輩たちみんなが妙に俺のくまへのキスにこだわりはじめて。
 あんまり何回も何回もやり直しさせられて、最後のほうはもうやけくそって感じで、演劇部と劇団ドラマティカで鍛えられた演技力見せてやる! といわんばかりに気合をいれて。
 そのとき、俺が思い描いていた「恋人」は、たったひとりこのひとだった。
「友也くん?」
 薄くてつやつやのくちびるが俺のなまえを呼ぶ。
 すべすべの髪を撫でてかたちのいいあたまをさわったまま固まった俺に、ふしぎそうな声色だ。
 ちっとも恋人らしくない、甘さのない、こどもみたいにきょとんとした、とっても色気のないものだった。
 ――だって、日々樹先輩はべつに、俺の恋人とか彼氏とかいうわけじゃないのだから。

 そう、俺たちはべつに、つきあっていないのだ!
 こんなに無防備に、俺の手のなかにあたまを預けたりしておいて!





「ひっ……って、日々樹先輩? あれ、ひとりで片付けしてるんですか?」
 日々樹先輩が計画してくれた、星奏館でのクリスマスパーティーのあと。
 シャッフルユニットでのイベントも大成功、Flambé!での打ち上げ兼プレゼント交換会を終えて先輩たちとの距離も近づいて、俺はほくほくのあったかい気持ちでいっぱいだった。
 そんなときに、寝る前に水を飲みにキッチンに向かったら、ひとりもくもくと共有ルームの後片付けをするこのひとを見つけたのが深夜も回った夜の零時半。
 照明が落とされて薄暗いなかで、ひとりしずかに紙吹雪をほうきで掃いたり、紙皿を片したりしている日々樹先輩の姿に、一瞬おばけかと思って心臓が口から出るかと思った。
「友也くん。ええ、夜が明ける前にはクリスマスの朝の飾りつけをしなければいけませんから!」
 からっと笑った日々樹先輩だけど、いくら屋内とはいえ暖房もすっかり切られて肌寒いなか、なにもひとりでするようなことじゃない。
 このひとのことだから、きっと舞台の後片付けまでがエンターテイナーの仕事ですよっとか考えているのかもしれないけれど。
「手伝います」
 そう言って先輩が手に持っていたほうきとちりとりをぱっと取り上げると、見上げたひとはおおげさなくらい芝居がかった仕草で、肩をすくめてため息をついた。
「おやぁ、よいこはもう眠る時間ですよ」
「それだと、日々樹先輩も寝る時間だろ」
 みんなしてパーティーをして騒いだ次の日、せっかくだから午前中くらいゆっくり休みたいところだけれど、オフのひとは少なかったはずだ。たしか、日々樹先輩も朝から撮影があると言っていた気がする。
 だから、先輩がひとりでせっせと片づけにいそしむ理由はないのだ。どうせならみんなではしゃいだそのままの流れで片付けまでしてしまえばよかったのに。自分が作った舞台でそういう裏側を見せたがらないのは、もうこのひとの仕様のないところかもしれない。
「私はよいこのみんなに楽しいクリスマスを届けるサンタさんですから!」
 おどけて言う先輩に、俺もふふんと胸をはる。
「俺だって、おとなのみんなにはちゃめちゃなクリスマスを届けるサンタさんですよ」
 それで、日々樹先輩はもう高校生じゃなくなったから、俺にクリスマスを届けられる「おとな」です。
 日々樹先輩はしばらくだまってまばたきをして、まじめな顔でなるほど。とつぶやいた。そういえばそうでしたね、ライブお疲れさまでした、とうっすらほほえんだ顔に、とつぜんそんなふうにふつうの先輩っぽくやさしくされると、ちょっといつもの調子がくるってしまう。
 このひとも、ちょうどこのあいだフィーチャーライブが終わったところだったっけ。そんな忙しい時期なのに、寮のみんなのために大きなクリスマスツリーまで手配して、パーティーの準備をしてくれたんだよな。
 ほんとうにこのひとは、根っから、ひとを楽しませるのが好きなんだ。
「先輩も、フィーチャーライブおつかれさまでした」
 北斗先輩や創と一緒に見に行った日々樹先輩のフィーチャーライブを思い出して、心からねぎらう。あのステージをいちから作り上げるのは、それはそれは大変だっただろう。それくらい、日々樹渉らしい、あっと言わせられるような、ずっと胸の奥をつかんではなさないような、わくわくするライブだった。
