《十一回目 三月》


「私と別れてください」
 その言葉を聞くのは二度目だった。
 渉の胸元で花が揺れる。
 三月二十二日。夢ノ咲学院に静かな変化をもたらし、嵐のような学院生活のその最中にいつもいた問題児たち――三年生たちの記念すべき卒業式。
 ほかの部活に違わず、演劇部でも式のあと、三人ぽっちの部員での簡単なお別れ会をした。部員を代表して北斗が渉に花束を渡し、友也も北斗とふたりで書いた手紙と簡単な菓子折りを渡した。それから、この日ばかりは友也が心を込めて淹れた紅茶を飲みながら思い出話をした。これでひとつの区切りの日だというのにいつものようににぎやかしをする渉に、友也と北斗はふたりで苦笑しながら、それでも友也はほんのすこしせつなくなって目を潤ませていた。そんな友也の泣きべそを、渉はいつもどおりにからかっていた。
 いつもどおりの卒業式だったのに。
 もはやひときわ大きな輝きとなったtrickstarの新年度の打ち合わせに向かった北斗がいなくなって、友也と渉はしばらく部室でぽつぽつと話をした。このあいだ一緒に行ったカフェがおいしくて当たりだったこと。遅めの渉の誕生日にプレゼントした手袋の使い心地がよくて気に入ってくれていること。渉の学割がきくうちに行こうと言っていた映画のこと。
 そして、何気ない話題に混じって渉が言った。
 いつものおどけた、そして品のある声で。
 「私と別れてください」と。
 渉は友也の恋人だった。
 ついこのあいだ。三月もなかばのことだった。友也が渉に告白をして、付き合いはじめたのだ。
 あのとき渉は一瞬おどろいた顔をしたあと、うれしそうにほほえんで、「はい」と言ってくれたのに。あの、友也が世界で二番目に幸福だと感じた日から、まだひと月も経っていない。
 これが「二度目」でなくともわかる。こうなった渉が曲がることはない。
 だから、無駄だとわかっていながらも友也はつぶやいた。
「……俺のこと、いやになった?」
「いいえ」
「ほかに好きなひとができたのか?」
「いいえ」
「……じゃあ、なんで……」
 一度止まった涙がまたじわじわと滲んできそうだ。渉と恋人同士になって、一週間とすこし。ほんのおままごとみたいな期間、まだ手もつないでいないけれど、友也は幸せだった。
 お互いのユニットのレッスンのあとにまちあわせて一緒に帰ったり、部活の終わりにふたりで寄り道をしてあたたかいココアを半分こしたり。休みの日に映画を見に行ったこともあった。知らなかった渉の顔を知るたび、そしてそんな渉が、自分とこうして過ごしてもいいと思ってくれるほどには友也のことを好いてくれているのだと思うたび、心臓がきゅんとして跳びあがってさけびたくなるほどうれしかった。
 渉は、渉はそうではなかったのだろうか。
「あなたが好きだからです。友也くん」
 「私と別れてください」と告げたくちびるで、そしてその言葉を友也に突き刺したそのままに、渉はよりいっそううつくしく微笑む。
「あなたが好きだから、ここで終わらせたいんです。友也くん、どうか私と別れてください」
 友也はじっと渉をみつめた。そしてその瞳の中にある感情が読めないことに落胆をして、ため息をついた。後輩たちが用意した花束を抱えて、うつくしい顔でほほえんだままの渉の放ったその言葉を聞くのは二回目だった。二回目でも、すごく、すごく悲しかった。
 ――といっても、もちろん、「きょう」で二度目なのではない。
 「前」の一年でのことだ。
 友也は、もう何度も、「この」一年――夢ノ咲学院一年生の一年間をくりかえしくりかえし、体験していた。
 だから知っていた。
 「前」の渉もそうだったから。
 友也の告白にうれしそうにほほえんでうなずき、そして卒業式の日には「私と別れてください」と告げた。
 渉はいっそ不気味――と以前の友也なら言い表しただろうほど静かに、じっと友也の返事を待っている。
 友也が「はい」と言うのを。「いままで楽しかったです。ありがとうございました」と、まるで、ふつうの部活の先輩後輩のように言って別れを受け入れるのを。
 だから、友也はぎゅっとくちびるを噛みしめてから、口を開いた。
 友也の言葉を耳にしてもうつくしくほほえんだままの相貌を見つめながら、思い返していた。
 この一年がくりかえされているものだとはじめて気づいた、ずっとずっと前のことを。
 渉のこころにふれるその前の、ただただ目の前の奇妙な男から逃げたいと思って、何度も何度もこの一年をくりかえしていたときのことを。
 そして、渉に、恋をしたときのことを。

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