「フフフ……ステージからでもしっかり見えていましたよっ。私が宙を飛んだときの、関係者席の友也くんの、あのあぜんとした顔! あんまり間抜けで愉快なので、本番中だというのに私、ふきだしそうになりました!」
「いつものあんたのめちゃくちゃかと思ってびっくりしたけど、新しい衣装のテーマに合わせた演出だったんですよね。衣装、すごくかっこよくて似合ってた」
「そうでしょう、そうでしょう……♪」
 先輩はニコッと笑って、朗らかにうなずく。
 ねえ、日々樹先輩。ライブのあとで、あんずさんから聞いたよ。
 渡り鳥と止まり木の話。どんなに遠くへ、絶えず旅を続けているように見える渡り鳥でも、かならずどこかで羽根を休めているってこと。そのための足場が必要だってこと。
 宇宙のどこか遠くへ飛んでいっちゃいそうなあんたでも、どこかで羽根を休めるときがあるのかな?
 俺は、あんたの止まり木になれないかな?
 ――そんなことをまだ不安で聞けない俺は、このひとが甘えられるくらいのおとなからはほど遠いこどもなんだろう。
 それこそ、こうしてひとりもくもくと共有スペースのあとかたづけをする先輩に、最初から自分で気づけないくらいには。
 日々樹先輩との二歳の年齢差は、死ぬまで、死んでも、一生埋まるものじゃない。
 でも。
 こどもにはこどもの、取るに足らないうさぎにはうさぎの生存戦略があるんですよ。
「よしよし。おつかれさまでした」
 俺はせのびをして、よしよし、と両手で日々樹先輩のあたまをなでる。
 恋人としてどころか、そういう相手としてきっと意識されてすらいないけれど。恋人みたいなそぶりで。
 ちょっとずるいかもしれないけれど、先輩をそういう意識なんてしてませんよ、といわんばかりの、無邪気なこどもの顔で。
 そうしてでも、さわりたかったから。ひとりでずっと、だれかによろこんでもらおうと飛び続けるこのひとに。
 先輩はいやがるでもなく、むしろ俺にあわせてすこしかがんで、あたまをあずけてくれる。そうするとおおきな背がまるまって、まるで抱きしめられているみたいだ。日々樹先輩は、背が高いけれど、すごくスタイルがいいから、腰の位置が高くてあたまがちいさい。
 そんな、俺なんかよりもふたまわりはおおきいしっかりとしたおとなの男のひとのからだをしているのに、二歳も年下の後輩にされるがままにうりうりとなでられている姿はなんだかちいさなこどもとか、おおきな人なつこい犬を思い出させた。
 しばらくなついてくれる犬や猫を撫でるみたいに、あるいは大好きなぬいぐるみをぎゅっと抱きしめるみたいに、俺のてのひらにあたまを預けてくれる先輩の髪を撫でていたけれど。
 くすぐったそうに笑ったほっぺたがあんまりあたたかくて。長くてしっとりと重い髪はつやつやで。なぞった輪郭は、俺なんかよりもずっとおとなっぽくてなめらかなのにすっきりとして外国の彫像みたいで。よく手入れされたくちびるは、すべすべしていて、そして俺のてのひらにさわっとあたってふわっとやわらかかった。
 やっぱり、ぬいぐるみとはちがうな。
 そう思って、ふわふわのくまのぬいぐるみにキスしたときのことを思い出して、そしてそのぬいぐるみは自然と目の前のこのひとになっていて……ドキッとした。
 そうできればどんなにいいだろう、と、いつも思っているから。
「友也くん?」
 わしわしと撫でられるがままの日々樹先輩が、ぴたっと固まった俺の様子に首をかしげる。
 まるで色っぽくない、ちっともそういう感じじゃない、いつもどおりの声で。
 それで、ううん……、と言葉をにごしながら首をふってなんでもないふりをする俺に、思うところがあったのか、先輩の手がゆっくり伸びてきた。
 自分よりうんとちいさい動物をびっくりさせないように、ゆっくり伸ばす手みたいに。
 ずっと長いこと、日々樹先輩から伸びてくる手はいつも台風のように超特急でせわしなくて、ときに俺をびっくりさせ、ときにどぎまぎさせてきた。そんな手が、一度遠ざかり、そして今度はゆっくりと差し伸ばされるようになったのは、ミステリーステージの直前に俺が倒れてからだ。
 なんでもないふうに近づいてくるおおきな手にふれられるたび、このひとが俺をあきらめてしまわなくてほんとうによかったと、何度も思う。
「友也くんもお疲れでしょう。よしよし。よくがんばりましたね」
 手先をあつかう訓練をくりかえしているから、案外固くなった長いゆびさきが俺の髪の先っぽをよしよしとくすぐる。ほんのすこしだけ、たぶん、他のひとはだれもわからないくらい、俺くらいしか気づかないんじゃないかってくらいのぎこちなさで。
「シャッフルユニットでのライブ、大盛況でしたね」
「見てくれたの?」
 まさかいそがしい日々樹先輩が足を運んでくれていたとは思いもしなかったから、俺はびっくりしてすっとんきょうな声を出してしまった。
 端正な顔がウインクをする。そうすると、まじめな顔をしているときにはなんだか神さまが作ったヒトじゃないいきものみたいに見える作りものめいた顔が、一気に華やいで親し気に見える。
 日々樹先輩のそんな笑った顔が、俺はすごく好きだ。
 ほんとうはただの後輩のうちのひとりなだけかもしれない。だけど先輩がそうやって俺に笑ってくれるたび、自分が特別な人間になったような、そんな気がする。
「前のスケジュールの都合で後半だけでしたが、友也くんとくまさんのキスシーンはばっちり拝見しましたよ☆」
「うわ……」
「友也くんたら、いつもはドラマの撮影で女性と手をつなぐ演技をするだけで手汗までかいてぎこちなくなってしまうのに、よく普段とちがう雰囲気で大人のキスをやりきりましたね。が! アイドルとしてはいちパフォーマンスかもしれませんが、最後の照れは演者としては落第点ですよ!! なんですか、あの気の抜け方は!!」
「夜中に声がでかい!」
 途中からとつぜんスイッチが入ってでかい声でさわぎはじめた日々樹先輩に、俺も半分やけくそみたいになって抑えた声で張りあう。
 クリスマス前の深夜で。
 ふたりっきりの夜で。
 あのとき、俺がだれのことを考えてたか。
 ……このひとはそんなこと、思いもしないんだろうなあ。
 日々樹先輩にとって、まだ俺はとなりを飛べる共演者でも、羽根を休められる止まり木でもない。ただ遠くの地平でぴょんぴょん跳んでるだけのうさぎだ。
 ――俺にとっては、ずっと、このひとのいる舞台に跳びあがってるつもりだけど!
「……いちおう、俺なりにもがんばってみたんですよ。具体的にこう、相手を思い描いてみたりだとか……」
 だまったまま、すきとおった夜明けの空みたいな目がじっとみつめてくる。あ、これは「友也くん程度の想像力では限界があるでしょう」って思ってる顔だな。きっと。
「つ……つぎはもっとがんばります! それより、早く片付けて寝よ。あしたも早いんだろ」
 自分の未熟さを思い知らされるようなはずかしさと、ひとり相撲みたいでやるせない気持ちと、そんなことよりなによりはやくこの場を片付けてこのひとを寝かせてやりたい一心で、背を向けてせっせと片づけを再開する。
 いつか、このひとがひとりの夜にひっそりと舞台の幕を引こうとしていることに気がつけるようになったら。
 おとなのキスを、はにかまないですることができるようになったら。
 ——日々樹渉の舞台の共演者として、認めてもらうことができたら。
 そうしたら、きっと言うんだ。「俺はどうですか」って。
 「あんたの旅路の止まり木になれるのは、きっと俺くらいなんだから」って。胸を張って。

 そんなことであたまがいっぱいのまま、目のまえの紙吹雪に必死な俺は、日々樹先輩が、
「いったい、どんな相手を思い描いていたんでしょうね」
 とぼやいていたことになんて、気づきもしないのだった。





おわり

▼ 渉が友也くんに気づかせてくれるふとしたそぶりは、なんでもからだの反応を完ぺきに制御できる渉からしたらたとえ本意でなくても「わかってほしい」という気持ちがあるんだろうなあと思うと、やっぱりふたりが大好きです。お読みいただきありがとうございました!よろしければ「よかったよ!」だけでもご感想いただけるとうれしいです!(2023.1.8)